二 特別国庫管理部


 対策委員の要員である藤原啓太とその部下の僕、上田善宏は、特別国庫へ書類の出庫を依頼することになった。

 僕と藤原さんは会議室で事前打ち合わせをしている。そもそも特別国庫のことを僕は全然知らないんだ。特別国庫っていうくらいだから、頑丈な金庫かな? 大学ではそんなこと教わらなかったぞ。

 藤原さんは会議室で、ホワイトボードに何も書くことなく、ボサボサの頭を掻くと指を胸の前で組んで、話し始めた。


「もし、『世界を滅ぼすボタン』があったらどうなると思う?」

「はぁ」


 唐突な質問に、僕は気のない返事をしてしまった。藤原さんは別段気を悪くした様子もない。


「そんなボタンがあったら、押すか?」


 藤原さんは質問を重ねてきた。何だこの質問は?


「いやぁ、押さないと思いますが」


 僕は質問の意図が掴めないせいもあり、少し警戒しながら答えた。心理テストか何かかな? 僕はずり落ちた眼鏡を調節する。

 藤原さんは上体を起こす。


「普通の人間ならそうだよな。だが、世の中にはそれを押したい連中もいる」

「変な宗教団体とか、テロリストとかですか? まぁいるでしょうが」


 一拍おいて、藤原さんは続けた。タバコを吸いたいのか、タバコが入っている胸ポケットをしきりに触っている。


「実在するんだよ」

「え?」


 藤原さんの言葉の意味が分からず、思わず聞き直してしまった。実在ってテロリストのことだろうか?


「だから、そのボタンが」

「へ?」


 僕はまた間抜けな声を出してしまい、慌てて口を閉じる。ボタンがあったら、の話じゃなかったのかな? でもそんなボタン、あるわけがないし。全世界に向けての核ミサイル発射とか? でも日本には核兵器はないんじゃなかったかな?

 藤原さんはやや笑みを浮かべている。この人、僕をからかってるんだな?


「『世界を滅ぼすボタン』が実在すると言っている」


 まだ冗談を続けるつもりなのかな? 僕は半分嫌になりながら話に付き合う。


「核ミサイルのボタンとかですか?」


 藤原さんの顔を見る限り、どうやら本気みたいだ。でも世界が滅びるって核くらいしか考えられないよなぁ。強力なウイルスっていうのもありえるかも?

 藤原さんは「人類を」ではなく「世界を」と言った。ウイルスで人類を滅ぼせても、世界は滅ぼせないと思う。もっとも「人類を」、というのは自分たちにとっては「世界を」と同義ともとれるけど……


「それもある意味滅びるだろうが、このスイッチは何が起こるかわからない。誰も押したことがないからな」


 何かのなぞなぞかな? 僕は必死に考えてみたけど、核兵器以上に世界を滅ぼせるようなものは思いつかなかった。

 僕は首を捻る。


「そのボタンとやらは誰がどうやって作ったんですか?」


 腕を組んで藤原さんが答える。


「作ったわけじゃない。特別国庫にあった」


 やっぱり、なぞなぞだな。僕はそのなぞなぞの揚げ足を取ることにした。


「誰も押したことがないどうやって作ったかもわからないボタンがどうして世界を滅ぼすってわかるんです?」


 どうだ。この質問ならなぞなぞの矛盾が明らかになるだろう?

 ところが、藤原さんは顔色一つ変えない。


「特別国庫のものだからだ。何が起きるかはわからないが、押してみるわけにもいかない」


 特別国庫という強ワードにねじ伏せられてしまった。一体何なんだ?


「信頼できるものなんですか?」

「特別国庫が信頼できるかということなら、信頼できる。そうだな、お前、『どこでもドア』を知っているか?」

「ドラえもんのですか?」

「そう。特別国庫には『どこでもドア』もある」

「へ? あれは漫画の道具でしょう? 作れるわけがない」


 僕はそう答えながら心拍が上がり、手に汗がにじんできた。


「ところが、実在する。どんなテクノロジーなのか、解明できていないが、どこでもいけるドアなんだ」

「マジですか? 『どこでもドア』があるんですか!?」


 藤原さんには申し訳ないけど、信じられない。この目で見るまでは信じないぞ。


「ある。ただ、世の中のバランスを壊しかねないという上の判断で公開はされていないし、気軽に使うことは許されていない」

「でもやっぱり、現物を見ないと信じられないですよ。いくらなんでも」


 藤原さんは秘密を知った子供のような表情をする。


「そりゃそうだろうな。まぁ、ここではあるものとして受け入れてもらうしかない」


 藤原さんがそういうなら、半信半疑だけど話を合わせることにしよう。 


「実在したら悪いことに使えてしまいますね」

「そう。テロリストの手に渡ったりしたら、大変なことになる。軍の基地にドアで直行し、銃や爆薬なんかも奪い放題だし、大統領の寝室にだって直行できる。テロリストでなくても、研究してテクノロジーを解明したいという組織や国も必ず出てくる」

「それどころか、宇宙の別の銀河の惑星にだっていけるんでしょう? 人類の宇宙進出が実現するじゃないですか」

「ああ。実にとんでもない道具だ。この世には光より速いものはない、というよな? でも光より速いものがある。それが『どこでもドア』だ。百万光年先だろうが一瞬だからな。だからそんな道具が実在することは絶対知られてはいけない。我が国でも研究すべきという意見は当然あったが、それ以上に危険ではないかという意見が上回ったので現在は秘匿されている。まぁとにかく、『どこでもドア』と同じく『世界を滅ぼすボタン』があるんだよ」

「やっと話が見えてきました。そのボタンは危険すぎでしょう! 世界ってことは、地球のみならず宇宙が滅ぶかもしれないですよね」

「押さないとわかりきっていても、そんなボタンが手元にあるだけで精神を病んでしまう。だからずっと特別国庫に預けている」

「国庫の管理者とか大丈夫なんですかね?」

「その点は心配いらない。それなりの待遇はしている。でだ。何故こんな話をしたかわかるか?」

「特別国庫に出庫を依頼するから?」

「うん。もうじき特別国庫の管理人が来る。話が通じないとあちらにご迷惑をお掛けするからな。だから事前知識を入れさせてもらった。普段特別国庫に依頼する時は顔を合わせることはない。が、今回はお前の顔合わせのために特別にお呼びした」

「そうなんですね。名刺あったかな……」


 やがて、会議の時間が迫ってきたので僕と藤原さんは三階の会議室一に移動した。この会議室は八人部屋で、古い庁舎の中でもここだけ近代化されており、機密性が特に高いんだ。中央のテーブルには片側四人分の座席があり、奥の壁には五十インチの液晶モニターが設置され、テーブルの中央から出ているケーブルに端末を接続して映すことができる。


 僕と藤原さんは四人いる受付嬢の一人に藤原さん宛の来客があれば会議室一に通してもらうようお願いをして、お茶を用意しながら待っていた。

 しばらくして会議室の内線電話が鳴り、藤原さんは一言「お通ししてください」と伝えて電話を切った。


 間もなく二人の人物が部屋に通された。四人の中で一番若い受付嬢が案内をし、礼をして戻って行く。僕と藤原さんは立ち上がった。通された人物の一人はグラビアアイドル顔負けの美少女、いや美女か。ハーフアップの黒いロングヘアーには小さく白い顔が収まっており、白いワイシャツにグレーのスーツ姿がなお一層色気を引き立てている。その姿を見ただけで僕は後頭部が軽く痺れた。鼻腔をくすぐる甘い香りがするのは気のせいではないだろう。いい匂いだからバレない程度に深呼吸しておこう。


 もう一人は若い男。大学生前後か。顔立ちよく、身長は百八十センチをこえているだろう。美男美女だがカップルなのだろうか。


「失礼します」


 女性のほうが低めの綺麗な声で挨拶する。


「お久しぶりです。一年ぶりくらい? 今日は暑いですね」


 藤原さんが応じた。


「そうね。永田町はまだ近いからいいわ。えーっとそちらは?」


 藤原さんは僕を手招きする。僕は慌てて隣に小走りで寄る。


「私の部下の上田です。ほら」


 藤原さんに背中を押されて、僕は名刺を出して挨拶をする。


「どうも、上田です。本日はわざわざお越し頂きありがとうございます」


 女性も名刺を出して僕に差し出す。薄い黄色で切り抜きが使われている不思議なデザインの名刺だ。

 名刺には「特別国庫管理人 古城戸 冬美」とあった。「ふゆみ」はあってるだろうけど、苗字はなんて読むのかな? こじょうと?


「『ふるきど』です。私のことは?」


 へぇ、これで『ふるきど』って読むのか。

 古城戸さんは藤原さんを横目で見る。藤原さんは軽くうなずきながら返す。


「簡単には」

「なら説明はいいですね。こっちは『ゆいぞの』。私の助手です」


 古城戸さんの綺麗な右手が隣の『ゆいぞの』と呼ばれた男を示す。僕は頭を下げて挨拶する。


「よろしくお願いします」


 『ゆいぞの』さんとも名刺交換をした。名刺には「由井薗 雄太」とあった。こういう字か。

 僕は古城戸さんを見る。目を合わせるのは緊張するくらいの美人だ。


「『どこでもドア』があるなんてドキドキしますね」


 ぼくはどうぞ、と手をお茶に向けながら勧めた。古城戸さんはお茶には手をつけず、答えた。


「宇宙戦艦ヤマトやガンダムだってありますよ」


 どちらもアニメ関連の物だけど、これは「どこでもドア」を話題に持ち出した僕に対する古城戸さんの気遣いだろう。


「ヤマト……そもそもイスカンダルはあるんですかね? ガンダムは動くんですか?」


 古城戸さんは顎に人差し指をくっつけている。可愛いな。


「ヤマトもガンダムも操縦方法がよくわかっていませんね。複雑すぎるようです」


 確かにガンダムは合体とかするし、難しいかもしれないなぁ。


「それにしても、空想の物が本当にあるなんて、まだ信じられません」


 古城戸さんはこれ以上深堀りするつもりはないのか、藤原さんのほうを見た。


「空想のものに限らず、ご希望のものをご用意することができます。今回のご依頼はなんです?」


 雑談は終わりか。みんな仕事の顔になった。

 藤原さんは一枚A四用紙を取り出し、机の上でくるり、と向きを変えて古城戸さんに差し出す。


「政府が某国と取り交わした合意文書を事故で紛失しました。その合意文書が欲しのです」


 古城戸さんは、紙を手元に引いて、取り上げ、軽く目を落とす。すぐに愛らしい口を開いた。


「その契約書を直接見たことがある人がこのリストですか?」

「そうです。二十八名ほどいます」

「わかったわ。この中から一名選んでくださる? それから、その人には後日連絡するホテルに来てもらって、藤原さんが適当な打ち合わせをしてもらっていいかしら。そのあとその人を一泊させてください」

「わかりました。近々某国との会談があるらしいので、なるべく早めにお願いしますよ」

 その後、二、三注意事項などやりとりをして打ち合わせは終了した。


 古城戸さん達が帰ってから、思わず口から漏れる。


「いやぁ、すげぇ可愛いですね、古城戸さん」

「そうだな。芸能人レベルだな。でも性格はドライすぎて、結構難しそうだぞ」


 そう言うと藤原さんはボサボサ頭を掻きながらオフィスに戻って行った。僕も廊下をついていく。


「しかしどうやって書類を用意するんですかね? 呼び出した人を催眠術か何かで操って作成しなおすんでしょうか」


 僕は疑問を藤原さんにぶつけてみる。藤原さんは首を傾げる。


「さあな。その方法までは我々にも明かされていないんだ。でもな、空想上の道具があるくらいだから、きっと我々の想像外の方法で用意しているんじゃないかと思ってる」


 藤原さんは僕を見て、もう少し話を続けた。


「そもそも国会議員の中でも特別国庫という単語は知っていても、どういうものかを知っている者は少ないんだ。ほとんどの議員は、特別な政府専用金庫が日銀なんかにあるものと思っている。だが、特別国庫の道具はすべて彼女たちの私物で、国のものなんて一つもない。我が国の法律に『どこでもドア』を使ってはいけない、という法律はないし、『波動砲』の所持を禁止する法律もない。彼女たちが悪事に手を染める可能性はゼロではないだろうが、あることをきっかけに我々に協力してくれるようになった」


「あること?」


 藤原さんは前に向きなおる。


「彼女にはお兄さんがいたんだ。六歳年上のな」

「そうなんですね」

「でだ、彼女が十三歳、お兄さんが十九歳の時だ。お兄さんがとんでもない事件を起こしてしまった」

「十年くらい前ってことですよね? どんな事件ですか?」

「俺が三年目の時で現在の配属ではなかったから詳細は知らないが、八丈島付近で数千人が殺された。お兄さんは未成年だったこともあって報道はほとんどされなかった。あ、いや、報道では土砂災害として扱われた。お兄さんはその事件の際に意識不明になって、およそ一年後に亡くなったんだよ確か」

「お兄さんは加害者なんですよね」

「そうらしいが、どうだろうな? まぁ、それ以降彼女が国と関係しだした。国の上層部とお兄さん関連での取引があったんだろうと俺は思っている」

「お兄さんはもう亡くなっているんですよねぇ? 国に協力する意味があるんでしょうか……」

「彼女としてもある程度自由に道具を使用するためには、国と協力したほうがよいという判断じゃないだろうか」

「国に追われる立場になっても面倒でしょうしね……」


 それ以上は彼女と国の関係はわからなかったが、現実離れした世界に身を置いているということは理解できた。

 僕は手の中の黄色い名刺を、指の腹で擦った。そこに実在することを確かめるように。

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