磔(ナザレのイエス)
二千年以上前。
ユダヤ人はローマ帝国により支配されていた。
その支配下にあって、ユダヤ人は各地で小規模ながら反乱を起こしていたが、それは全て不発に終わった。
そんな最中、ナザレにイエスという男がいた。
大工の父、ヨセフの跡取りとして三十歳すぎまでは何の取り柄もない男だったが、ユダの荒野で洗礼を行っている洗礼者ヨハネの元に洗礼を受けたことにより、人生が急変する。
イエスはヨハネの弟子となり、教えを乞うようになった。
ヨハネの父、ザカリアはユダヤ教の祭司である。
ユダヤ教の教えは律法(トラー)による神との契約の元にある。
ユダヤ教の祭司たちは汚れを嫌った。
病や障害は、心の汚れから発症する。
祭司たちは、そういったもの達を見捨てていった。
信仰にはローマ人の手が及ぶことはなく、沐浴にはルールがあり、神殿に生贄を捧げたりと古いしきたりが残っていた。
ヨハネはユダヤ教の厳しさを身につけており、あらゆるものを否定していた。
その中には父の教えやユダヤ教さえも例外ではなかった。
イエスは、そこに疑念を抱き、ヨハネの元を離れて四十日の断食を行うため誘惑の山を登っていった。
彼は其処で自問自答を繰り返していた。
心の中にひそむ悪魔と。
悪魔の名前はサタンと言った。
サタンは彼に問いかける。
「おまえが神の子と言うのならば、この石がパンになるように命じてみろ」
と。
「人はパンのみで生きるものではない」
とイエスは答える。
悪魔には、この世のあらゆるものを自由にする力がある。
ある日、悪魔は彼を聖なる都の高みに立たせて彼にこう問い詰めている。
「神の子ならば飛び降りてみろ。
神は天使をつかわして、お前を守るであろう」
「いいえ、あなたの主たる神を試してはいけません」
とイエスは答えた。
ならばと悪魔は一瞬で世界中の富と武力と権力を見せつけて、
「もし、平伏して私を拝むのならば、これらすべてを与えよう」
と、しかしイエスはウンザリして、
「退けサタン。
神である主を拝み、ただ主に仕えよ」
と悪魔を退ける。
それが現実とも幻ともつきはしないが、
三十二歳の事だった。
ヨハネと袂をわかったイエス。
彼と心を同じくするものにアンドレとヨハネがいた。
イエスは彼らと故郷のナザレで教えを説いたが、彼らの言葉はこれまでのユダヤ教の教えとは違いすぎた。
そのためイエスは村を追われ崖から突き落とされそうになった。
そこで彼らはガリラヤ地方で、アンドレの兄で漁師のシモンの元に身をよせて、身分の低い女性や皮膚病患者の病気を治して渡り歩いていた。
それを人々は奇跡とよんでいた。
「もし良ければ、私と共に来てはくれないでしょうか。
魚ではなく、人間の心をとる漁師にしてさしあげます」
イエスはアンドレの兄、シモンを気に入ってついてくるように説得した。
彼はシモンのことをペトロ(岩)とよんだ。
その後、彼は知識を深めて医療に通じるようになり、様々な奇跡を各地で行った。
これがローマ帝国のピラト提督の耳にも入るようになる。
ユダヤ各地の争いを疎ましく思っていたピラトは指導者になりうる者の存在を気にかけていた。
そして、イエスの噂を聞きつきたイスカリオテ(刺客)のユダがイエスの弟子となった。
彼は軍事活動家で、イエスの名の元、反乱を企てている男だった。
「人々の欲望は尽きることがない。
私の引き起こす奇跡とは、まるで見世物のようなものだ。
終われば、また次が要求される。
それも、これまでにはない、さらなる奇跡を求められるのだ」
目の見えぬというものに眼鏡を与えて視力を与えた。
湖で偶然だったが嵐をしずめたこともある。
五つのパンと二匹の魚しかない場所で、食糧の調達方法を教えて、五千人の生命を救った事もある。
もう生きていたくないと棺に入り、土に埋められたものを掘り起こして生きるように説得した事もある。
すべては弟子たちが脚色して広めてくれる。
それは事実よりも奇跡的な神業として人々に伝わっていく。
皆、私に群れを軍に変えて反乱する事を期待していた。
しかし、それは出来ないのだ。
私には生命を傷つける事に抵抗がある。
臆病者と罵られようとも。
そんな心境の最中、洗礼者ヨハネがローマ帝国に入り処刑された事をきき、私はショックを隠せなかった。
どうして今の時代の人々は成果を欲しがるのだろうか。
ハッキリ言うが私は何の成果も示すことが出来ない。
自分に何が出来るのか、その行く末に私はエルサレムがあるように思えてきた。
ある小山での垂訓である。
「こころ貧しい人々は幸いである。
天国は、その人たちのモノである。
かなしむ人々は幸いである。
彼らは慰められるだろう。
柔和な人々は幸いである。
その人たちは地を受けつぐ。
あなたがたも聞いているように、目には目を歯には歯をと命じられている。
しかし、私は言っておく。
悪人に手向かってはならないと。
誰かが右の頬をブツのなら左の頬を向けなさい。
あなたがたも知っているだろうが、隣人を愛し敵を憎めと教わっている。
しかし、私の意見はちがう。
敵を愛し、自分を迫害するモノのために祈りなさい」
と、その言葉が大勢の人々の前で私が言った最後の教えであった。
私に付いてきたものは皆、私に落胆して見捨てたのだ。
英雄にはなれない臆病者のこの私を。
私の元に残ったのは十二人。
彼らは十二使徒と名乗って布教をしていたが、誰も私を理解しない。
私でさえも私の事が解らなくなってきた。
いくら救世主と周囲に持ち上げられても、具合が悪くて仕方なかった。
「それでも行かなければいけない」
エルサレムに救世主はロバに跨り東の門から入るのだと伝説がある。
過越祭の日に神殿にはいり、そこで騒ぎを起こして捕まればいい。
私が死ねば、争いで人が救われるなどと馬鹿げた夢も見なくなるだろう。
万が一、私が戦争で勝利したとしても、それはユダヤ人だけの幸福で、ローマにとってのものではない。
人は誰もが同じように救われるべきなのだ。
宗教が生活に根づいているために人は正義を見失っている。
ユダヤ教はユダヤ人だけが救われると言っている。
ユダヤ人しか救わないなど真実の神の行為だろうか。
私は、神の恩赦に国境も人種も宗教もないと考えている。
「私の父の庭で商売をしてはならない」
と、ユダヤ教の祭司たちの面前で神殿内の露店を破壊していった。
馬鹿げた行為だ。
すぐに祭司が告げ口をしてローマ軍がやってくる。
私の生命など取るに足らぬ風前の灯火だった。
それから三日目の晩の事である。
コの字型の席の真ん中に私は座っている。
左手にはNo.2のユダがいる。
右奥にはヨハネ。
左奥にはペトロがいる。
全員が席に座ったら食事を始めるのだがその前に、「あなたがたの一人が私を裏切ろうとしているようだ」と言ってみた。
すると誰のことか聞いてくるので、私がパン切れをスープに浸して渡してみせるのが、その人だといって、左手の男に渡した。
ひとこと、「成すべきことを直ぐにしなさい」と誰にも聞こえぬように耳打ちして。
するとユダは席を立って出ていった。
祭司の元に私を捕らえるように密告する。
彼はまだ信じているのだろう。
私がユダヤ人を救う英雄であると。
必ず奇跡を起こしてくれると。
だが、私はユダヤ人を救おうなど考えてはいない。
貧困は平等にやってくるし、絶望も苦難も平等なのだ。
私はユダヤ人のみならず世界を救うべきなのだ。
「私といても禄な目には合わない。
みなさんも私の事を見捨てるといい」
と弟子を私は遠ざけたが、
「皆が貴方に躓いても、私は貴方に躓かない」
とペトロは忠義めいた事を言う。
彼は勇敢だから私を救いにローマ軍に潜みこんで私を助けに来るかもしれないが、軍の数を知らないからきっと逃げだしてしまうだろう。
「ひとつ予言しておきましょう。
あなたは今夜、ニワトリが鳴く前に三度、私の事を知らないというでしょう」
不思議なモノで暗示を与えておけば人はそれに引き寄せられる事がある。
「そんな馬鹿な。
たとえ一緒に磔にされたとしても、あなたの事を知らないなんて言いませんよ」
と。
人の言葉は虚しいだけだ。
真実が胸を擡げてくる。
死を前にしてだからだろうか。
私たちはゲッセマネの万国民教会で休息をとる事にした。
皆と一緒に居られる最後の夜に、血の汗が滴るほど苦しみ悶え一人で祈った。
私にとってはもう一刻一秒も無駄には出来ない貴重な時間だったからだ。
しかし、戻ると弟子は皆、眠りについていたのだった。
「なるほど。
あなた方は、このような僅かな一時も私と共に目を覚ましてはくれなかったのですね」
自嘲。
私は孤独感に包まれた。
だからこそ死への恐れも抱かなかった。
そして、ローマ軍がやってくる。
弟子たちは私を見捨てて全員が逃げ出した。
私は捕獲されカイアファの祭壇、地下牢で夜を過ごすことになる。
ペトロが忍び込んでいたようだが、俺は知らないと叫んで逃げだしているようだった。
私の身柄はローマ軍のピラト提督の手にあったが、提督は私を裁けずにいた。
救世主伝説が流れてはいたものの実際の罪が大きくなかったからだ。
しかし、ユダヤ教の祭司たちは彼の処刑を求めてくる。
自分たちの宗教を脅かす存在として警戒しているのだろう。
それも理解してはいるのだが決定打に欠けていた。
そこで提督は祭りの場で民衆に委ねることにした。
「ナザレのイエスが沈黙を守るのならば罪状をつける必要がある」
提督は部下を使って情報収集をした。
民衆もイエスを救うことはないだろうと聞かされる。
「彼はユダヤ人のための反乱を起こさなかった。
ユダヤの裏切り者と知られています。
ユダヤ人に彼の処分を委ねても誰も救いはしないでしょう」
と。
提督は聞いていた。
「お前たちユダヤの同胞を殺しつづけてきたバラバと、ユダヤの王を名乗り反乱を企てた男の、どちらか一人を救おうと思うが皆に決めてもらいたい」
と。
人々は話が終わる間もなくバラバの名前を連呼した。
「バラバを救うのならば、救世主を名乗ったナザレの男を、私はどうするべきだろうか」
と聞くと。
人々は十字架にかけろと言う。
提督は、民衆の言葉に従った。
ユダヤ人の問題をユダヤ人に解決させようと考えたのだ。
「主よ。
このものたちをお許しください。
彼らは自分が何をしているかも解らないのてす」
私は折檻をされた後に十字架を背負わされてエル・オマリエを歩く。
第二ステーションの鞭打ちの教会からだった。
「アイツ徴税人にも手を貸したっていうぜ」
「徴税人ったらローマ人の手先じゃないか」
「売春婦や女たちにもだ」
「聞いた事あるよ。
あっちこっちで不倫している女がいるから皆で石を投げつけようとしたら、あいつがやってきてさ、一度も罪を犯してない人間が投げろって言ったんだ。
どっか頭がイカれてんのさ」
罵詈雑言を浴びせられて第五ステーションで動けなくなると、ローマの役人が田舎から見物に来ているシモンという男に手伝うように命令した。
そこから歩く。
第八ステーションでエルサレムの娘たちが泣いていた。
「この人はなぜ、ここまでの苦しみを味あわなければならないのですか」
娘たちはシモンに聞いた。
彼が言葉に詰まっていたので、
「エルサレムの娘さんたち。
私のために泣かないでください。
むしろ、自分と子供たちのために泣きなさい」
と。
私には解っている。
エルサレムの滅亡は近い。
私は神への使命感の為に死ななければならないのだ。
ゴルゴダの丘。
私は救おうとした人々の手によって十字架にかけられたのだ。
引きまわしから十字架にかけられる間、人々が見ているのは無抵抗で何も出来ない男の姿だけだった。
「主よ。
彼らをお許しください。
彼らは自分で何をやっているか解らないのです」
わたしは弱く、意志を持たずに死ぬのならば、それは単に恐怖でしかない。
ただ信じる事のために生きる力があるから、やってこられたのです。
「彼の弟子は誰一人として戻ってはきませんでした。
ただユダという男が報酬の銀貨三十枚を神殿に投げ返して、その後に首を吊ったそうです」
「そうか。
私には解らないが、身内だけを救うものと、それよりももっと大きなものを救うものと、本当に尊いものとはどちらだろうか。
あの男は、自身が裏切り者と罵られようとも、裏切った弟子たちに恨みごとなど言わなかった」
十二時に十字架にかけられて、三時間後には亡くなっていた。
何者かのイタズラで、ユダヤの王と書かれた板キレが打ちつけられていた。
彼の静かな姿。
あれほどに忍耐強く、優しさと愛に満ちて。
罵られ、ぶたれても復讐をするのではなく頬を向けろと言った許しに満ちた人格は、完全な美しい人間の実例だと、彼の死に様は後の世の多くの人々に影響を与えていく事になる。
当時は誰も想像さえしなかった事だ。
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