「この感じ、あの夏に聞いた悲鳴と似てるな」

 獣のような咆哮も長続きせず、帰路に着く生徒の数も徐々に減ってきている。

  迫り来る深淵と静寂の闇が訪れる前、束の間の最後の賑やかな時間が今過ぎ去ろうとしている。

 「明日も元気に登校するんだよー、またねー」

 いつも言う決まった別れの挨拶を言った後に、珍しく自然と言葉が続く。

 「れいわ、れいわ、れいわ〜」

 金次郎像から発せられた謎の言葉をかき消すように、カラス達が1日の終わりを大袈裟に告げながら学校の周囲を飛び回る。すると羽音が重なる上空から一つの線が引かれ、ニヤついた金次郎像の肩を滑らかにかすめた。この日は風が強いせいか、時折隊列を崩すカラスの群れは各々単独に校舎屋上に吸い込まれるように消えて行った。

 一度静けさを取り戻した夕闇の世界で唯一輝く夕陽が街全体を暖かく包み込んでいく。

 それと同時に闇が侵食の準備を始めていく。

 毎日毎晩繰り広げられている明暗反転の儀式の始まりだ。

 今日もいつもとなんら変わらない日であるはずだった。見慣れた風景に言い慣れたセリフ。だがそこに今日は聞き覚えのない言葉が加わった。

 金次郎像は何とも言えない気持ちを覚える。

 「登校時にれいわって言ってたけど、いったいなんだろう?」

 元号とも聞こえた気がする。いつもの平和な会話に混じり、いつにも増してお祭り風な会話が目立った日であったと振り返る。

 「そうか、平成から”れいわ"って元号に変わったのか」

  解ってしまえば他愛ない。時代は移り変わるもの。

 金次郎像は大正に生まれ、昭和、平成を逝き抜いた。

 そして現在”れいわ"を明日迎える事を知る。毎日変わらぬ習慣に取り憑かれ、同じ事の繰り返しに励む日々。金次郎像は初めて時の流れの速さに気付き、驚愕する。

 「そうか、僕と学校が出来てもう100年以上経ったんだもんな。また元号も変わるし、そりゃ他にも色々変わるよな」

 1つの謎を解決した事によりさらなる謎が生まれる。

 その疑念はいつもの様に湧き水の如く溢れかえる。

 他には何が変わったのか… これは今初めて感じた疑問などでは無い。ずっと前から思い続け、頭を悩ませ、日々の習慣で覆い隠そうとしていた本当の気持ちである。時代の変化に伴って何がどう変わったのか。毎朝毎夕見る生徒、職員の波は同じだが、中身は時代が変わる毎に変化している。

 ただ自分が臆病なのだ。表面上の事しか見ようとせず、物事の本質を理解しようとするのが怖かった。

 自分は石像でここで見守り続ける。

 自分の存在意義はただそれだけだと思っていた。

 それ以下ではなく、以上であっても、だめ。

 昭和、平成へ乗り越えた時はここまで好奇心は昂らなかった。

 この”れいわ"という元号に何かあるのか?

 金次郎像は一旦平静を取り戻したが、さらに自問自答を繰り返す。

 自分が思い描く過去に囚われた空想の日常を現代に更新する時は今では無いのか?

 (そんなことしなくて良い!)

 お前は知りたくないのか?

 (知る必要がない!)

 新たな発見をしたくないのか?

 (平凡な毎日で良い!)

 あの夏の叫び声の正体は?この近くに妖怪達は存在するのか?

 (僕以外の存在なんてどうでもいい!)

 一体どのように今の時代を逝きているのだ?

 (そろそろ落ち着かないと…!)

 彼らには自分と同じ様な悩みはあるのか?

 (ダメだ…)

 僕は一体何者なんだ???

 (…止められない…誰か、助けて!)

 悩み始めるといつも行き着く終着点。そこに辿り着くといつも頭がキリキリ痛み出す。それを知ってか知らずか、どこからともなくまたあの優しい風が吹き付け、いつものように金次郎像の頭を撫でるように通り過ぎていく。

 だが、疑問はまた新たな疑問を生み続け、金次郎像の頭は?マークで満ちていく。

 止まらぬ激しい頭痛と共に。

 ここまで自分が探究欲に飢えていたこと。数々の疑問を心の中にひた隠しては無意識に抑制し続けていたこと。それらが積もり積もって今爆発しそうになっていることに気付きひどく動揺する。

 金次郎像は設立以来持ち続けていた本と薪を慎重に足元に置き、腰を屈め、自然と両手で頭を抱えていた。

 すると突然声が響き渡る。

 「めちゃめちゃ典型的な恰好で悩んでるやん自分」

 馴れ馴れしいが親しみやすい声が頭に響く。

 辺りがすっかり暗くなっていることに気付いた金次郎像はハッとしながら月明かりを頼りに声の出所を探す。

 「私、暇で暇で死にそうやねん。まぁ死んでんねんけどな。ははは、暇過ぎてさっきおもろい事思い付いたからあんた私に付き合ってえや。付き合ってくれるんやったらあんたが私の最初の正式なクライアントやな」

 金次郎像の側にある大木を見上げると、手の平のように枝分かれした部分の上に少女が仁王立ちしている。

 目を凝らして見ると、彼女はおかっぱ頭で白いワイシャツの上に赤いセーターを羽織り、血塗られた様な深く赤いスカートをなびかせながらこちらを見つめている。

 その潤んだ瞳は金次郎像を離さない。

 彼もまた自身の瞳を背けられない。

 深淵と静寂の闇を背に、そのおかっぱ少女は笑った。

 すると、彼女は突如くるりとその場で一周し、赤いセーターを頭上に勢い良く投げた。それは踊り狂うように彼女の周辺を飛び回り、背後の闇に見え隠れする青白い光と共に消えていった。

 辺りに再び闇が戻ると同時に放たれた少女の右の手の平が金次郎像に向けて誘いを促す。

 「手を掲げな、”相棒’’」

 おかっぱ少女の背後で蠢く未だ見ぬ存在達が、月の光に照らされたそんな2人のやり取りを静かに凝視している。

 光の届かぬ陰は深みを増し続け、夜は刻一刻と更けていく。

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