第三十四話 脱出プランA
【11月29日 21:46 会場内】
「ねえ、いつになったら助けが来るの」
不安げな声を上げる女がいた。
ステージ上に上がっている避難民たちの一人である。
総勢は、
意思を持たない暴動者に囲まれた絶体絶命のステージで、命はつないでいるが、別に助かってなどいない……そんな状況。
ライブ会場に集まった若者の男が疲弊した想いで呻いた。
若向きなデザインとは違うかもしれないが、まだメジャーデビューしていない若いバンドのTシャツを着た男だ。
音楽を楽しみに来ていただけの人間だろう。
それゆえ、不安しか表情にない。
「俺に聞いてどうするんだよ、そんなの―――、アキ、お前だって何もわかんねえだろ」
「で、でも……!」
アキと呼ばれた避難民も言葉を失い。
会場内に響き渡った、助けは来るという丸根マネからの、その連絡を彼ら彼女らも聞いた。
だが、それから三十分以上が経過した。
正確に時間を計っているわけではないが……。
助けはまだ現れない。
焦りは会場を音で支配している
丸根マネージャーの助けは来るという放送、誰が言ったかまでを把握している四人は、だからこそ不安に揺れる。
夢呼はライブ開始時と変わらない声量でこの場をつないでいる。
それを眺めるつつも演奏を続ける真弓には、懐疑的だった。
やはり、この状況では助けは無理なのでは……?
いろんな、何か理由があるんだ―――まず、いくら何でも暴動者が多すぎる。
『さあ、夜は長いよ、長いねえ!妙に長く感じるよ! もちろんうれしいよ、この舞台に立つことは割と楽しみにしていたからねえ!』
割と……?
『割とじゃあなかった、マジでだ! 夢の舞台だよ 感無量だ 今日こんな大勢の前でやれたんならこの後のライブはすべてアレだ! 無駄じゃあないけど まあ言うて蛇足みたいなもんだねェ!』
そこまで言うのか。
『ごちゃごちゃうるさいのが後ろにいるねえ! 腹を割って言うとね、これで終わりにはしたくないね! まだまだ行くよ 他の舞台でもやりたいよ 日本
日本舞音館。
国内有数の大ホールを有するイベント会場だ。恐れ多いにもほどがあるが―――訪れることができる日は。
来るだろうか、次に生きて訪れることが可能だろうか。
ボーカルの響き渡る声の合間での、相談だ、ゆえに会話の流れはぶちぎられること度々。
状況に変化などありはしなかった。
もはや意思を持たない観客たち。
無事な人間、というのは会場内から姿をほぼ消した。
ステージ上に避難民入るけれど。
それ以外の大半は開いた出入り口から逃げただろう。
真弓は思う。
瀬戸際で命をつないだ、それでもつないだだけだ。
生き延びていて嬉しいとまで軽口をたたけない、夢呼は口が回るようだが。
このなかでYAM7だけでどこまでやれるか。
ただ弦に触れる指が重くなるだけの私だった。
夢呼は、この期に及んで会場に叫ぶのか―――願いを、夢を。
異常としか思えない、そんな私だった。
「夢呼、それで、どうする……助けは来るらしいけど……」
「真弓は……来ると思っているんだね、ヘルプが。丸根マネが本当のことを言っていると思うんだね」
夢呼の表情が冷めている。
少しも期待していないというのか、まあ私もその反応を見てからは自分の気持ちに素直になった。うまい話はないと思う―――いや、正確に言うなら、慣れないのだ。
生まれてから、ずっと。
誰かに助けを求めるのが苦手なのが私だった。
あと、私たちは丸根マネージャーの声だって、その放送だとわかったけれど、それは
マネージャーと面識のない避難民からは大きな支持は得られないだろう。
外の様子がどうなっているかはわからない。見えなくとも音で判断したいところだが……パトカーのサイレンが聞こえた気がする。
だが外の騒ぎ、気配すら、夢呼の澄み渡る声、そしてギター、ベース、ドラムの音で消えゆく。
外はいったい、どうなっている?
何をしている---。
七海は停滞にしびれを切らしているようだ。
愛花は―――純粋に息を切らしている。
いつもより激しく演奏しているのだろうか。
それともリハーサルよりもはるかに緊迫せざるを得ない状況だからだろうか。
助けは来る、といっても。
あれからいったい、何十分経った?
「あぁ。それだけど―――何人かが脱出できる案がある」
あっさりとつぶやいた夢呼に、視線がくぎ付けになる真弓。
夢呼はこちらをじっと見つめるのだった。
いつもへらへらとしているボーカルの笑みが引っ込むと、強烈に冷たい印象となる。
「まずあたしがステージで歌う」
「うん……」
それは、今やっていること。
視力がほぼ消失している観客たちに対して。
もっとも、意思がない状態、死んでいると思われる状態で視力だけないというのも奇妙ではあるが。
時間を共にしているためマヒしがちだが、死者の匂いに囲まれている面々だ。
昔、転んで膝をすりむいた時の傷口のにおいを思い出した。
マイクから口を話したので、聴き取れなくなる可能性があった。
静かに夢呼は続ける。
「歌えばあいつらの気が引ける……その間に」
七海を見る。
「三人で観客席を抜ける。音を立てずにねーーードアは開いているのは見えているでしょ? そのまま外まで行ってくれよ」
「そっ……!」
「……それでは駄目よ」
愛花と七海が視線を厳しくして声を上げる。
その考えだと夢呼はここでマイクスタンドにくぎ付けのままである。それを覚悟しているのか。
「はは。人の話は最後まで聞こうねェ……! あんたらは外に行って、助けを呼んでくれ、それであたしも助かろうっていう寸法さ、しぶといねえ?しぶとく助かりゃあ
「それでも……!」
丸根マネージャーは助けを呼んでいる。
仮にそれがうまくいかなくても、外に出て行った避難民はいるのだ、騒ぎが知られていないというほうが不自然。
しかしそれでも、呼んだから来てくれるという状況でもない。会場の外で何が起きているのか知りようもない。
夢呼は自分たちでこの場を乗り切る方法を考えていた、良いか悪いかは置いておいて、そんな作戦が。
恐怖は感じる。
しかし、実際のところどうだろう、可能だろうか。
音で奴らを足止めはできる、察知をかいくぐれる。
マイク、音響に問題はないのだ―――会場中に拡声された夢呼の歌声に比べれば。
そろりそろりと忍び足で逃げる女が三人いても、その足音は消えるだろう。
助かることだけでなく、脱出のために能動的に利用する手段。
「どのみち、ここから出ていくにはあの中を抜けていかなきゃあならないことになる―――脱出した生存者以外の、まあ―――千人ってところかな、もはや数えることはできないけどさ」
「……」
改めて、状況を観察してみるなら。
あれだけ暴れていた暴動者の騒ぎは、少なくなりつつある―――人数自体は減っていない。
だが、襲われる側の人間がもういないのだ。
暴動者同士は、体がぶつかることこそあれ、争い合いはしないらしい。
「逃げることのできる人はあらかた逃げてしまったようだねぇ」
それと、気が付いたかい?
夢呼は目配せする。
入口を注視していると、開いているドアから、のろのろと入ってくる影がある―――ふらつきながら入ってくる彼らは当然、正常な人間ではない。
「! 暴動者が入って、来ている……?」
「いったんは外に出たけど、っていう感じかね……」
敵が戻ってきているというのはこの上なく悪いニュースだった。
開きっぱなしの入り口は、現状、あいつらだけが利用している。
「外に出ても、わたしの美しすぎる声によってまんまと吸い寄せられてね。まあ部屋の中のほうが餌が多いと判断したのか、会場内に戻ってくる」
「夢呼、状況を把握してくれて助かるけれど、どういう……つもりで。敵は増えているのよ?良い材料なんて一つもないわ」
ライブハウスの外に出た、死んだ人間、暴動者はほぼいないと考えてよい―――自分たちの周りに敵は集まってくるのだ。
時間がたてば状況が動くかもと考えた時もあったが、まさか、悪いほうにしか進んでいないのか?
私もこれでは何もない、ただ耐えているだけという風にしか思えない。
それはそうと七海だけやけに嬉しそうだったのが真弓にとって不思議に映る。
ふいに沸いた笑み。
脱出計画はまだ計画でしかないが、夢呼が自分を助ける方法を考えてくれていたという事実にじわじわ来ているベーシストであった。
夢呼は自分に気があるんじゃあないかと思って楽しげ。
現在は夢呼狙いのポジティブレズであった。
「でも、いつまで続けるつもりだ―――こんなの、八方塞がりだ、演奏したってただの我慢というか…」
「ああ」
「ああ、じゃあないんだよ―――」
状況わかってんのか、このボーカル。
歌にしか関心がないのか、興味がないのか。
「―――ちょ、ちょっと待ってくれよ」
男の声がしたのでバンドメンバーは振り返る。
「ちょっと、タッちゃん」
女が男をなだめている様子だった。
「
やめろ、と訴える。
それは純粋に女四人を心配するようにも見えたし、そのほかの気配もあった。
すなわちオレたち避難民を、この場に置いていくな、と。
声を上げた二人以外も表情は不安げ、焦りがあった。
同じようなことを言いそうな空気である。
死にに行くような、もんだぞ……今、今のままでいい、何をする気だ?
「あぁ―――そういう一面もあるねェ、死にに行くようなものだね」
「一面って……」
「夢呼、そう、やめて彼の言うとおりよ……いま。この時に無理して出ていくことはないわ。そんなことをしてどうなるの」
サイレンは聞こえる、増えている。
警察は間違いなく、この周辺にたどり着いている、あわよくば包囲。している、はず。
「そうすれば……」
「そうすれば、か―――助けが絶対に来るとは限らない」
言わなくてもいいことをよく通る声で言う夢呼である。
そう、全部通るんだよ隣の部屋まで聞こえる……メンバーはうんざり。
何を考えてそんな態度を―――もう脱出を覚悟しろと、そういうことか?
脱出の強引な手段はいくつかある。
ただ、やはり今はここで動かないことが正解だ。
そうとしか、思えない……。
状況は悪くとも、それでも今、私たちの手で状況をコントロールできる、そこに高揚感はある、成果はある。
本当に脱出をするのか―――私も会場を見渡して何かできないかと、それくらいのことは考えたがどれも可能性は低い。
ノーリスクはあり得ない、何か脱出の過程で、道具を使う手段もあるのだろうけれど、狭いステージに閉じ込められていると、使えるものなど、果たして―――。
こうして楽器で、演奏で奴らを食い止めるのが唯一の正解としか思えない。
私がそう考えていたその時、しかし夢呼は違った想定をしていたらしい。
何も考えていないと思ったが。
どこかで思っていたのだ、夢呼よりも自分のほうがまともだと、状況を正確に把握できると---。
どこに保証がある。
この状況が崩れない保証なんて誰もできないし、この後何が起こるかなんて、想像もつかなかったのだった。
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