ちくわぶアンソロジー(10,346字)

20200119 文学フリマ Kyoto

ちくわぶ密室殺人事件 ~事件編~

【登場人物一覧】

あさみつ:捜査一課の刑事。変人。アサヒの三ツ矢サイダーではない。

部下ぶか:部下。朝日の部下。部下である。

とう一茶いっさ:被害者。茶道の師匠。伊藤園のお~いお茶ではない。

めい治千代子じちよこ:伊藤の元弟子。目が不自由。明治のチョコではない。

とりさん:伊藤の弟子。現場に来たことがない。サントリーではない。

森永もりなが小枝さえ:伊藤の弟子。事件の第一発見者。森永の小枝ではない。

崎栗ざきくり:伊藤宅の家政婦。江崎グリコではない。


* * *


「死亡者はとう一茶いっささん、六五歳。鍵のかかった密室で発見されたため、司法解剖に回されました。その結果、死因がニコチン中毒ということが判明、高濃度とは言い難いため、事故と事件両面で捜査しています」


 警視庁捜査一課のあさみつは、部下の説明を熱心に聞いていた。朝日が現場となった広い部屋を自由に歩き回るものだから、几帳面な部下は朝日の後を必死に追いかける。


「へぇ、ニコチン中毒に事故ってあるんだ」

 説明に突然口を挟まれた部下は、自分に聞くなよという顔をしていたが、もちろん朝日本人の手前、口には出さない。


「事件だと思ってたんですか?」

「警察官としては、事件の方が面白い」

 事件を面白がる警察官など警察官失格ではないのか。こんなちゃらんぽらんなアホ朝日光哉が殺人事件に強い刑事だなんて、東京ももう終わりだ。まともな神経ではない。まともな神経を持つ人間である部下は、この一件を痛ましい事故であって欲しいと思っている。


「事件だったら、一番面白いのはやっぱり保険金殺人じゃない? こんな大邸宅だしさぁ。あるいは人間関係のこじれ。茶道の家元の座を誰が引き継ぐかを巡って泥沼の争いが、ってね。それにしても、茶道の家元が一茶という名前だなんて、面白いねぇ」


 茶道の家元の名前が一茶、思っても誰も口に出してこなかったタブーなのに、この男、やすやすと……。下衆の勘繰りがほとばしる朝日の表情に、部下は呆れた。


「事故によるニコチン中毒の死亡例では、煙草の灰皿代わりに使用されていた缶の中身を間違って飲んだ例がありますよ」

「でも、缶のようなものは部屋にはなかったんだろ?」

 朝日は鋭いことに気付く。意外なことに。


「はい。死亡前に食べていた食事にも問題はありませんでした」

「調べたんだ。仕事が早いね」


 感嘆した朝日は部下の頭を優しく撫でた。部下の背筋が気色悪さに縮み上がる。部下が縮んだ背筋を伸ばすのにも気づかず、この部下は褒められて喜んでいるだろうと朝日は思いこんでいた。


「その日の食事が鍋だったそうです。同じ鍋をつついていた人々にニコチン中毒が出ていないということから、食事には問題がなかったとわかります」

「一茶さんは何ごともなく食事を終えて部屋に戻った、と?」

「はい、食後に一服するためにいつも自室に戻るそうです」


「そこで異変か……」

「彼の自室から大きな物音がしたので様子を見に行き、マスターキーで扉を開けたら、一茶さんが倒れていたそうです」


 ニコチン中毒ということは、事故にせよ事件にせよ苦しんだに違いない。大の男が暴れた挙句に倒れた音は、いくらこの邸宅といえど響くだろう。

「しかし、最後の晩餐が鍋ってのもオツだな」

「……そうですか? 自分は自分の好きなものを食べて死にたいです」

「自分の好きなものを食べて死ねる人間なんか、そうそういないぞ。自殺くらいじゃないか? そう考えたら、最後が鍋というのはマシな方だろ」


 オツだと言っていたのに、マシに主張が変わっているが。


「しかし、なんの鍋なんだろうなぁ。俺はすき焼きが好きだなぁ」

「鍋といっても、おでんだそうですよ」

「おでん? おでんは良いな、うん、おでんは良い」


 好きなおでんの具を語り始めそうな雰囲気を察し、部下は慌てて話題を変えた。

「ニコチンを経口摂取した線は薄くなりましたが、注射痕もありませんし、ニコチンは経皮で死ぬ毒ではありません」


「手詰まりじゃないか」

「端的にいえばそうです」


「ニコチンの作用を遅延させる薬を飲ませておいて、前日にニコチンを飲ませたというのは?」

 ニコチンは致死量を摂取後、およそ三十分から一時間ほどで死に至る。逆に言えば、死亡するずっと前にニコチンを摂取したのはありえない。何か薬を使ったのでない限りは。それを朝日は疑っている。


「そのような薬は、それ単独で別の症状が出ると司法解剖で言われました。検出もされていません」

 だが朝日の推論は明確なデータによって完璧に抹消された。


「おでんの食器に毒が塗られていた、というのは?」

「食器は家政婦によって洗われていたので、毒は検出できませんでした。それに、食器はみな同じものを使っていましたから、だれがどの食器を使うかはわかりません。ですので、あらかじめ毒を仕込むことはできません」

 これもまた難解な事実だ。


「もし事件だったとすれば、容疑者はどうなってる?」

「当時、この邸宅にいたのは被害者を含めて五人です」

「五人? 少ないな」


「休日でしたからね。弟子が三人と家政婦が一人、そして被害者です」

「一人一人に話を聞こうか。できるかい?」

「ええ、もちろん」


 朝日ならきっとそう言うと思っていた。今回も、既に容疑者から事情聴取は済ませているが、わざわざ朝日のためにこの場を設けている。それほど、警視庁は彼に一目置いている。元々、朝日はこの事件の担当ではなかったのに、わざわざ呼び出されたという点で期待の度合いがわかる。


 変人の朝日だが、彼をを御すことさえできれば、事件は解決したも同然だ。部下は、口角を少し上げて警察官たちに容疑者を集めるように指示を出した。


* * *


「動機があるのは誰だ?」

 容疑者を揃える準備をしながら、朝日は部下に尋ねた。

「ありません。全員に動機がありません」


 え、と朝日は驚いた。


「誰一人、動機がないってのか?」

「一茶さんが恨まれているという話も聞きませんし、雇い主と師匠ですよ? 師匠を殺しても後ろ盾を失うだけです。無意味です」


 言いながら部下は不審そうな目を向ける。この朝日という男、本当に捜査資料を読んでからここにやってきたのだろうか?

「まあいい、とりあえず容疑者から話を聞こうじゃないか」



めい千代子ちよこと申します。一茶師匠の弟子でございます」

 初めに通された車椅子の女が深々と頭を下げた。関西弁の女だ。捜査書類には京都出身と書かれている。そばにはもう一人女が立っている。これも容疑者だ。

森永もりなが小枝さえと申します。私も一茶師匠の弟子です」

「何で二人いるんだ?」


 通常、容疑者は別々に呼び出す。同時に容疑者が部屋に入ってくるのは不自然だ。

「千代子さんは、三年前から事故で目が不自由なんです。ですので、介助に一人、妹弟子の小枝さえさんがいらっしゃるそうです」


「当日、何されてました?」

「私は何も……。最近、足を骨折してもうて、ずっと小枝さんに手伝ってもろてるもんですから。ねぇ小枝さん」


「はい、最近はずっとそうです」

「ということは、一茶さん宅に泊まり込んでいるということですか?」

「私はそうです。視力を失ってから、私はこの家にいさせてもろてるんです。私は、もうお茶はできませんのに、一茶師匠はずっと私の面倒を見てくれはるんです。まさか死んでもうたなんて……」


 千代子は泣き出した。小枝が千代子を慰める。部下は慌ててポケットティッシュを差し出した。


「私が家に来たのは、千代子さんが骨折してからです」

 千代子の涙が落ち着いたところで小枝は冷静に答えた。


「事件当日も、ずっと介助をしていたと?」

「ええ、トイレ以外はずっと一緒でした。その日は師匠が参加されるイベントの準備日でしたが、実際に準備をするのは午後の予定でしたから、午前はゆっくりしていたんです」

 小枝は事件の第一発見者でもある。


「師匠の部屋から、大きな音がしたんです。どうかされたのかと思って部屋の扉をノックしてもお返事はありませんでした。なので、私がマスターキーを持って部屋を開けたんです」


 小枝は目の不自由な千代子を除けば、弟子の中で最もこの家に詳しい。マスターキーを持って第一発見者となっても全く不自然ではない。しかも、発見時の状況も最初の事情聴取時と合致している。朝日は小さく礼を言い、話は終わりだと言って二人を部屋から帰した。緊張がほぐれ、部下が大きくため息をつく。


「あの二人、双方に強いアリバイがあるということになりますね」

「二人が共犯でなければ、だがな」

 朝日は鋭い目をしていた。捜査のスイッチが入ったらしい。


「共犯だったとしても、目が不自由で車椅子に乗っている千代子さんに犯行は難しい。となると小枝さんか……。だが、千代子さんは目が不自由なのだから、それこそ目を盗むことも可能かもしれない。だとすると、単独犯である可能性もある」

「どうします? 次の容疑者を通しますか?」


 ぶつぶつ呟きながら朝日は頷いた。部下は軽く返事をして次の容疑者を通す作業に入った。この部下、かなり朝日の扱いに慣れてきたと言えよう。


「お名前は?」

 新たな容疑者が入ってきてからずっと目を瞑っていた朝日が初めて目を開けた。容疑者であるところの男は、朝日の眼光にぶるりと震える。


とりさんと申します。一茶師匠の弟子です」

 この男も関西弁である。一茶は関東出身のはずだが、弟子はみな関西からとるというルールでもあるのだろうか。弟子になったのは二年前、まだ十九歳の若造だ。

 彼もイベント準備のために一茶宅にやってきていたが、この家に来るのは事件当日が初だという。


「僕は当日、特にアリバイ等はありません。ずっと動き回っとったんで……」

「ずっと動き回っていたんですか?」

「はい。僕は最年少ですし、家政婦のくりさんだけでは足らへんので」


 確かに、千代子と小枝はなかなか動けないし、この広い家で家政婦一人で作業を賄うのは難しい。


「ということは、おでんを作ったのはあなたですか?」

「いえ、それは栗子さんです」

「あなたは全くおでん作りには関わっていないのですか?」

「いえ、買い物リストくらいは作りましたけど。あとは食卓の準備くらいで……」


 朝日は首をひねる。買い物リストを作った程度で一茶を殺すことはできない。

「買い物リストは栗子さんに任せなかったんですか?」

「師匠は、気難しいお方でもあるんです。食事で嫌いなものが出たら、食卓をひっくり返すほど怒って、家を出て行きはるんですよ。僕は怒られ慣れとるんで、僕が怒られるんが一番被害が少ないんです」


 そんなに怒るほどのことだろうか。だが案外、茶の道はそういう人間こそ大成するのかもしれない。全くの門外漢の二人にはわからないが。


「嫌いなものって?」

「魚の練り物です。かまぼことか」

「うわあ、しょぼいな」


 朝日は眉をひそめて部下に耳打ちした。それは部下も朝日と同意見だった。かまぼこが食事に出てきたくらいで食卓をひっくり返すなど、間抜けな絵面にも程がある。が、きっと本人は真剣なんだろうし、本人がいないから言えることである。


***


「そうですそうです!」

 一茶宅の家政婦であるざきくりは大きくうなずいた。彼女は標準語である。ずっと慣れない関西弁を聞いていた部下は、少しほっとしていた。まだ三十路という年頃の彼女はお喋り好きなのか、尋ねもしないのに一人でどんどん喋る。


「事件当日は、私が食材を買ってきておでんを作り、完成したら設置されたコンロの上にどんと鍋を置いて、私が盛り付けてみんなで食べたんです。その時には異常らしい異常は何も……」


「おでんの食材リストは鳥井さんが作ったんですよね?」

「はい。一茶先生は難しいお方なので、詳細はお弟子さんに任せています。私も家政婦頭なので、それなりに先生のことをわかっているつもりではいますが、やはりお弟子さんには勝てませんから」


「え、家政婦さんは複数おられるのですか?」

 朝日は驚いた。本当に捜査資料を読まない人なんだな、と部下は嘆息する。

「普段はそうですが、事件当日は私だけです。休日だったものですから」

 栗子の他は通いの家政婦なのだという。


「事件の後は、問題が起こらないように皆さんお休みしてもらってます。私としては、話し相手が少なくてつまらないんですが」

 家政婦同士の噂話が好きなのだそうだ。雇い主が無くなったというのに、笑顔を崩さない彼女のプロ意識に部下は脱帽する。


「え、どんな噂をしてたんですか?」

 朝日は微笑みながら尋ねる。その下卑た表情に部下は嫌な予感がした。これはもしや、朝日は事件解決のためではなく興味本位で尋ねているのではないか、と心によぎった。誰にも言わないように、と釘を刺した後、栗子はもじもじしながら話し始めた。


「千代子さんと一茶先生ができてるんじゃないかとか、いや千代子さんとできているのは鳥井くんだとか、そういう類のことです」

「…………」


 千代子と一茶は三十歳以上も歳が離れているし、千代子と鳥井にしたって十歳近く離れている。それをくっつけてキャイキャイ言うのはどうなのか。だが、それを陰で言うことの罪悪感はあったようで、栗子は随分しおらしくなっている。


「最後に一つだけ教えてください」

「何でしょう」

「当日のおでんの具には、何が入っていたんですか?」

「大根、こんにゃく、たまご、厚揚げ、豆腐、後はちくわぶとサツマ揚げだと思います」


「捜査資料と全く同じです」

 部下が朝日に耳打ちする。こうでもしないと、捜査資料を読んでいない朝日にはわからないだろうと思ったからだ。そしてその推測は正しかった。そうなんだ、と驚いた顔で答えたからである。


「えー、栗子さん。お話は以上になります。ありがとうございました」

 急に考え込み始めた朝日を放置して、部下は栗子を帰した。容疑者を見送った朝日はずっと考え込んでいた。何かぶつぶつ呟いているのが気色悪いが、部下は朝日をチラチラ見ながら放置することにした。


「なるほど。事件は読めた」

 突然、朝日はにやりと笑った。部下の口があんぐりと開く。これが東京で一番殺人に強い刑事と名高い朝日の本領だ。


「まずは、逮捕状を出してほしい人間がいる」

 朝日は一人の名前を部下に耳打ちした。勿論、容疑者のうちの一人だ。

「みんなを集めよう。本来は容疑者を集めるなんてことはしないんだが、確かめたいことがある」


 わかりました、と部下は丁寧に頭を下げた。

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