特別国庫管理部
@Tosei_Azumi
一章
一 真夜中の交通事故
一
深夜二時、漆黒の車体が夜の街を進む。運転手は大きく欠伸をし、ハンドルを握る指をもぞもぞと動かした。
夜の街の熱気もそろそろ落ち着いたこの時間帯、道を走るのはタクシーとトラックがほとんどだ。
成子坂下の交差点を過ぎ、新宿警察署前を通過。JR新宿駅まで一分の距離。歌舞伎町のネオンが遠くに見え始めた瞬間、大型トラックがセンターラインをはみ出し、目前に迫っていた。黒の乗用車は軌道を変える間も無く正面衝突し、轟音とともに圧搾されて炎上した。
未明の新宿駅前の交通事故は翌朝の新聞の片隅に載る程度で、テレビでも大きく取り上げられることはなかったが、永田町の一部では深刻な事態となっていた。
霞ヶ関にある外務省本庁では、臨時の外交記録推進委員会が開催されており、皆神妙な面持ちで議論している。
会議室の中心には四百メートルトラックのような形状の細長い楕円のテーブルがあり、二十人ほどの議員が囲んでいた。
「先ほど、未明の事故で某国との重要な合意書類が燃えてしまったという報告を受けました」
報告をしたのは、委員の一人、和多田聡。一人が挙手をし、委員長が指名する。
「水谷真司君」
委員長に指名された壮年の男が立ち上がり発言する。
「今回紛失したという、書類の写しや電子データはあるのでしょうか?」
水谷は発言を終え着席。和多田は挙手し、委員長が指名する。
「ご質問に関してですが、秘匿性の高い書類ということもあり、書類の複製や電子媒体は存在せず、原本ただ一部とのことです」
和多田は着席。再び水谷が挙手し、委員長が指名。
「書類ならば再作成すればよいのではないでしょうか?」
再び和多田の発言。
「某国は近々大統領が交代するという噂があります。我が国から書類の紛失と再作成の意思を伝えても某国との再度の合意はおそらく得られない内容であると思われるため、合意書類の再作成は難しい状況です」
場内がざわつく。
「静粛にお願いします。不規則発言は慎んでください」
委員長が注意を促す。水谷が挙手し、委員長が指名する。
「合意内容の公開をお願いいたします」
水谷が着席し、和多田が挙手する。委員長の指名より先に立ち上がる。
「合意内容については配布資料の最終ページにあります。が、本資料は持ち出し禁止とし、会議終了時に回収いたします」
議員たちは合意内容を読むと皆、目を見開いた。確かにこの内容で再度の合意を得ることはできないだろう。この内容で合意に漕ぎつけた須賀外交長官の腕は本物だ。
水谷は身体を傾け、隣の議員に小声で話す。
「紛失した事が某国にバレたら、たちまちつけこまれるな」
隣の議員は目を瞑って頷く。
「マスコミに漏れるとどう報道されるかわかったもんじゃないぞ」
和多田が起立し、発言する。
「本件について対策委員の設置を提案いたします」
和多田は発言とともに着席。表情は暗い。委員長は咳払いを一つする。
「では、対策委員会設置について票を取りますので、賛成の方はご起立をお願いします」
議員一同は戸惑いながらも起立していく。すぐに半数は超えたようだ。野党議員も事の重大さを理解したのか、賛同者が多数いる。
「賛成多数により、対策委員会設置は可決されました」
和多田が声を張り上げて言う。
「本件については箝口令を敷きます。次の日程は追ってご連絡いたします」
こうして、その日の外交記録推進委員会はそこで終了となった。
後日開催された対策委員会では様々な案が話し合われた。書類を偽造することはもちろん、正直に某国に伝えることも検討議題に挙がった。が、どれも解決といえる内容には程遠い。偽造することは論外だし、正直に伝えたところで合意内容が振り出しになり、これまでの成果がゼロになることは確実である。
野党にしてみれば、紛失の責任を追及し総理を失脚させる千載一遇のチャンスではあるものの、合意内容が振り出しになれば政権が交代した後、自分達が再度某国と調整することになることが明白であるが、そのような調整をやり遂げられる人物もおらず、自分たちの政党が調整役になることは避けたいのだ。
やがて、委員メンバーである安納総理が重く口を開いた。
「特別国庫に依頼するしか……ないでしょうね」
何人かの閣僚は目を見開いてつぶやく。
「特別国庫か……」
委員会における決定内容は、「合意書類の出庫を特別国庫に依頼」となった。
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