第三十三話 連絡
【11月29日 21:06】 音響室内
「駄目だ!何もわかってない!あなたじゃあ―――ただの暴力事件じゃあないんだ!それが何故わからない!」
丸根マネージャーは怒鳴る。
スマートフォンに声を荒げ、握りつぶさんばかりの剣幕だ。
ライブ会場内の音が音響室にも響いていて、それに負けないよう次第に大声になっていった彼ではあったが、最後は怒鳴っていた。
話し相手の女性の声は冷静そのものだったが、一方的にヒートアップ。
その挙句、画面を睨みつけながら赤いボタンをタップし、電話を切った。
「ひどいものだ、話していてイライラする―――あの警察ときたら、一般人を………市民を助ける気がないのかと疑ってしまうよ。まったく―――。こんなにイラつくのは夢呼と電話している時くらいだ!」
「結構な頻度で激怒していらっしゃいますね……」
「それが仕事だからねぇ。変わってくれるかい?ウチのマネージャー。やってみる?」
「いえ、そんなつもりは……」
「そういえば思っていたんだ、あの子たちはボクが男だから―――ホラ。ああいう状態なんじゃあないかなって。いったん女性に全部任せてみるのも、一つの手か……!」
なんてね、と。
口元だけを釣り上げた丸根マネージャー。
爽やかな笑顔だ。
そしてそれでも表情筋は引き攣っていた。
どの程度本気なのやら。
「まあ冗談はほどほどにしておくかな……ふう」
なおもブツブツと言い訳染みたことを言ってしまう丸根マネージャーであった。
電話を切ったあとも表情に陰りが混じる。
この閉所でいつ脱出できるか、この危険地帯が数日続く可能性も出てきた彼の精神は浸食を受けている。
「玉置さん。とにかく、お見苦しい点を見せて申し訳なかったよ……あなたの命にも関わってくるからね……御容赦願うよ」
「は、はあ」
甲高い音楽が鳴り響いた。
身が硬直し、耳を傾ける。
職業柄というべきか、音が場内に鳴り響けばサウンドエフェクトの一種かと思ってしまう二人だった。
しかし、
なんのことはない、パトカーのサイレンの音である。
「この音は……サイレンですよ、サイレンですよね!やっぱり警察は来てくれているんですよ!」
女性スタッフ玉置の笑顔がはじけ、年齢よりも幼い印象を溢した。
しかし丸根マネージャーの口は重い。
「ああ……助けは、来るよね、向かってくるのだろう……」
目が虚ろな彼だった。
警察が何もやっていない、やってくれないというような考えは、本心では思っていない丸根マネージャーである。
先程は喚いてしまったものの、悪感情や恨みはない。
しかし。
問題は簡単に解決しない。
その原因として、情報が伝わっていない、深刻さが伝わっていないことが大きい。
パトカーが一台や二台やってきて、どうなる。
それで何とかなると電話口の相手は、先程のオペレーターは想定しているのだろうか。
現場の様子を知らない者は。
そういう事件だと、まだ勘違いしている。
それが怖い―――。
「助けが来る。来た。―――それで僕たちは助かるとは限らない」
虚ろな目のままに呟く。
見つめる玉置も何も言葉を返せない。
「ケガじゃあ済まないんだぞ、警察だって―――僕は心配してるんだ、両方を」
自分たちもあの子たち、
生きて帰れる保証はない。
それが真実で。
体温が伝わってくるほどに、丸根さんは息を荒げていた。
いや、その段階は終えてただただ疲弊しているようだった。
体力ではなく精神的に。
もう警察は到着している可能性もある。
しかし、それでも―――。
なり重なるサイレンは、二つ、三つと響き合っていたが、二人の心に頼もしさは沸いてこない。
丸根マネージャーが何事かをブツブツと呟く。
終わりじゃあない、と。
「ボクには目標がある―――そのために今こんなところで終わる訳にはいかない」
もちろん
そう言って見つめるマネージャー。
目標がある。
野心めいたものを持っている男性だとは意識していなかった玉置は、少しばかり目を丸くする。
彼も、彼のプロデュースする、彼女たちも。
「丸根さん……」
「あの子たちは………本物だ。あのバンドは本物だ。頭がおかしいし意味がわからない点も多いがね……」
「……信頼を、していらっしゃるんですね」
「信頼……?さあ、どうだろう。とにかくこの状況で、まだ無事なんだ……ステージにいるんだ。もう狂っているとしか言いようがないよ」
遠い目をしている丸根マネージャー。
「
「……丸根さん。他のみんなは、助けに来てくれるでしょうか」
「それは……頼ることはできないだろうね……とても」
脱出できたスタッフも、いるかもしれないが、音響室の扉を二人がかりでふさいでいる際に聞こえてきたもの、襲われる音はなかなか忘れられるものではない。
まずは物が倒れる音か、落下する音、悲鳴と不揃いな足音、痛みを喉から出すような悲鳴。
噛みついた側と噛みつかれた側が抱き合ったまま床に倒れる音。
それらに知った声が混じっていた。
「夢呼……もう少し、ステージで粘ってくれ……!ボクらはまだこの部屋から出られそうもない……」
丸根マネージャーは遠い目から焦点を部屋の機器に移し、呟いた。
同時刻 【11月29日 21:06】ライブハウス外 路上
「―――はあっ、はあっ」
少年の手を引き、駆けてきた警察官。
庄司が呻いた。
呼吸が乱れたが、もう大丈夫だという安堵もある。
車道を渡り切った、背後には開けた空間があり、危険が追い付いてきても見渡せる。
ライブハウスの看板がピンクにブルーに、蛍光色をちらつかせていた。
VIVIAN……ビビ、アン……今さらながら店名を知る彼であった。
乱れ続けた呼吸を整えながら、軟弱な奴だ、と聞こえた気がした。
上司の声。その幻聴。
記憶にある声色もややしわがれていた。
だがいない、彼はいない―――追いかけてきてくれと願った。
何なら怒鳴りつけてくれてもいい。
恐ろしい、何が―――?
静かなものが、静寂が恐ろしい。
背後には影も形もない。
そして何故だろう、杜上の声を思い出すと―――ひどく、息が乱れる。
はぐれたままここまで来てしまった。
「大丈夫か、ここまで来れば安全だ」
小学生の男の子は無言だった。
彼をじっと見つめていた―――感情は豊かではなかったので読めない。
無表情に近い。
大人が息を切らしている様子に驚いているのかもしれない。
つぶらな瞳が街灯に照らされている。
周囲に人を襲う暴動者はいない。
ビル路地の狭いスキマに二人で入り込んだ
危険が少しでもないところへ隠れようと、気遣ったのだ。
だがそれは不安を隠すためでもあった。
小学生になったかどうかの子供まで、不安にさせることはないだろう。
「やっぱり、外にもいないか………?」
パトカーに乗って二人で駆け付けた、あの杜上がいない。
子供を助けることのためだと言えば、あの場ではぐれてしまった上司は許してくれるだろうか。
置き去りのようなものだ―――そうしたことを許してくれるだろうか、あの人は。
警官は電話を掛けた。
繋がるだろうか
「……杜上、さん」
まだ自分を探しているかもしれない。
と思うと―――胸のどこかが締め付けられる想いだ。
建物内に、周囲に味方がいなかったとしても。
それをやる人だ。
あの人はそういう人だ。
傍らに立って様子を窺っている子が、不安げに尋ねた。
「おじさん……」
「お兄さんと言いなさい、坊や。 おじさんもいたんだよ……別にいたんだよ。今ははぐれちゃったけれど。とにかく、キミは……キミはここから離れるんだ」
あの事件の建物、ライブハウスはもう見えない。
周囲に暴動者もいないようだ。
しかし走る一般人の足音は絶えず聞こえてくる。
赤いサイレンに照らされ、その逃走の影が道路にビルに、映っている。
耳元からはコール音が虚しくリピートしている。
通話には出てくれない。
人を待たせるタイプの人ではないのだが。
頼むから、電話に出ることもできないような、乱闘の中から離れてくれ、いくら何でも無理だ。
逃げてほしいというような気持ちと、そんな人ではないという経験が入り混じる。
「キミ―――、お兄さんはやることがある」
子供一人で行動させることに、心の中で引っかかりがあったが、いつ襲われるともしれない、ここから離れることが先決だろう。
彼の親が奇跡的に合流したとして、この場所だったら、ライブハウスの前だったらとなると、助かる可能性は上がっていない。
電話を手に取る。
共に駆け付けた上司ではない―――今度は違う相手にかけた。
署に応援を要請だ。
本部にちゃんと、状況も伝えなければならない。
「……状況は、手に負えない……二人や三人ではどうしようもありません。ええ……そうです、応援と、いや……警察だけでは駄目だ。それから―――!」
頭に手を置いて悩む。
脱出し、逃走経路を考えなくて良くなった今こそ、次の策を考えることができるというものだろう。
しかし交番勤務の一巡査としては経験したことのない事態だ。
度を越しているし、今も止まらずエスカレートしているだろう。
これでいいのだろうか。
いい、とは―――そもそも、いい状態とはなんだ。
どうすればそうなる。
間違えたら恐ろしいことになる、という予感だけは強い。
上司は今連絡が取れないので頼れない。
正解がわからない。
正解は無いのかもしれなかったし、前例がない。
それでも、眉間に皺寄せて、考えるしかない。
「とにかく、内部の状況は何でもお話します―――ですから、つまり……」
悩んでいるうちに電話は意味をなさなくなった。また新しい電子音、サイレンが近付いて来て、オペレーターの声が聞き取れなくなったのだ。
署の銘が入ったパトカーがビヨビヨと電子音をビル間に響かせ、中から同僚である警官が出てくる。
二人の人間が顔を見合わせ、ライブハウスに向かって進み出した。
そこでハッと我に返り、庄司も駆ける。
とんでもないことをしやがる。
「待て! 待って、止まれ!」
行ってはいけない。
あれの中に入ってはいけない。
庄司は同僚やパトカーの前に、走り出す。
両手を広げて声を張り、同僚も何事かとこちらを睨んだ。
逆走して駆けてくる市民が障害となり、その二人の歩みを遅くしたのが幸いだった。
「おい! 出るな!車から出ないでくれ!そっちに近づくな!話を聞いてくれ!」
死地に向かう同僚を体全体で止める。
死んだ者が動く地へ向かうな。
正解はまだ出てこない。
自分は、今出来ることをするしかない。
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