その居候、学園一の美少女につき

北橋トーマ

序章 俺と姉と知らない女

第1話 全てはここから

 それは『出会い』と言うにはあまりにも唐突で、『遭遇』と言う方が正しいのかもしれない。


 時は3月の下旬。外ではちょうど日が落ちてきた頃合い。


 場所は都心に程近い場所に建てられたタワーマンションの32階にある俺の姉の部屋の玄関。


 そして遭遇したのは男と女。


 男の名は川澄優斗かわすみゆうと。つまりは俺だ。


 とある事情があって家の奥底に眠っていた大きめのキャリーバッグを相棒として、在来線と新幹線を乗り継ぎ、かれこれ3時間以上かけて一人暮らしをしている姉の元までやって来た。そのせいでさっきまでは疲れ切った顔をしていたのだが、今はお手本のような真顔をしていることだろう。


 そして女の方だが、困ったことに目の前に居る彼女に関する情報を俺は何一つ持ち合わせてはいない。


 拾える情報といえば外見くらいだが、それも凝視するのは憚られた。

 理由は至ってシンプル。その女、着ていたのはダボダボのTシャツくらいのもので、ズボンもスカートも履いては居なかった。Tシャツが伸びているおかげで下着は見えてはいなかったが、それでもほとんど下半身をさらけ出している女の姿は、今年の春から高校生になるピュアボーイには精神的にしんどいものがある。


 そして繰り返すようで恐縮だが、目の前の女のことを俺はまったく知らない。

 あらかじめ預かっていた合鍵を使って扉を開けたらその女が居た。俺の記憶が正しければこれが初対面で、前に写真などでも顔を見た覚えは無い。


 ここでポイントになるのは、現在この部屋に家主たる姉は居ない。急な仕事が入ったとかで家を空けているという連絡を受けていた。


 すなわち、主観的に見れば誰も居ないはずの姉の部屋に凄い格好の見知らぬ女が居たという、非常に不可解な事が起こっている。


 そしてあちら側もあちら側でいきなり現れた俺の存在に驚いているのか、口をポカンと開けて、着けていたヘッドホンを外す途中で固まっていた。


 この時、俺はまるで時間が止まったかのような感覚に陥っていた。

 でもこの世界に超能力も魔法もスタンドも存在していない以上、それはあくまで錯覚だ。人間の意思ひとつでこの静止した空間は動き出す。


 でもって未知との遭遇を果たした人間のリアクションなんて限られている。メジャーなやつで言えば、言葉を失うか絶叫だ。


「うおああああああああ!!?」

「キャァアアアアアアアア!!?」


 かくして男と女が高級マンションの一室で同時に絶叫する現場が完成した。


 この時ラッキーだったのはこの絶叫を近隣住民に通報されるようなことにならなかったことと、程なくして姉が帰ってきたことだった。




 ――そして何よりもアンラッキーだったのは、これ以降の俺の人生において切っても切れない関係となるこの女、桜井美奈さくらいみなとの忘れられない出会いが、こんな出来れば思い出したくも無いものになってしまったということだ。



「いやー、ごめんねユウ君! 本当は駅まで迎えに行ってあげたかったんだけどさ、恩のある人からの頼みだったからどうしても断れなくて! この埋め合わせはいつかするから許して!」

「別に怒って無いけど。その件に関しては」

「美奈ちゃんもごめんね! せっかく遊びに来てくれたのに私が家に居なくて」

「いえ、それについては心配要りません。愛理さんが忙しいのは私も重々承知してますから」

「それじゃあこの件は一件落着ということで――」

「いや、何も落ち着いてないんだけど。誰なんだよこの女」

「何よその言い草。そっちこそどこのどなたよ」

「……まあ、そうなっちゃうよね」


 家に帰ってきた俺の姉、川澄愛理かわすみあいりは帰って来るとすぐに俺たちに対する謝罪と釈明の場を設けた。四人掛けのダイニングテーブルに座らされて話し合うことになった。

 しかし姉の話は俺の耳にはほとんど入っていなかったし、視線も正面に座る姉では無く、隣に座る例の女の方を向いている。


 女も同じく俺の方を睨んでいた。ちなみにさっきと違ってジーンズをはいていた。これもこれでかなり使い古しているのか、色はかなり落ちている。


「それじゃあ私の方から2人の説明をします。まずは赤コーナー、桜井美奈。私の友達の妹なんだけど、めっちゃ懐いてきて家にやたら入り浸るから合鍵を渡しちゃった子です」

「は?」


 言われてたった今紹介された女――桜井を見た。

 腰の辺りまで伸ばした髪の色は一目で染めていると分かる金色をしている。さっきは格好にばかり目が行ってきちんとは見れていなかったが、スタイルも結構良い。あと顔も。

 これが街中で不意にすれ違ったとかなら、一目惚れしていたかもしれない。しかし出会いがアレなものだから、特にそういう感情は抱けない。

 何故か俺の方を向いてどや顔を向けてきたのが余計に俺に男としての感情を抑制させていた。


「私はちゃんと愛理さんからこの家の留守を任されているの。あんたがどこの誰か知らないけど――」

「弟」

「は?」

「だから、そこに居る川澄愛理の血の繋がった実の弟。だから鍵持ってたし、この家にチャイムも鳴らさずに入ってきたの」

「……マジ?」

「マジもマジよ美奈ちゃん。それではあらためて紹介します。青コーナー、川澄優斗。私の1人しか居ないかわいいかわいい弟です。仲良くしてね? ……出来る範囲で良いから」


 今度は桜井が呆気にとられる番だった。

 俺はささやかな仕返しとしてどや顔を見せつける。倍返しの意味も込めたピースも添えてだ。

 桜井はプルプルと震えていた。


「いやー、本当にゴメン。私が先に説明しとくべきだったのにすっかりもう話した気になって忘れてた。ユウ君がウチに住むってなったら2人は絶対に顔合わせることになるものね」

「ちょっと待って愛理さん。それどういう意味?」

「どういう意味もそのまんまの意味だよ。俺は今日からこの家に住むの」


 俺が一人暮らしの姉の元まで一人でやって来た理由がこれだ。

 もともと実家で両親と共に住んでいた俺だったが、父親の海外赴任が決まって両親は外国に行くことになってしまった。

 俺もまた、共に行くように言われたが海外に引っ越す事への不安や諸々の事情から日本を離れたくないなどの理由でそれを拒否した。

 そうは言っても高校生になったばかりの人間に一人暮らしは難しい。そこで俺にとっての救いとなったのは姉の存在だ。

 既に成人し、それなりにがっぽり稼いでいた姉のマンションに住まわせて貰う。部屋が余っていたこともあって姉は快くOKしてくれたので俺は厚意に甘えたというわけだ。


「ほら、まったく使ってなかった部屋あったじゃん。そこにユウ君が住むことになったの」

「な、なるほど……」


 何故か桜井は半信半疑な様子だった。いや、なんというか新たな光明を見出したかのような、困惑の中に希望を感じさせる表情をしていた。

 ……なんなんだコイツは。


「というか、なんで姉ちゃんは合鍵なんて渡したわけ?」

「ほら、仕事の都合で家を空けることも多いから。それなら誰かその時の家の様子とか見に来てくれる人が居ても良いかなって。放っておいてもこの子はしょっちゅうウチに来ちゃうからいちいち出迎えるのも面倒になったっていうのもあるけど」

「姉ちゃんがそれで良いなら良いけど」


 しかしそれならさっき言っていたように前々から教えておいて欲しかった。俺の方が家に居る時間は長いのだから、この先桜井と出くわす回数は少なくないはずだ。

 まあ、どこまで言っても姉の友人でしか無い。今日みたいにあられも無い姿を見たり見られたりしない限りは大丈夫だろう。

 ――そうやって自分を自分で安心させた直後の出来事であった。


「愛理さん。私もここに住みます」

「は!?」


 とんでもない言葉が飛び出した。

 本気で何考えてんだコイツ!?


「何? 何言っちゃってくれてんの? というか何で赤の他人が一緒に住むとかいう話になるわけ?」

「私が愛理さんのこと好きだからに決まってるでしょ」


 この世の真理みたいな言い方をされても俺の頭は処理が追いついていない。


「いやいや、おかしいだろ。第一、好きだから一緒に住みましょうって発想になんでいきなり至るわけ?」

「今までは同居なんて事考えもしなかったから」

「……今は?」

「あなたが住むって言うからそういう発想もあるんだと思って」

「俺、家族なんだけど?」

「今それ関係ある?」

「あるよ!」


 桜井は首を傾げてるけどこっちは衝撃のあまり首がもげそうなんだが。


「いいでしょ愛理さん。こいつに部屋一個あげてもまだひとつ余ってるし」

「まあ、元からあそこの部屋は美奈ちゃんが好きに使ってるし、住んで無くても週6日は家に来るから親御さんの許可が出るなら私は別に良いけど」

「良いんだ……」


 ところで赤の他人である男と女が同じ家に住む葛藤とかそういうのは無し? 俺としては他ならぬ姉の家でそういうことに手を出せば多大な迷惑をかけることは分かっているから絶対にしないが……女性の方は少しは気にするべきだと思うのだ。


 そんな俺の心配などまったく気にせずに桜井はガッツポーズしていた。


 この数分間の交流の中でムカつくくらいにマイペースな女というのはよく分かった。


「じゃあ私ちょっとお母さんに連絡してきます!」


 そう言って桜井は携帯を持って廊下へと出て行った。冗談を疑っていたわけでは無いがいざ行動に移されてもやっぱり実感が湧かない。


「なあ姉ちゃん、あいつ……桜井って何者なの?」

「うん? さっきも説明した通り友達の妹なんだけど、やけに懐かれちゃってね。それでウチに通うようになったの。たぶん一人暮らし始めてから一番長い時間を一緒に過ごしている人じゃ無いかな?」

「週6日も通ってるってのはマジ?」

「マジ。一人の時間ができたらとりあえずウチに来てるもん。まああんまり来るものだからこりゃあいっそのこと住んだ方が色々と楽なんじゃ無いかなって思ったことは何回かあったし、ちょうど良かったんじゃ無い?」

「だからってOKするかね。俺一応男だぜ?」

「アンタがそんな節操の無い悪い子ならちゃんと断ってるよ」

「おー、俺ってば信頼されてるじゃん」

「そういうこと。まああの子は気が強いし腕っ節もそれなりに強いからやってもやり返されるわよ」

「うわ、ますます近寄りたくなくなった」


 俺の中の桜井の評価は完全に危険人物のソレになっていた。

 あの手の行動力が凄まじい女は何をしでかすか分かったものじゃ無い。俺がこの短い人生で手に入れた教訓のひとつだ。


「お母さんからOK貰えました! これで一緒に住めますね愛理さん!」


 廊下から満面の笑みを浮かべた桜井が戻ってきた。

 そしてその一報はどうしようも無く俺の今後を確定させたワケで。


「それじゃあ今日はお祝いでもしよっか。この家に3人で住むっ記念ってことで」


 家族とはいえ、所詮は住まわせてもらっている立場の俺にはこの決定を覆す権利は無く、甘んじてこの現実を受け入れるしか無い。


 かくして、俺と姉と知らない女の奇妙な同居生活が始まったのである。

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