第七話 ココロノイロ

「……あちぃ」

 二〇XX年六月終盤。俺は、一条色葉は、この月とは思えない陽炎の中、直射日光に晒されたグラウンド上でバトンを待っていた。


 **


「俺が……走る?」


「あぁ」


「リレーを……?」


「そうだ」


「いや、何故そんなことを?それに俺、ブランクが……」


「ブランクは関係ない。これから練習すれば問題ないだろ?いや、それすら必要ないか。何しろ、


「っ!!!どうしてそれを……」


「次の体育祭。主役はお前だ、一条色葉。目一杯、目立ってこい!活躍してこい!英雄になってこい!この物語の主人公は、お前だ」


「それ、悪目立ちしたらどう責任取るつもりなんですか?」


「生徒会が何とかする」


「何とかって……信用出来るかよ……」


「ん?今何か言ったか?」


「……バカバカしい。付き合ってられないですよ」


「ほう、そうか。なら、アクティ部の活動の件、無かったことにするとしよう」


 元々自分の主義に反する行為だった。何故あんな事をしたか、未だに分かっていなかった。いや、分かろうとしてこなかった。だから、あの部が潰されたって、何も感じないはずだった。けれど、脳裏に掠めるのは彼女の、崩れそうな脆い姿で。


「……分かりました。やりますよ」


 気がつけば、そんな言葉が口からついて出ていた。


「こんな脅しのような真似をして本当にすまない。だがこれはお前のためなんだ。分かってくれ」


 そんな、ある意味で一方的なやり取りを経て。俺は再び、光の差す舞台へと引き上げられる。暗黒の、終わりの世界から。


「っ!待って、一条くん!」


 部室を出た俺を呼び止めたのは七崎の声だった。その時は何故か、懐かしい感じがした。


「何か用か?」


 つい、不躾ぶしつけな態度をとってしまう。彼女は一瞬躊躇う仕草を見せる。


「あっ、えっとその……。別に大した事ではないのだけれど……」


「そうか、なら今度にしてくれないか?今は、一人になりたい気分なんだ」


 俺はその場から立ち去ろうとする。


「待って!!お願い、お願いだから。少しだけ、私の話を聞いて。今言わなかったら私、多分ずっと後悔し続けると思うから。ねぇ一条くん。あなた、無理してない?」


 彼女の発したその一言は、核心を的確に突いていた。


「別に。平気。いつもの事だ」


「……なら、何故そんなに辛そうな顔するの?」


「っ!!!」


「あなたを見る目が明らかに変化している事は気づいてた。でも、いじめにまで発展してるとは知らなかった。気づけなくてごめんなさい。悲しくて辛くて苦しいはずよね。本当に申し訳なく思ってるわ。でも、あなたはいつもと全然変わらなかった。自然体だった。寧ろ会長の救済措置を聞いた時、今の方がずっと苦しそうに見える。私には、ここまで踏み込む権利はないと思ってる。それでも、あなたの力になりたいって。そう、強く願ってる。ねぇ教えて、一条くん。一体あなたに何があったの?あなたの心は、何色?」


「……ごめん」


 俺はその場から逃げた。後ろを振り返る事が出来なかった。暫くの間、廊下に響き渡るのは一つの足音だけだった。


 **


 それからどこをどうやって走ってきたのかは分からない。気がつくと、そこには見慣れた天井があった。どうやら何とか家に辿り着いたらしい。幸いにも、妹はまだ帰ってきてはいなかった。よかった。次かなと顔を合わせるまでには上手く取り繕えてるはずだ。今日は疲れた。少し、眠るとしよう。大丈夫。今度目が覚めたらもっと、ちゃんとするから。意識が遠退く。最後に意識を掠めたのは彼女の言葉だった。


 -あなたの心は、何色?-


 **


 数日が過ぎた。今日は生徒会、体育祭実行委員、アクティ部による体育祭役員会議が行われる。俺はあの日以来、部室へ行くことはなかった。正直、今回の役員会議にだって参加する気はなかった。しかし、あの時の彼女の言葉が耳から離れず、俺は結局会議室へと足を運んだ。


「……どうも」


 そこには既に大部分の関係者が来ていた。そして、勿論見知った彼女らの姿も見つけた。たった数日会ってないだけで、ヒドく懐かしく思える。


「一条くん……」


「イロハくん……!」


「イロ!よかった、来てくれたんだね」


「……まぁ」


「やっと役者が揃ったか。待ち兼ねたぞ、一条色葉」


「四ツ谷先輩……」


「アクティ部の活動の件、話は既にここにいる全員に通してある。あとはこちらに任せてもらって構わない」


「そうですか。それは助かります」


 やがて時間になり、話し合いが始まった。当日の流れの確認や役割分担、会場準備や出店の誘致など、生徒会と実行委員で既に動いている部分の確認が進む。そして、四ツ谷先輩は遂にアクティ部の話題を口にする。


「それで、体育祭当日の業務についてだが、人手不足を補う為、ここにいるアクティ部のメンバーにも協力してもらう事になった。具体的にはまだ決めてないが、主に競技用具の準備などを担ってもらう予定だ。更に、体育祭終了後の清掃も、主導となって行ってもらうつもりだ」


 室内に重い空気が充満する。話を通したとはいえ、急な事に変わりない上、俺の事を快く思わないヤツらもいるだろう。この反応は当然の事に思えた。不意に訪れる沈黙。それを破ったのは他ならぬ、体育祭実行委員長だった。


「その件に関しては先日、生徒会の方から伺いました。こちらとしても人員が足りない箇所があったのでとても有難いです。ご協力ありがとうございます。清掃の方も、実行委員は全面的にお手伝いさせていただきます」


 あまりに意外な発言に、俺は驚きを隠せなかった。場の空気は一気に弛緩し、落ち着きを取り戻してきた。まだ一部、納得していない連中がいるようだが、そこは実行委員長に任せるしかない。


「実行委員の方々にも納得していただけたようで、こちらとしても安心した。では、これにて本日の役員会議は終了とする。ご苦労だった」


 生徒会長の一声で会議は終わり、皆散り散りに捌けていく。続いて俺も帰路につこうとすると、


「待って」


 再び、七崎の声が俺を呼び止める。


「今日は部室、寄って行かないのかしら?」


「……悪い。まだ、そういう気分じゃないから」


「そう……。分かったわ。でも、何かあったら何でも言って。いつでも、いつまでも。あなたを待ってるから」


 軽くうなづき、部屋を出る。その刹那、七崎を見る三上の目が豹変したように感じたのは、果たして気のせいだろうか。


 そういえばここ最近、いちごオ・レを飲んでいない事に、今になって気づいた。


 **


 翌日のクラスでの体育祭参加種目決め。俺は兼ねてからの計画通り、クラス選抜リレーのアンカーを走る事となった。

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