好きなままで好きでいい

猫柳蝉丸

本編

 放課後、秋の夕空の体育館裏。

 愛の告白にはうってつけのシチュエーション。

 僕はそこに千佳ちゃんを呼び出して顔を合わせていた。

 いつも活発で元気なのに、今に限って長い髪を揺らしながら戸惑った表情を浮かべているように見えるのは、きっと僕の気のせいじゃないと思う。

「それで春樹、あたしに用って何なのよ、急に」

 千佳ちゃんも気付いているのかもしれない。これから僕が何を言おうとしているのか。

 ここまでシチュエーションを整えて勿体ぶっていたって意味が無いし時間の無駄だ。僕は高鳴る心臓の鼓動を感じながら言った。千佳ちゃんの瞳を真正面から見つめながら、僕の胸にずっと秘めていた本当の気持ちを。

「僕は千佳ちゃんの事がずっとずっと前から好きだったんだ。僕と付き合ってほしい」

 嘘偽りの無い僕の本心。伝えた。十七年幼馴染みをやってきてやっと伝えられた。

 千佳ちゃんの表情が更に戸惑ったように歪んだのを僕は見逃さなかった。

「な、何を言うのよ、急に……」

「急じゃないよ、千佳ちゃん。僕はずっとこの気持ちを伝えたかったんだ。今まで勇気が無くて伝えられなかったけど、今日こそは伝えないといけないって決心して千佳ちゃんを呼び出したんだ」

「藤井ちゃん……、そう、藤井ちゃんはどうしたのよ? 最近、仲が良いんでしょ?」

 やっぱりその話題になったか。

 僕は頷きながら千佳ちゃんの質問に答えてあげる事にした。

「藤井さんとは確かに最近仲が良い方だと思うよ。下校で一緒になった事も何度もある。それでね、藤井さんに訊かれた事があるんだよ。僕と千佳ちゃんってどういう関係なのってさ。確かにそうだよね、男と女の幼馴染みでこんなに長く付き合いがあるのなんて珍しいもんね。それで僕も思ったんだ。僕は千佳ちゃんの事をどう思ってるのかって」

「どう……思ってるのよ……」

「逆に訊くよ、千佳ちゃん。千佳ちゃんは僕の事をどう思ってるの?」

「ま、前も言ったと思うけど、春樹はあたしにとって弟みたいな存在で……」

「知ってる。でも、僕は千佳ちゃんの弟じゃない。異性の幼馴染みなんだよ、千佳ちゃん」

「どうして……?」

「どうしてって、何が?」

「ねえ春樹、あたしとあんたって結構上手くやってたじゃない。異性の幼馴染みとして仲良くやれてたじゃない。男女の友人関係って珍しい関係を築けてたじゃないの。それで不満なの? 友達以上恋人未満みたいな関係じゃ不満だって言うの?」

「不満なんだよ、千佳ちゃん」

 千佳ちゃんが絶句するのが分かった。今になってやっと僕が本気なんだって気付いたみたいだ。それも仕方ないかもしれない。僕はずっと千佳ちゃんに引っ張られていた。それこそ弟みたいな存在だった。そんな僕がこんなに自分の意志を通そうとするなんて思ってなかったんだろう。

 僕は更に押した。

 この溢れ出そうな想いを伝え切れるのは、きっと今日しかないと思うから。

「僕は千佳ちゃんと付き合いたい。千佳ちゃんの彼氏になりたい。千佳ちゃんの恋人になりたい。そう思うのって悪い事かな? 僕は千佳ちゃんの弟じゃない。異性の友人でもない。友達以上恋人未満って立ち位置で満足したくない。だから、千佳ちゃんに告白しようと思ったんだ。怖かったけど、すごく怖かったけれど、勇気を出したんだよ」

 僕は思っていた言葉を全部伝えた。秘めていた想いを全部伝えた。伝えられた。

 伝えてしまうのは、簡単な事だった。

 千佳ちゃんは言葉を失っている。

 僕にどう伝えるべきか迷っているんだろう。どうしたらいいか迷っているんだろう。

 それだけで千佳ちゃんの返答が決まっているようなものだったけれど、僕は待った。今の千佳ちゃんの表情をずっと覚えていようと思った。だってほら、これがきっと、僕と千佳ちゃんの――

「ねえ、春樹」

「うん、千佳ちゃん」

「あたしは……、あんたと遊ぶのが楽しかったの」

「僕だってそうだよ」

「ずっとご近所でずっと幼馴染みで幼稚園から高校までずっとずっと一緒で、楽しかった。後ろをちょろちょろ付いて来るあんたを見ていて微笑ましかった。男と女だったけど、男女の友情ってあるんだって信じられた。ずっとそんな関係でいたかったの」

「僕はそれじゃ困る……、それじゃ嫌なんだよ」

「どうして? 男女の友情の方がずっと尊いものだって思わない?」

「そういう関係がある事は知ってるし否定もしないよ。それでも、僕はその関係を僕と千佳ちゃんの間に当てはめたくないんだ。僕は千佳ちゃんの彼氏になりたかったんだ。小学生の頃から、ずっと」

「そんなに、前から……?」

「知ってるよ、千佳ちゃんの好みが背が高くて男らしい人だって事くらい。だから、今まで言い出せなかった。自分が千佳ちゃんの好みのタイプじゃないって事を知ってたから、ずっと動き出せなかったんだ。成長したらどうにかなるかもって淡い期待もあったんだけどね、駄目だった。僕の身長はあんまり伸びなかったし、気の弱い性格も直りそうになかった。だから、逆に待ってちゃ駄目だって思った。言い訳ばかりして一歩踏み出さないのは逃げだって思ったから。だから、今日千佳ちゃんに告白したんだよ、僕は」

「春樹……」

「もう一度、訊かせてほしい。僕は千佳ちゃんの事が好きだよ。千佳ちゃんの彼氏になりたい。それが僕の胸にずっと隠してた本当の気持ちだよ。千佳ちゃんは? 千佳ちゃんは僕とどうなりたい? 僕の彼女になってくれる……?」

 僕の言葉に千佳ちゃんは目を伏せた。

 残念ながらその頬は紅く染まってはいなかった。嬉しそうな表情でもなかった。

 つまりは、そういう事なんだ。

 だけど、僕は待った。千佳ちゃんとはもう二度と元の関係には戻れない。友達以上恋人未満で居られた最後の瞬間を感じていたかったから。

 五分以上の沈黙が過ぎて。秋の夕焼けがもっと沈んで。僕達の影を伸ばして。

 千佳ちゃんが辛そうな表情で口を開いた。きっと僕を傷付けないよう言葉を選びながら。

「あたしは……、あんたの彼女になれないわ、春樹」

「そっか……、そうだろうと思ってたよ、千佳ちゃん……」

「分かってて、告白したの……?」

「分かってたよ。僕が千佳ちゃんの彼氏になれないって事くらい。それでも伝えたかったんだよ、僕がずっと千佳ちゃんの事を好きだったって事をね。友達以上恋人未満なんてそんな曖昧な関係を続けるのは嫌だったから」

「もう元の関係には戻れないって分かってたのに?」

「それでも、だよ」

 僕の意志が固い事に気付いたらしい千佳ちゃんが大きな溜息を吐いた。

 何だかとても悲しそうに見えた。

 それくらいには僕も大切には思われていたんだろう。

「あたしは春樹とずっと友達で居たかったのに……」

「うん。でも、僕は、嫌だったんだよ」

「もう……、一緒に下校とか出来ないよね……?」

「そうだね、やめておいた方がいいと思う。そんな事されたら僕も変に期待しちゃうよ」

「宿題を一緒にやったり、お互いの家に行ったりも出来なくなるんだね……」

「そういうのは千佳ちゃんの彼氏とやるべきだよ。大丈夫、千佳ちゃんなら彼氏の一人や二人くらいすぐに出来るさ。僕がこんなに好きになるくらいなんだから」

「ちょっと待って。どうしてあたしが励まされてるのよ……」

「どうしてだろうね……」

 これ以上話していても未練がましいし間抜けなだけだった。

 僕は千佳ちゃんに告白して、思っていた通りに振られた。それだけの事なんだ。

 叶わぬ想いを持ち続けるよりも、その方がよかったんだ。

 だから、僕は千佳ちゃんに背を向けて歩き出していく。

「それじゃあね、千佳ちゃん。告白出来て良かった。今まで……、ありがとう」

「春……」

 千佳ちゃんは僕を呼び止めようとしてくれたのかもしれない。

 だけど、僕はそれに気付かないふりをして歩き出していく。

 秋の風に吹かれ、枯れ葉が舞うのを目にしながら、鞄を手に通学路を歩く。

 もう二度と千佳ちゃんと歩く事のないだろう道を見つめながら、思う。

 これで、よかった。何もかもこれでよかったんだと。

 思わず、胸に隠していたもう一つの言葉が僕の口から漏れ出していた。

「清々したな」

 清々した。本当に清々した。

 僕は知っていた。千佳ちゃんが僕と付き合おうなんて絶対に思ってはくれない事を。

 もっと言うと千佳ちゃんは僕の事を都合の良い幼馴染みとしてしか見てくれていなかった。僕は知っている。『弟みたい』とか『男女の友情』とか『友達以上恋人未満』なんて関係は相手を都合良く扱うための方便でしかない事を。期待だけ持たせて自分の思うままにコントロールしたいだけなんだ。それに自覚があるかどうかは別として。

 迷惑だった。付き合ってもいないのに一緒に下校しようと誘ってくる千佳ちゃんが。休日に遊びに誘ってくる千佳ちゃんが。嫌だった。そんな千佳ちゃんを邪険に扱えない自分が。どんなに期待しても付き合えないのは分かり切っているのに。他のクラスメイトから僕と千佳ちゃんの関係が邪推されるだけだって事も分かっているのに。

 藤井さんの事だってそうだ。僕は別にまだ藤井さんの事が好きなわけじゃない。一緒に帰ったりするだけで好意ってほどの感情も持ってない。それでもショックだったんだ。藤井さんが僕と千佳ちゃんが付き合ってるって勘違いしてるって事が。それほど好きじゃない藤井さんにそう思われてるだけでもショックだったんだ。いつか千佳ちゃんの他に好きな人が出来た時、その人からまた勘違いされるのなんて勘弁だった。新しい恋の障害になるのなんて絶対に嫌だったんだ。

 だから、僕は千佳ちゃんに振られなくちゃいけなかった。

 友達以上恋人未満なんて都合の良い関係を終わらせなくちゃいけなかったんだ。

 叶わない想いを胸に抱いて、好きな人をずっと好きなまま生きていく。

 そんな恋はロマンティックだけれど、自分でやるには重過ぎるし人生は短い。

 特に僕はずっと近くに居た幼馴染みにすら恋愛対象にされなかった男なんだ。叶わない恋心を抱き続けて、青春を棒に振ったりなんて出来るわけがない。積極的に他の相手にアタックしなくちゃ幸せを手に入れられないんだ。今からだって遅過ぎるくらいだ。それくらいの事は僕だって分かっているんだ。千佳ちゃんだけに目を向けて、他の幸せから目を逸らすのはもう嫌なんだ。

 好きなままで好きでいいなんて、時間と才能に恵まれた人間の戯言なんだ。

 これから、僕は僕の人生を生きていく。千佳ちゃんの幼馴染みじゃない。僕として僕の幸せを探していくんだ。千佳ちゃんの事は本当に好きだったけれど、どうやったって恋人になれないのなら単なる赤の他人になった方が賢明ってものなんだ。

 僕は清々した気分で独りの通学路を歩く。

 隣に千佳ちゃんはもう居ない。これからどうにかして新しい相手を見つけ出すんだ。

 込み上げる笑顔を押し届ける事が出来そうにない。僕は笑顔で空を見上げる。

 ……夕焼けに目が沁みたせいだろうか?

 いつの間にか僕の左目から一筋の涙が流れ出してしまっていた。

 どうして涙が流れてしまったのかは分からないけれど、まあいいか。

 僕は右の口元で微笑んで、左の目から涙を流しながら最後にもう一つだけ呟いた。

 嘘偽りのない正直な気持ちを、相反した本音を秋の通学路で呟いたんだ。






「あーあ! ……よかった!」



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