弐
あれはいつだっただろうか、生徒達の半袖半ズボン姿が目立っていたのでいつかの夏だろう。
その日、暑苦しい西陽が射す中、いつも陽気な生徒のグループが校舎から出てきた。額に汗を滲ませながら珍しくなにか神妙な面持ちをしている。校門に近づくにつれ、彼らの話す内容が聞こえてきた。
「夜になると怖いお化けとか妖怪が元気になってぎょうさん街に出てくるんやで。俺が従兄弟から聞いた話なんやけど聞く?めちゃめちゃ怖いでー。まぁ実は従兄弟の友達の話なんやけどな…」
一人の男の子を中心に怖い話が展開されているようで、他の男の子と女の子は聞き役に徹している。
それに自然と参加するように金次郎像はただ聞き耳を立てる。
「うわぁ〜残念。1番聞きたかった所を聞けずに帰っちゃった。夜遅くまで付きまとっていた奴の正体は何だったんだろう。初めて聞いた話だから気になるなぁ」
妖怪、物怪、魑魅魍魎
姿形を変えては人間達を恐怖に落とし入れる存在。人間達はその曖昧な存在に興味を持ち、畏れ、そして魅かれていく。世代や時代を変えて繰り広げられるこの恐怖劇場に終焉は無い。金次郎像が長年そんな話を聞いてきた中で気付いた事、それはどんなに古い物語でも”今”を生き続けていることである。昔聞いた話が少し表現法や登場人物を変え語られる場合もあれば、その世代、時代に生まれた特有の話もある。そしてそれらもまた形を変えながら後世に語り継がれていく。金次郎像は生まれてからそう時間が経たない間にそんな怖い話に聞き惚れていき、非常に興味をそそられていった。
金次郎像は否応なく理解している。
自身がどれだけ人間達が好きでも、どちらかの分野に当てはめることになれば妖怪側になる事を。
悲しい事実だが、そもそも人間でない事は確かである。
僕は数多の妖怪の一員。
その中に自分のように考えたり感じたりできる像が他にいるのだろうか?
…他の妖怪から見て僕はどう映るんだろう?
(人間が好きって変な事なのかな?)
…僕は二宮金次郎像。でも二宮金次郎って誰?
(僕は一体なんなんだ?)
…自分の存在理由と自覚はあれどアイデンティティが欠損している。
(落ち着け、落ち着け!)
…自分が誰で何者なのかの説明や証明ができないのがもどかしい。
(別に良いじゃないか?)
それじゃあ僕はただの石像?考える石?
(はい、それまで!!)
「いやぁダメだダメだ。また悪い癖が出た。また考え過ぎちゃった。誰だって良いじゃないか。僕は僕だし。生徒達から聞いたたくさんの妖怪達がどんな風に生活しようと僕には関係無い。だってここに立ってる限り会う機会なんて無いだろうしね」
落ち着きを取り戻そうとする金次郎像の耳の辺りを不意に爽やかな夏風が吹きつけた。
隣にそびえる大木を通してだからか少し青臭い。
金次郎像はこの匂いにいつも癒される。そうして心地良い空気が金次郎像の周りを渦巻き、雑念を浄化していくように吹き去っていく。
「ふぅ…ぜーんぜん気にしない…気にしてなんか、いない」
またこのパターンで終わるのか…
闇はいつも不安を誘う。辺りが暗くなるにつれ、先程取り戻した心の平安が蝕われていくように感じる。 金次郎像の心中に再び暗雲が広がっていった。
夜は日中の暑さが嘘のように冷え込んだ。
淡く霧が立ち込める校庭、金次郎像は何も考えようとせずただ空白の目を闇に重ねる。
「ギャーーーーーー!!!」
突如静寂を破るように放たれた雄叫び。金次郎像は全身を耳にし、慌てて校舎を見る。確かに今叫び声がした。場所は校舎3階、いや2階か。生徒がまだ残っていたのか?何があったのだろう?その恐怖に慄いた様な叫び声に金次郎像は心配より興味が先を越す。
もしかして妖怪が出て、生徒を驚かせたかな?
いや、それにしては夜が更け過ぎているかも。
今までこの様な事は無かった。何かが急に生まれたのか?妖怪は人間の恐怖心、想像より発生する怪談や噂話から生まれ出でると聞いたことがある。
金次郎像が考え込んでいると、先程の緊迫した叫び声が嘘の様に辺りはまた静寂を取り戻していた。
そんな夜が明け、あれからどれだけ時が過ぎようと、ただ過ぎ去った過去の思い出として簡単に消化できないでいる金次郎像は取り憑かれたように一人悩む。一度聞こえて気にしてしまったが最後、今まで気にも留めなかったが、耳を澄ませば聴こえてくる謎の悲鳴は大小あれど昼夜問わず忘れた頃にやってくることがわかった。集中していなければ聞き逃すほどのものがほとんどだが、不自然な声が耳をかすめる度、初めて聞いたあの夏の特大の叫び声が鮮明に蘇る。
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