都市伝説の時子さん ~ 怪異譚は眼帯の巫女とたゆたう ~

佐久間零式改

時子さん 第1話 



―――――――― 数年前



地井篤ちい あつしさん、これを」


 喫茶店『蝉時雨せみしぐれ』で働いていた地井篤に、そう言って三宮彩音さんのみや あやねにそう言って、一台の携帯電話を差し出してきたそうだ。


「これを」


「……これ?」


 地井篤が何かと思っていると、三宮彩音の手の上に一台のぼろぼろの携帯電話があった。


 篤は誰かから電話でもかかって来たのだろうかと思うも、誰からの電話か全く検討がつかず首を捻った。


「落ちていました」


「成る程、落とし物か」


 その言葉で篤は納得した。


 落とし物であるのならば、俺への電話でなくて当然である、と。


「おそらくは」


「なるほど、ありがとう」


 そう言って、その携帯電話を取り上げようとしたのだが、一瞬だけ篤は躊躇したそうだ。


 何か赤黒いものがこびり付いているだけではなく、全体的に汚い。


 何ヶ月も外に放置していたかのような汚れ具合であった。


 しかも、筐体の一部が割れているのか、ヒビのようなものさえ見える。


「どうかしましたか?」


「結構ボロボロだなと思って」


 まるで数ヶ月雨風に晒されていたかのようである。


 こんなにも使い込んだ携帯電話を忘れるという事は、落とした人物は困っている事だろう。


「そうでしょうか?」


「落とし物なら預からないとね」


 篤はお客が置き忘れたのだろうと思い、その携帯電話をちょいと取り上げようと触れた。


 その瞬間、全身に怖気が駆け巡った。


 地井は身震いして、携帯からサッと手を引いていた。


 全身を怖気が走るというのは、今の感覚のような事を言うのではないかと思ったほどであった。


 この携帯に何かあるのか?


 そう思うも、そんな訳などあり得ない。


 おそらくは静電気か何かの類なのだろう……そう言い聞かせつつ、再度携帯電話に触れた。


「……ふぅ」


 何も起こりはしなかったし、寒気は走らなかった。


「何か気になる事でもあるというのです?」


「何でもない、何でも。でも、誰の携帯電話だろう?」


 手にとってよく見ると、バッテリーカバーとバッテリーそのものが装着させてはおらず、そのあるべきものがなく、ぽっかりとした穴が開いているようなものであった。


 誰かが不要だと思い、携帯電話そのものを捨てたのかも知れない。


 それをたまたま拾った人がこの喫茶店に置き忘れただけのようにも思える。


「さて、どうしたものか」


 警察に届けるのが一番だろう。


 地井篤は知りもしなかった。


 三宮彩音から渡された携帯電話が『時子さんの携帯電話』である事を。


 その携帯電話を手にしてから一週間後に死ぬと言われている都市伝説そのものである事を。


「それは……もしや……」


 稲荷原瑠羽が地井篤が手にしている携帯電話を見て、顔を顰めた。


 何か気になる事があると言いたげに。


「えっ?」


 その時であった。


 携帯電話から不気味な音が流れ始めたのである。


 人を不安にさせるような、人の不安をかきたてるような、そんな着信音が。


 一瞬、篤は自分の目と耳とを疑った。


 即座に携帯電話の補助電源か何かが作動したのかと思うも、そのような機能は携帯には搭載されていない事を思い出し、頭の中が真っ白になった。


「出ない方が良いかもしれぬな」


 稲荷原瑠羽は訝しげな目で鳴り続けている携帯電話を見た。


 瑠羽はこの携帯電話が奇妙な動作をしている事に気づいているのだ。


「これ、おかしくないか? バッテリーが入ってないのに鳴っているんだが……」


「出てはいかん、その電話はよろしくはない」


『バッテリーが入っていない携帯電話が鳴り出すなど、常識的にはあり得ない』


 この携帯電話は非現実的であった。


 まるで映画か何かを見ているような気分を篤は味わっていた。


「……出ろって事なのか?」


 出てはいけない。


 心のどこかでそう囁く一方で、出てみたいという欲求もあった。


「電話二出たい。出たい……だが、出たら……」


 携帯電話を持っている手の親指が、ボタンへと向かう。


 篤の意志を無視するように手が勝手に動き出していた。


 篤の潜在的な意志なのか、それは不明ではあったが、電話に出てしまっていた。


「……」


『私を……捜して……』


 携帯電話のスピーカーから女のしわがれた声が流れて来たと思ったら、切れてしまった。


「私を……捜して?」


 篤は電話口で囁かれた言葉をオウム返ししていた。


 人のような声はしていたが、人ではないという気がしてならなかった。


 それは人としての感覚なのか、あるいは、ただの勘違いであるのかよく分からないでいた。


「……そういえば、こんな都市伝説を耳にした事があったな」


 篤は携帯電話を見つめたまま言う。


「時子さんの電話っていう都市伝説だ」


「ほぉ……」


「時子さんから電話がかかってきたら、一週間後に死ぬっていう……都市伝説だ。あるわけないよな、そんな都市伝説」


「俗世ではそのような噂が……」


「あまり有名な噂ではないんだけどな。しかも、一週間で死ぬ……とか。よくある噂話だよな」


 篤は小さい頃からそんな話をよく聞かされていた。


『あぎょうさん さぎょうご』


 この暗号を解かないと一週間後に死ぬとか、その類の物からどうしようもない話など多々ある。


 その謎かけの答えは『うそ』。


 ア行で三番目、サ行で五番目の文字を指しており、その言葉を組み合わせると、『うそ』となるという仕組みである。


 つまり、死ぬとか言われていたりするのは、そういう類の物がそれなりにあるのを篤は知っていた。


「眉唾ものの都市伝説だよな」


 友達の友達などと言われても、その友達が噂を聞いて、友達に話しただけなのかも知れない。


 死んだという人物が誰であるのか分からないのならば、それはあくまでも噂話にすぎない事を篤は分かっている。


「その話の真偽がどうあれ、その携帯電話は本物であろう」


 瑠羽はそう断言した。


『本物』である、と。


「……本物? 確かにこの携帯電話は本物だな」


 この携帯電話は玩具ではない。


 企業名も入っており、正真正銘の本物の携帯電話であった。


「……分かっておらぬか。お前が電話に出てしまった以上、もう始まってしまったのじゃよ」


「瑠羽さん、何か知っているのか? この携帯電話について」


 そこまで言うからには何か知っているのかと思い、篤はそう訊ねた。


「知らぬ。だが、それが本物である事は分かるのじゃ」


 知らないのにも関わらず、何故そこまで自信を持って『本物』と言えるのであろうか。


 篤にはその根拠が分からなかった。


「本物って何が本物なんだよ。教えてくれよ」


「言葉の通りじゃ。近いうちに自ずと分かる」


 意味深な言葉であった。


 何か知っているのならばすぐにでも教えるべきじゃないのかと篤は苛立った。


「どうして教えてくれない! 何か知っているのだろう?」


「そう急くな。事実という物は実感して初めて分かるものじゃ」


 瑠羽は余裕そうな表情をにじまれている。


 それが篤を余計に苛立たせた。


「だからどうして!」


「そう声を荒げるでない。音々の言う呪いが本当であるかどうかという確証がないだけじゃ。それ本物である以上、そうとしか言えん」


「だから、本物ってどういう意味なんだ!」


 篤は、瑠羽の勿体ぶるようなこの態度が気に入らなかった。


「この携帯電話の呪いは本物じゃ。だが、どのような呪いであるのかは知らん。そのように言うと混乱すると思ったが故に言わなんだ」


「の、呪いが本物って……」


 篤はその一言でどう反応していいのか分からず、一瞬にして頭の中が真っ白になって、息が詰まらせ、何もかもがぼやけて見え始めた。


「ははは……呪いだってよ……ははは……。おかしいよ、呪いだってよ」


 篤はおかしくてしかたがなかった。


 笑いが込み上げてきて仕方がなかった。


「呪いと言っても種類は多々ある。まだ分からぬ、その呪いが何であるかは」


 瑠羽は目を閉じ、ため息と共にそう口にした。




『時子さん』の『呪い』を解く事に奔走するも、地井篤は都市伝説で語られている通り一週間後に死亡した。


 地井篤の呪いを解くべく尽力していた稲荷原瑠羽は、地井篤が死亡したその日の夜、上半身が何者かによって引きちぎられたように臓器を周囲にまき散らしていた凄惨な姿で発見された。


 その数年後、言実町連続バラバラ殺人事件に関わってしまった稲荷原流香は殺人犯と対決するも、左目をえぐり取られる事となった。


 そして、なくなった左目を補うように、姉である稲荷原瑠羽の魂が居座りだしたというのだが……。


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