第31話

ほとんど間もなく返信が帰ってきた。


「本当にごめんさい。今どこですか?」


駅前であることを告げると


「ちょっと待っていてもらえますか?

確か駅の南側に深夜営業の喫茶店がありますからそこで待っていてください。

間もなく店引けますから」


待っていて何か良いことがあるとは思えなかったが、酒の酔いと肌寒さもあり、とにかく休みたい気持ちが強く、思考がほぼ止まっていたので、言われるままに深夜営業の喫茶店を探して入り、コーヒーを頼んだ。


しかし、出されたコーヒーに手を付ける間もなく微睡まどろんでしまった。


「松木さん」


柔らかな声とともに優しく肩を叩かれ目を覚まし、斜めになっていた体を慌てて起こした。

「あ、ごめんなさい。お疲れですよね」

「あ、いや、ついうとうとしちゃったよ。お恥ずかしい」


「あ、でも……松木さんの寝顔、かわいかったです」

「え?」


かわいいと言われ、自分の顔が急に熱くなるのを感じた。

おそらく赤くなっているであろう顔を悟られないように、平静を装ってグラスに注がれている水を一口飲んだ。


「あの、松木さん……よかったらなんですけど……」


ヒカルがもじもじとしながら言った。


「?」

「本当によかったらなんですけど、うちに来ませんか?」


「え?それってヒカルちゃんちにってこと?」

「そ、そうです。あ、でも、いやならいいんです」


「いやなわけないよ。でも、ヒカルちゃん、独り暮らし……だよね?」

「あ、はい、だから気を遣わないでいいですよ」


「いやいや、かえって気を遣うでしょ」

「え?どうしてですか?」


「どうしてって……独り暮らしの若い女性のうちにこんなおじさんが行くんだよ」

「……」 


「状況わかって言ってる?」


ヒカルの鈍さに少々呆れながら言った。


「でも……こういう状況作った要因は私ですから」

「そういうことじゃなくて……あ、でも感謝してるよ。

ありがとう」


「あ、じゃあ、来てくれるんですか?!うれしい!」

「え?いや行くと決めたわけじゃ……」


「あ、じゃあ、帰りがけ、近くのコンビニで下着とか髭剃りとか買いにいきましょう」


そういうと喫茶店の計算書をサッと取って会計のところに向かっていった。


あっけにとられて席に座ったままでいると


「松木さん、いきますよ!」


まるで子どもに言うようにヒカルは僕に声をかけ先導するように店を出て行った。


ヒカルの家の近所のコンビニで言われた通り、下着や髭剃りなど必要なものと缶ビールを三本ほど買っていった。


「ここです」


見ると築年数は古そうだが、外観は割とこぎれいな二階建てで六軒ほどのアパートだった。

鍵を開けたヒカルが


「どうぞ、せまいですけど」


と言いながら、ヒールを脱いで、台所が玄関のすぐ脇にある廊下を進んで行った。


「あーなんか懐かしい感じ」

「?」


「学生の頃から社会人になって数年は、俺もこんな感じのアパートに住んでいたんだよ」

「へぇ、そうなんですか。いわゆる1Kってやつですよね」


「そうそう、1K、風呂もユニットでね、トイレと一緒、田舎から出てきた俺にとっては風呂とトイレが一緒っていうのがどうも慣れなくてしばらくはトイレをびしょびしょにしながら体洗ってたよ」

「あははは。ほんとですかぁ?それウケる」


屈託なく笑うヒカルが眩しかった。


それから、しばらくはヒカルが淹れた紅茶を飲みながら店の続きの話に花が咲いた。


「あ、もう2時まわってますね。そろそろ寝ましょうか。先にお風呂入ります?」

「あ、もうこんな時間か。いや風呂は朝入る習慣なんで、ヒカルちゃんどうぞ」


「そうなんですね。じゃあ、私入ってきますね。

お布団敷きますから、先に寝ててください」


そういうとヒカルは押入れから客用なのか、布団を引っ張り出し、自分のベッドと並行して敷いた。


「じゃあ、おやすみなさい」


そういうとヒカルは風呂に向かった。


「おやすみ……か」


さっきまで泥のように眠れそうと思っていたのに、布団に入ってもまるで眠れなかった。


それは、おしゃべりをして目が冴えたこともあるが、何よりシャワーの音が響く風呂の様子が気になって仕方がなかった。


ひとつ屋根の下で二十歳はたちの女が素っ裸で風呂に入っている。

こんな状況で眠れるはずがない。

また自分の中の男を自覚した。

そして同時に本当にこんな感情は久しぶりだと感じた。


『ヒカルを抱きたい』


心の中で呟きながらこんな気持ちになるのは本当なのか、すでに僕の心に深雪はいないのか?

自問自答を繰り返した。

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