槍の一生

山田恭

慣性の法則

「ああ、わたしは、どうしたらいいだろう」と、姉は、自分の長い髪を両手でもんで悲しみました。

「もう一人、この世の中には、自分というものがあって、その自分は、わたしよりも、もっとしんせつな、もっと善良な自分なのであろう。その自分が、弟を連れていってしまったのだ」と、姉は胸が張り裂けそうになって、後悔しました。

   『小川未明童話集』(小川未明, 新潮社, 1951)「港に着いた黒んぼ」 より


   ***

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 いとこに砲丸投げの選手がいた。


 既に故人でこの世にはいないが、彼女が競技を行うのは、テレビで見たことがある。彼女は日本一の記録を持つ日本一の選手だった。

 砲丸投げのような競技は膂力が物を言い、もちろん筋肉だけでなく技術的なものも大事なのだろうが、人種の違いによる身体的な差はけして小さくない。日本一になることはできても、世界各国から人が集うオリンピックの場合だと、予選を通過することすら困難だった。テレビで話題になるのは誰もが知っている花形競技か、勝てる可能性の高い競技ばかりで、だからいくら日本一でも、世界で勝てない競技はテレビにもなかなか映らない。それでも競技を見ることができたのは、母が彼女を応援していて、テレビに映る数少ない機会に撮り溜めておいてくれたからだった。


 砲丸投げというのは、その名のとおり砲丸を投げて、その飛距離の長さを競う競技だ。砲丸の重さは規格によって異なるが、女子のものでは四キログラムとなる。日常で四キログラムのものとなると、あまり多くない。赤子を抱くときか、でなければ五キログラムの米を買うときが近い重さを実感するときだろう。相当に、重い。これを投げるのは重労働だ。下手な恰好で力いっぱいに投げようとすれば、腕を骨折するかもしれない。手を滑らせて、足に落とすかもしれない。だから、投げるだけでも難しい。

 おまけに半径約一メートルの円から出ないように投げなくてはならず、前方に約三十五度の範囲に砲丸を入れなくてはいけないのだ。三回投げられるとはいえ、少しでも砲丸や競技者自身が食み出たらファウルで、三回とも失敗したら記録が出ない。正しく前方に投げる精度と遠投するための膂力、両方を必要とする。


 類似競技にハンマー投げや円盤投げ、槍投げがある。大きな差異は投擲する獲物で、その名のとおりハンマー、円盤、槍を投げる。とはいえ基本的な部分は同じだ。

 力が及ぶのは、手が触れている間だけだ。あらん限りの力を咆哮で後押しして放り投げたあとは、もはや何もできない。せいぜいが、己が身体が枠の外に出ないように気をつけるくらいだ。ただただ、放り投げたものがゆく先を、眺めるしかない。砲丸でもハンマーでも、槍でも。


 そして投げられた物はといえば、放り投げられたあとはひたすら飛んでいくことしかできない。

 いつか獲物に突き刺さるまで。

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