Ep.3 二人だけの秘密
友達は多ければ多いほどいいと思っていた。みんなといると楽しいし、自分の話を聞いてくれる。たまに喧嘩もするけれど、仲直りすれば、前よりもっと仲良くなれた。苦しい時も、辛い時も、みんなが助けてくれた。
だからだろうか。いつも一人ぼっちな男の子を放っておけなかったのは。
その子は近所の公園でよくブランコを漕いでいた。賑やかな同年代のグループが、楽しそうに遊ぶ姿を眺めながら。ある時盗み見た彼の横顔からは、熱い羨望が感じられた。
何度か彼が、そのグループに声をかけているところを見た。その子は話しかける際、消え入りそうな声で決まって
「あそぼ……」
そう、呟く。しかし少年らに音は届かなくて。その度に彼らに募る嫌悪感。彼の居場所が小さくなっていくのが分かった。
「ねぇ、なにしてるの?」
その日、たまらず声をかけていた。だってその背中があまりにも寂しそうだったから。
「……」
少年は答えない。ただ戸惑った表情を見せるだけだった。でもそれがなんだかおかしくて。
「あははっ、なにその顔?かわいい!あそっか、いきなりだもんね。びっくりさせてごめんなさい。ウチ、みかみあやね!ね、いっしょにあそぼ!」
強引に彼を連れ出す。友情を知らない彼。愛情を知らない彼。この日、ウチは少年を呪縛から解き放つ事を胸に誓った。
**
その日から彼をどんどん遊びに誘った。案の定、最初はめちゃくちゃ嫌がられた。それでも心は折れなかった。
ある日、またポツンと立っている少年を見つけた。
今日こそ仲良くなる!
そう決意し、彼の元へ走り出す。とその時、
バチンッ!
少年の顔面にサッカーボールが当たった。目の当たりにした光景。ウチにはそれが、どうしても許せなかった。
「こらぁー!!!なにしてるのアンタたち!ちかくに人がいるのにおもいきりボールけるバカがどこにいるの!!」
「うわぁぁでたー!たいしょうだ!みんなにげろー!!」
「こらぁまてー!!この子にあやまれー!!」
立ち去ろうとする少年らを追おうとしたが、そこではたと我に帰る。
「いけないっ、あの子のことわすれてた!ねぇあなた、顔だいじょうぶ?ケガはない?」
急いで彼のもとへ駆け寄る。
「あっ、鼻血でてる!ちょっとまって、そのままうごかないで!」
少年に言い聞かせ、止血に入る。血が治った頃、彼が口を開いた。
「あ、そ、その……、ありがとう……」
「どういたしまして!えーっと……あ、そういえばまだ名前、きいてない!ね、教えてよ!」
「い、いちじょういろは……」
「いちじょういろは……うわぁ、かっこいい名前!そっかぁー、うんうん。それじゃ、これからよろしくね!」
彼の前に手を差し出す。
「え?」
「それと、……ウチと友だちになってくれませんか?」
**
この出来事を機に、イロハとの距離は縮まった。普通に会話する事は勿論、色んな事をして遊んだ。どうやら彼は走るのが得意らしい。毎回毎回、その足の速さに驚かされた。
「シュート!よっしゃー!きまったー!!アヤちゃん、今の見てた?かんぺきだったでしょ?」
「見てた見てた!ほんとイロくんはすごいよ!はやくてぜんぜんおいつけないや」
「いやいやアヤちゃんだってすごくうまいって!ドリブルかっこよかったよ!」
「そ、そうかなぁ?えへへっ、ありがとう。……あっ、もうこんなじかん!はやくかえらなきゃ!ねぇイロくん、そろそろかえろ?」
「あ、うん。でもその前にちょっとだけお話、いい?」
「ん?どうしたの?」
「アヤちゃんのおかげでぼくは一人ぼっちじゃなくなった。友だちといっしょにあそぶのがこんなにたのしいんだって教えてくれた。くるしい時、つらい時もたすけてくれるってわかった。でもね、だからこわい」
「こわい?」
「このたのしさがなくなっちゃうのが、すごくこわい」
「イロくんなに言ってるの?たのしさはなくならないよ!だってウチがいつもそばにいるじゃない」
「どこにもいかない?」
「いかないよ」
「ほんとにほんと?」
「ほんとにほんと」
「じゃあやくそくして!どこにもいかないって。ぼくをおいてかないって。もうひとりはやだよ……」
「わかった。やくそくする。もうあなたを一人にしない。ずっといっしょだよ」
二人だけの秘密。
決して軽い気持ちで交わした約束ではなかった。けれどこれが、イロハにとってどれほど大きなものなのか。ウチには分かっていなかった。
**
ウチのお父さんはいわゆる転勤族で、幼い頃から引っ越しを繰り返していた。だからウチの事情なんて、お構いなしなんだ。
イロハと遊ぶようになって一年が経とうとする中、三度目の引っ越しが決まった。折角新しく出来た友達と別れるのは辛かったが、離れ離れになっても連絡を取り合う約束をした。気がかりだったのはイロハの事だった。
人一倍他者と繋がる事を恐れ、ウチ以外に友達を作る事を拒んだ彼。ウチを頼ってくれていたイロハに、中々別れを告げられずにいた。
引っ越しの前日。今日がイロハと会う最後の機会だった。このままではいけないと感じ、今日引っ越しの件を伝えると決めた。
言いおくれたことを正直にあやまろう。れんらくさきを聞いて、それで毎日でんわしよう。たまにはいっしょにあそびにいく行くのもいいかもしれない。
ウチは公園へ急いだ。そんな淡い幻想を抱いて。
その日は雨が強めに降っていた。彼と遊ぶ時、天候が悪ければ一旦公園の屋根付き休憩スペースに集合。その後、近くの屋内施設へ移動、という流れになったいた。だからウチは公園で雨宿りして彼が来るのを待っていた。しかし彼は時間になっても中々現れなかった。何か理由があって遅れているのかもと思い、暫く待っていると、公園外周のフェンス越しに青い傘を認めた。彼が雨の日にいつもさしてくるものだ。安心したのも束の間、普段より足取りが重いように感じた。心配だったウチはイロハに歩み寄る。
「こんにちは。今日はすこしおそかったね。だいじょうぶ?なにかあった?」
「アヤちゃん、聞きたいことがあるの」
「なーに?」
「……明日、ひっこしするってウソだよね?」
「えっ……どうしてそれ……」
「やっぱりそうなんだ。さっきどうろでおばさんたちが話してるの聞いたから。……アヤちゃん、ぼくにかくしてたの?」
「ち、ちがうの!イロくんにすぐにこんな話したらびっくりしちゃうかもって思って。その、それにウチもあたまの中ぐちゃぐちゃで、どうしたらいいのかわからなくて、それで……。きちんとかんがえて今日、言おうと思ってたの!」
「アヤちゃん、やくそく、おぼえてる?」
「やくそく?」
「おぼえて、ないんだね?そっか。ならもういいよ。さようなら」
「ち、ちょっとまって!ウチ、イロくんにかくしごとしてたわけじゃ」
「ねぇアヤちゃん、キミはいつもぼくに言ってたよね?友だちって、くるしい時もつらい時もたすけてくれるものなんだって。アヤちゃんがつらいなら、ぼくはいつだってたすけるよ?なのに……。なんで言ってくれなかったの!?」
「っ!それは……」
「そんなにぼくがしんじられない?そっか、そうなんだね。しんじたぼくがバカだったよ。……すこしの時間だったけど、たのしかったよ。それじゃあ、もうずっと、さようなら」
彼が行ってしまう。口にしたい想いは幾つもあった。けれど、そのどれを言ったところで、彼の歩を止める事は出来ないと思った。
この日の雨は、真冬の雪より冷たかった。
**
ウチには今でも沢山の友達がいる。しかしこの出来事以来、他者と深い繋がりを持つことをやめた。
**
出会いと別れの季節。ウチは高校生になった。入学式、ウチはどうも落ち着きがなく、こういった行事でもキョロキョロ辺りを見回してしまう癖がある。体育館全体をグルーっと見ていると、生徒の中に気になる背中を見つけた。胸には何故か、懐かしさが募る。いや本当は、その理由を知っていた。
ウチは彼との再会を避けていた。いや、恐れていたというのが正しいのかもしれない。一年次、幸いにもクラスが別だった。おかげでそこまで意識する必要がなかった。しかしある時、廊下ですれ違った事があった。ウチは完全に油断していて、彼とバッチリ目が合った。しまった、と思ったけれど、彼は何事もなかったかのように立ち去っていった。彼に忘れられているのならと、それ以後、特に意識する事はなくなった。
……あの出来事が起こるまでは。
部活動紹介。彼が発した言葉。彼の中に、確かに存在する純情を見た。ウチは自分自身が恥ずかしかった。情けなかった。何かと理由をつけて逃げ続ける日々。真っ向から困難に立ち向かうその姿を見て、ウチは彼に関わる事を決めた。十継先生から声がかかったのは、丁度そんな時だった。
部室で彼に再会した時、本当に自分の事を覚えていない事が分かってホッとした。そのはずなのに、
ズキッ
時々心が軋む音がするのは、果たして気のせいだろうか?
三上彩音という人間を象徴する端的な言葉。これは懺悔である。少しずつ少しずつ、ヒントを開示する。やがて彼が真実に気づいた時、全てを受け入れ、糾弾を浴びるのだ。ウチの居場所が無くなってもいい。この胸の支えが取れるのならば。
そうして月日は流れてあの日、呆れたような彼の横顔を見た瞬間、全てを察した。
これはチャンスだ!
心の中で悪魔が囁いた。
惑わされてはダメ!あなたは誠実に彼と向き合うべきよ!
天使が言う。
何を言う。イロハがまた苦しんでんだぞ。お前が助けなくてどうする。自分で言ったんだろ?「友達なら苦しい時、助けるてくれる」って。それに、今度助けたら昔の事、水に流してくれるかもよ?
あぁそうだ。ウチだ。ウチが彼をこんな姿に変えてしまったんだ。ウチは、ウち、は、……わたし、は……。
天使の声は、もう届かない。後はもう、悪魔に身を委ねるだけでいい。
そして再び共有した、二人だけの秘密。今度は自分が。
一人称は勿論、
わたし。
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