神様がくれた100日

滝沢晴

第1話 目覚めたら南の島


 十三階建てビルの屋上のフェンスを越えて、僕は足下を見た。

 米粒のような人の往来、ミニカーみたいな車の列。下から吹き上げてくる生ぬるい風に、前髪を巻き上げられた。

 震える左手でフェンスをつかみながら、僕は首からネクタイを引き抜いて放り投げてみる。はらはらとゆっくり落下していく紺色のネクタイに自分を重ね合わせ、脳内でシミュレーションしていた。こうやって僕も落ちていくのか、と。

 信号で、ビル前の人の往来が途切れる。

「……人に当たりませんように」

 僕は意を決して、フェンスから手を離した。ぐらりと身体が傾いて、頭から地面に向かって落ちていく。落下していく自分と目が合う。ビル全面に張られたガラスのせいだった。

 さようなら、もう生きていられないんだ。



++++



 目が覚めると、見慣れないコテージの天井が飛び込んできた。

「竜也、目が覚めた?」

 視界にそう言ながらひょっこり顔を出したのは、妻の奈央だった。黒いつやのあるロングヘアが、差し込んでくる朝日に照らされて揺れた。

「奈央……?」

 僕は身体を起こした。まだ意識がもうろうとしている。窓の外を見ると、朝焼けの海が広がっていた。その美しさに一瞬見とれたあと、妻を振り返る。

「あれ、なんだかいろいろ思い出せない……」

 すると奈央が僕の手を取って、アーモンド型のきれいな目を潤ませた。

「あんた、ビルから飛び降りたんだよ」 

 どきり、と心臓が動く。その落下する感覚を、覚えているような気がしたからだ。

「哀れに思った神様が、あんたに100日間の猶予をくれたんだって」

 道理で、飛び降りたというのにぴんぴんしているはずだ。ここは現実じゃないということか。きっと現実では身体はぐちゃぐちゃなのだろう。

「猶予……」

 ベッドサイドに座った奈央が、僕をふわりと抱きしめる。

「本当に竜也は馬鹿ね……でも今は何も考えなくていいから。百日間、私たちはこの島でふたりきり」

 そう言われて僕の胸はキュウと音を立てた。よく考えたら、なぜ僕は自殺しようとしていたのだろうか。それすらも思い出せないまま、妻の香りに包まれて目を閉じる。

 一日目の朝のこと。 


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