史上最悪の魔導学者は、今日も混沌を齎す

百合好きマン

第1話 プロローグ

 闇が大気を支配する断崖絶壁の頂きにある古城。

 その内の、奥の奥。寂れた玉座の間の、その座に君臨する一人の偉大なる存在がいた。


 黒い鎧に赤いマントを羽織り、ヤギのように内側に捻れた巨大な角が左右に伸びる。蝙蝠の翼に獅子の鬣を乱雑に伸ばしたその男は、かつてはこの世に混沌の限りを齎した悪の権化。

 大いなる邪悪の体現者たる、黒の魔王である。


「……どうするべきか」


 そんな人の理からは外れに外れた、その魔王は頭を抱えていた。彼は今、盛大な悩みを抱えており、そうして頭を悩ませるその様は、本来あるべき偉大さとは掛け離れ、実に矮小なものに見えた。


「もはや我一人の力では、戦況を覆すことは不可能。人畜生共め……、忌々しい」


 今、この世界は巨大な戦火に包まれている。二つの種族による生存を賭けた、一心不乱の大戦争が、この世界の至る所で起きている。

 その種族というのは、人と魔物である。


 今この世では、毎日のように人と魔物が争い、各地で殺し殺され、侵し侵されが行われている。

 そして、そんな二種族の片側の、魔物側の長。それが魔王たる彼である。


「増えるしか能のない欠陥品どもが何故だ」


 魔王は奥歯を噛み締める。


 今の戦況は最悪だ。

 今まで侵略していた人間の村々は人間の手によって解放され、逆に自分たち魔族の村々まで人間どもは進軍しており、

 その過程で膨大な魔族の戦力が失われた。その中には彼の直属の部下で、魔族側の最高戦力の四体も含まれていた。

 残る強者は自分だけという状況だが、自分はこの城より離れることができない。


 どうするべきか。彼は考える。

 実際はもうどうにもならないのだが、愛しい魔族の為に彼は考えることをやめるわけにはいかなかった。


「……それにしても一体何故だ。何故、我らが追い詰められている」 

 

 始めは自分たちが圧倒的に優勢だった。

 当然といえば当然だろう。

 魔族は数こそ人間よりは少ないものの、その性能は人のそれを遥かに凌駕する。

 一人一人が一騎当千の怪物共だ。そんな存在が徒党を組み、数しか取り柄のない人間相手に戦争に望む。

 この時点で、その結果がどうなるかは自明の理。本来ならば、一方的な虐殺になるはずだった。

 にも関わらず、だ。

 今ではこのザマだ。


 何かがおかしいと彼は思う。

 戦力差がこうも容易くひっくり返されるなどありえない。

 今、何かが起きている。自分では想像するのも難しい何かが、起きているのだ。

 だが、しかし、彼の思考では、そのおかしい何かが一切見えてこなかった。



 魔王は必死に思考を巡らせるも何も分からない。そうして必死に思考を巡らせている魔王の背後。

 虚空の薄闇に紛れてぞわりと視線を感じた。


「!!」


 魔王は思わずバッと振り向き、後ろを見る。と、そこには一人の、少女が立っていた。白髪と赤目が特徴的な少女だ。


「何だ。貴様は……一体、何者だ!」


 魔王は咄嗟に立ち上がり、いつでも戦えるようにと身構える。


「貴方が……、貴方が、闇を統べる偉大なる魔の王ですか?」


 少女は首を傾げながら訊く。

 声も言葉もあまりにも無機質。

 冷たい、というような次元を遥かに逸脱している。ただただ声も言葉も機械的な少女だ。


「……だとしたら何だ?」


 魔王は相手の情報を探るために問い返す。


「……御身に私の力を捧げます」

 

 少女は敬意も関心も一切なく、ただ機械的に膝を着き、頭を垂れた。


「何だと?」


 魔王はあまりに突然のことに理解が追い付かなかった。


「この我を馬鹿にしているのか。貴様の力だと? そんな脆弱なものを我が求めると思っているのか!」


 魔王は憤慨し、指先を眼前に控える少女の後頭部に向ける。


「その無礼は万死に値する」


 魔王の怒りはそのまま高密度の弾丸として少女の後頭部に放たれて、そして、直撃するその瞬間に弾けて消えた。


「な、に?」


 魔王は驚き、愕然とする。


「魔王様」


 少女はゆるりと顔を上げて魔王を見る。その目に映るのは、相も変わらず不気味なまでの虚無だ。


「その程度の攻撃では、私の防壁を突破することはできません。あまり無意味なことにその力を使うのは愚行です」


 少女は事実のみを淡々と告げる。

 

「防壁……だと。貴様、何者だ」


 少女はゆっくりと顔を上げて、魔王を見上げる。


「私は魔導師ノアによって造られた、七つの生物兵器が一種。憤怒を喰らい尽くす静謐の役割を担う、蒼の大罪ーー」


 少女は淡々と自身の正体についてを語る。


「その名はガブリスといいます」


 魔王は驚きのあまり言葉を失った。

 別に、彼女のことを知っているわけではない。むしろ、無名にも等しいはずだ。しかし、その造物主たる存在は、知らぬものなどきっと一人もいないだろう。誰もが知っているほどの、大物。


「……魔導師ノア……だと」


 魔王は徐々に思考力を取り戻していく。


「そんな莫迦な!? ありえない! あの史上最悪にして最低の魔導学者。クソッタレの半端者の異常者の名が何故ここで出るのだ!」


 存在そのものが狂気で、その存在との邂逅を果たしたものは誰もが同じことを口にするという。

 もう二度と関わりたくない、と。

 それほどまでに異質にして害悪の混沌の体現者たるノアの名が、何故ここで出てくるのか。

 魔王には分からなかった。


「まさか! 我ら魔物が、ここまで追い詰められているのは、あの半端者が何かしたからか!」


 それならば得心はいく。

 ガブリスは答える。


「正確には違います。今回の件にノア様の直接的な関与はありません。ただ、人間たちはノア様がかつて生み出した技術を戦争に転用しただけです」


「そういうことか……、クソ」


 魔王は忌々しげに吐き捨てる。

 あの異常者の生み出す技術は、その全てが異常。

 馬鹿馬鹿しいほどに世界の理を蔑ろにするほどの異常なものばかり。

 だからこそ、自分たちが追い詰められているその理由に得心がいった。


「貴様の主はどこまでも害悪なのだ」


 ガブリスは虚無の瞳を魔王に向けながら小さく呟いた。


「ええ、本当に。私もそう思います」



 

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