神様からの贈り物(mother)

一九一〇年、マケドニアに建築会社の父とクリスチャンの母のもと、三人兄弟の末っ子として生まれたアグネス・ゴンジャは十二歳の時、中世の聖人アシジが重い病気を転機に神と貧しい人々に一生を捧げた『聖フランシスコ物語』の「主よ。私をあなたの平和の道具としてお使いください」という言葉に影響を受けて、すべてを捨てて生きることに憧れを抱くようになっていた。

また独立戦争に関わった父が九歳の時に毒死させられていたこともあり、彼女はクリスチャンの母、ドラーナの教えを強く受ける事になる。


「大切なのは、あなたがやりたい事を知るのではなく、神様のお望みを知ることよ」


と、母の言葉に導かれるように彼女は、アイルランドにあるロレット修道会のシスターになり、修道名・テレサとなる。

十八歳の事だ。


そしてインドに派遣された。

それ以来、彼女は家族と会うこともなくなったのである。

聖マリア女学校の教師となり、八年後には学校の校長となっていた。

しかし、かつてインドで一番美しかった街が第二次世界大戦によってスラム化し、難民が溢れ、一九四三年のベンガル大飢饉により貧困化。

汚物にまみれた老人、いきだおれ、栄養失調の子供たち。

彼女は、自分は何もしなくてもいいのだろうかと疑問を感じるようになっていた。


一九四六年、インドの独立を前に回教徒とヒンズー教徒が対立し、カルカッタの混乱が激しくなっていく事に、自分の存在に疑問さえ感じるようになっていた。


自分は完全には神に捧げてはいない。


何かが違うという苦悩から、アイルランド・ダブリンの修道院に向かう汽車の中で、うつらうつらと夢見心地。

その中で神の声を聞いたのだと言いだした。

それもハッキリとした言葉できいたのですと。

それは彼女の決意でもあった。

「病める者に手を差しのべて、家もなく、飢えるものを助けなさい。

神の手となり、愛をもって、貧しい者の中で、最も貧しい者を救いなさい」

と。


相談を受けたヴァン・エグザム神父は、「あなたはアイルランド・ダブリンに本部のある修道会の修道女であり、此処を離れるには修道院の許可がいります。

他にも管区長・総長・ロレット修道会の許可。さらにはローマ教皇庁のローマ教皇の許可が必要なのですよ」

と諌めたが彼女の決意は固く、

一九四八年の七月、特例としてロレット修道院をでる事になる。


三十八歳の事だ。

頼る者のいない社会に一人でスラム街に出る。

インドの召使いが着るサリーを纏っていた。

来る日も、僅かな食べ物や薬を分け与えた。

与える者がない日は他人から施しを受けて、それを与える毎日、彼女の周りに物乞いが増えてよってきた。新手の布教活動かと怪しまれたり、物乞い扱いされる事に何度も挫けそうになった。

そんなとき先輩のシスターは、いつでも帰って来てくださいと優しい言葉をかけてくれた。

その言葉に絆されそうになる。

自問自答。

神は何を望んでいるのか、まるで見えて来なかった。


「大丈夫ですか」

明らかに病に苦しんでいる女性。

彼女を助けてほしいのですと病院へと連れていったが門前払いで診てもらえない。

「あなたには何も見えていないんですか。

この女性よりも大病にかかっている人は幾らも街に転がっています」

と。

そこで、はじめて現状を理解する。

自分は医者ではないから看病で専門的に人を救うことはできない。

では、いったい何をすればいいのだろうか。

と、さらなる挫折。


苦悩の最中、少女の物乞いに金をくれと強請られる。

彼女は金を持っていないので、とりあえず米を持って、ついていった。

少女には兄弟がいた。

それに母も。

少女は何日も食事をとっていないといっていたが、彼女の母は受けとった米を半分に分けて、裏の家の人たちも何日もたべていないのよと、その米を分け与えていた。


自分の飢えよりも他人を想いやる事が出来るなんて、人はなんて素晴らしいんだろうと感動した彼女。


与えようとしていた自分が思いやりや慈しみを与えられている。


それに気づくと胸が熱くなってきた。


その少女を初めに、スラム街の子供たちに青空教室をはじめだした。


そんなある日、ロレット女学校時代の教え子たちが一緒に手伝ってくれるようになる。

女の子たちが、私を仲間に入れてくださいと言ってきたのだ。


「とても、つらい仕事なのよ」

「勿論です。

その覚悟は出来ています」


やがて、自ら分け与えてくれる人や、無償で場所を分け与えてくれる人たちの協力が増えて、ローマ教皇ピオ十二世から、その活動を認められた。


貧困に喘いでいる国に於いては、常に救われぬ葛藤がある。


道端で横たわる男性を見つけた。

体中、うじがわいていて誰一人、近寄ろうともしませんでした。

連れて帰り、体を洗ってあげると彼は言いました。

「なぜ、こんなことを?」

「あなたを愛しているからよ」

そういうと、微笑みを浮かべて息絶える男。

彼の手を握っていると、彼女の手をシッカリと握りかえして亡くなった。


こんな死に方。

させていいのだろうか?


まるで野良犬か野良猫だ。

神の子である人間の死は、もっと美しくあるべきである。


貧しい人が死ぬまで見捨てられたままにならないために。


「誰からも愛されず必要とされない心の痛み。

これこそが最もつらいこと。

本当の飢えなのです」

見捨てられた人たちが穏やかな死を迎えるために「死を待つ人の家」をひらく。


そこに連れられてきた者には名前と宗教をきいた。

イスラム教徒にはコーラン。

ヒンズー教にはガンジスの聖なる水。

亡くなった時の弔い方を知るためである。


まずは一人から、すこしずつ人々の心を揺り動かしてきた。


そして一九五五年には、身寄りのない子供たちのために「孤児たちの家」を開いた。


ある日、母を亡くした赤子が運び込まれる。

しかし赤子は何も口にしなかった。

このままでは、この赤子は亡くなってしまうと思案しているシスターたち。

テレサは亡くなった母親に一番よく似ているシスターを呼んで、

「他の事は何もしなくていい。

この子に、かかりっきりになってあげて。

シッカリと抱きしめてあげてね」

と言った。


二日たつと、赤子はミルクを口にふくむようになった。


何らかの理由で親を失ったり、見捨てられた子供たちには、

「あなたも望まれて、この世にうまれてきたのですよ」

と接する事が大事だった。


また一九五九年には差別と偏見により心に深い傷をおっているハンセン病患者にも救いの手を差しのべる。

彼女はシスターたちに言っていた。


「患者たちに触れなさい。

愛をもって触れるのです。

あなたが触れているのは病の中にいる神様そのものなのですよ」

そして患者には、

「あなたはかけがえのない素晴らしい一人の人間なのですよ」

と生きる喜びを取り戻させた。


テレサはシスターたちと笑顔の耐えない生活を送っていた。


「私たちは貧しい人たちと生きる事に喜びを感じます。

それが神様からの素晴らしい贈り物なのです」

と彼女は言っていた。



一九七〇年、ベイルートの内線に介入する。

戦火の中。


「怪我人を運んでくるだけの事です」

「それは危険です。

考えるのはいいですけど」

「考えるだけではありません。

私たちの義務です」

「運びだそうとして、逆に我々が犠牲になるとしたら」

「大丈夫です。

両方の軍隊にかけあいます」

「命を捨てるようなものだ。

自分が何を言っているのか本当に解っているんですか」

「私はこう思っています。

何年か前、カルカッタの道端から最初の人を助けて以来、四万二千人を助けました。


今度も最初の一人から助けます」


と、

そんな彼女には強運があった。

翌日、砲声がなりやんだ隙をみて子供たちを救いだしたのだ。

兵士ですら危険で近づけないなか、彼女は無計画に現場に赴き、何が必要とされているか考えていた。


その後、マザーハウスからシスターが世界中に派遣される様になる。


「仕事とは量ではなく、愛をこめること。

与えなさい。

心が痛むほどに」


という教えのもとに。


先進国でも訴えた。


「この国の何処に飢えた人間が?

この国の何処に裸の人間が?

この国の何処に家のない人間が?

この国にも飢えた人間はいます。

一切れのパンを求める飢えではなく、愛を求める激しい飢えです」


と、

そんな活動の中、彼女は多くの批判を受けてもいた。

「死を待つ人の家」は衛生面が良くなく、生きる為の施設ではなく、薬をだしていないとか、痛みに耐える事は尊いといっていた彼女がアメリカで治療を受けてペースメーカーを入れていた事など非難されたが、彼女は単に専門家ではなく知識がなかった事と、年齢をかさね、自分の信仰に頑なになっていた為に自分の宗教観を押しつけている事も、その原因となっていた。


カトリック教は彼女の事を聖女として持ちあげていた。


彼女は自分が聖女ではないと否定している。


「私たちの行いは大河の一滴にすぎない。

でも、何もしなければ、その一滴もうまれない。


愛の反対は憎しみではなく無関心です。


思考に気をつけなさい。

それはいつか言葉になるから。

言葉に気をつけなさい。

それはいつか行動になるから。

行動に気をつけなさい。

それはいつか習慣になるから。

習慣に気をつけなさい。

それはいつか性格になるから。

性格に気をつけなさい。


それはいつか運命になるから」


なぜ洗濯機がいらないのか。

冷暖房に頼らず、映画やパーティーにも無縁。

それを求めるのは自然で、あたりまえの事です。

でも我々は求めません。

貧しさを知らずに貧しい人はたすけられないからです。



確かに効率のいい手段はあるし方法もあったかもしれないし、彼女の死後、四七億の寄付が遺されていたことから、そのお金があればファーストクラスの病院が三つは建設できたなど言われているが、彼女の使命は魂を救うことに殆どの神経をついやされていた。


生命よりも魂や尊厳を尊重したのだ。

完治する可能性がないものに延命する事で本当に魂は救われるのか。

それはやはり身近にいて世話をする人間にしか分からない。


そこに白黒をつけるのは簡単な問題ではないのである。


ひたすらに心の救済を願うために、貧しい者を世話するということ。

それは生命と魂について深く考える事であり、そんな彼女だからこそ紡がれた様々な言葉の中には今を生きる人たちに魂の尊さを教える言葉もある。


晩年、様々な薬によって人の生命は救われるようになり、病気は減っていたが、もっとも恐ろしい病気はなくなっていないと彼女は言った。



その病気が孤独であると。




パンへの飢えがあるように、豊かな国にも思いやりや愛情を求める激しい飢えがあります。

誰からも愛されず必要とされない心の痛みです。

与えてください。

あなたの心が痛むほどに。


神様はおっしゃいました。

人間の義務はお互いを愛する事です。

愛しましょう。

そして忘れないでください。

平和とは愛があってこそなしえるという事を。

神様の祝福があれば、どこにいても、お互いを愛しあい、平和の喜びを広めることが出来るのです。


すべての人に。

神の祝福を。



彼女の求める救済は、今も彼女が育てたシスター達によって行われている。


彼女のことを、人はマザーと呼んでいた。








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