あなたへ

森 侘介

2019/11/25 あなたへ

前略


霜月もあとわずかでおわりですね。

北国では、林檎の収穫をおえるころ、らしいです。

今日ぼくは、東京向島で、おおきなおおきな林檎の木の剪定をしてきました。

梢は三階建ての窓までのび、枝ぶりはゆうゆうと歩道をこえ、向かいの駐車場までそのゆびさきをのばし、たわわにむすんだ林檎の実が、大きな樹姿におじぎをさせているようにみえました。家の人が種から育てたと聞いたときには、心底おどろき、おもわず笑ってしまいました。

また、さきの台風ですでに百いくつとその実を落としたとも聞きましたが、今日ぼくがとったぶんをざっと数えてみましても、さらに百をこえていたように思われます。

7mほどの高さで枝を剪っていたものですから、のこぎりのぎいこぎいこにあわせてゆれる枝々から、実がいくつもいくつも、まっすぐにおちては、割れていました。

「ニュートンの林檎」のお話がほんとうかどうか、ぼくにはわかりようもありませんが、さもありなんと思われるような、きれいな直線でおちていくのを、樹のたかさからたしかめました。


ちいさな、まだ青々とした実をいくつかえらんで、車にかざって一日をすごしましたが、枝からはなれてもなお大きくなろうとせずにはいられないような、林檎の内からの圧、声、みずみずしく、おもく、したたかな、いのちを、その実から感じられるようでした。


被爆地での法王の祈祷、アッシジの聖人のあのうつくしい祈りをおもいだしながら、まだ青いその林檎たちをみつめていました。

…イヴはリリスにそそのかされて、知恵の実を食べたといわれていますが、それが林檎だとはバイブルにも書かれていないそうですね…

もとより林檎の実に罪咎のあるはずもなく、清冽な水とさわやかで気どりのない香気そのもののかたまり、ぼくはそう認識しています。かわいいものです。


渋滞する霜月の国道を、のろのろとすすんではとまりをくりかえす長蛇の列のなかにあって、人間が得たとされる「知恵」とは、いったいなんのことだろうと考えてみました。

午後五時にもならないうちに、空はうすずみ色にくもりはじめ、真っ赤な林檎のようなテールランプのまるいひかりが、国道の陸橋のむこうまで、いくつもいくつもつらなっていました。


ぼくは煙草をふかしながら窓を開け、つめたい空気をほほにあててひとつの歌をくちずさんでいました。


赤いリンゴに くちびる寄せて

だまってみている あおい空


あのこよいこだ きだてのよいこ

リンゴによく似た かわいいこ


戦争も原爆も、車も国道も、恋も詩も、みんな果実でしょうか。

ぼくに答えなどあるはずもなく、そもそもそれは問いですらないものですから、煙草といっしょにもみ消しました。


うたいましょうか リンゴの唄を

ふたりでうたえば なお楽し

みんなでうたえば なおなおうれし

リンゴのきもちを 伝えよか

リンゴ可愛いや 可愛いやリンゴ



林檎のかわいさ、寒くなる夕方を自転車ではしる女子高校生たち、そのほほが林檎のように赤く見えたのは、きっとぼくの希望をうつした幻です。

けど、彼女たちは、みんな明日のマリアみたいで、とても、とてもきれいだったのはほんとうです。

あなたみたいに。



おやすみなさい。

よい夢を。



草々

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