第10話:神

 さて、山道・聡やまみち・さとるが『D.L.P.N』システムを介し、ノブレスオブリージュ・オンラインにログインしてから、現実世界において早8時間が経過しようとしていた。山道・聡やまみち・さとるはそのことに気づかず、悠々自適に世界の神の気分を味わっていたのである。


 しかし、そんな山道・聡やまみち・さとるの脳内に電流が走る。


「くっ! 急に脳内に流れ込むデータ量が倍増しましたよっ! これはもしかして、ゴールデンタイムの突入ですか!?」


 山道・聡やまみち・さとるは今までとはまるで別モノと言っていいほどのデータの奔流に飲み込まれそうになる。感覚としては眼に見えない幽霊みたいな存在が自分の身体を後ろから前へと通り抜けていく薄ら寒い感触を連続で味わうことになる。


 山道・聡やまみち・さとるは最初のうちは不快感に身をさいなまれる。1個の人格が自分の身体にピッタリフィットし、そしてスゥッと抜け出していく。そんな摩訶不思議な感覚が連続で起きれば、誰しもが嫌な気分になるのは当然と言えば当然だろう。


 山道・聡やまみち・さとるはその感覚に最初は抗おうとしたのであるが、ふと、これは飲まれてしまったほうが楽になるのではないか? と認識を改めて、身体の筋肉が強張るのを意思でねじ伏せ、リラックス、リラックス……と念じる。


 するとだ。今まで身に襲いかかっていた不快感はどこかに吹き飛び、まるで春を告げる暖かく爽やかな風が自分の身体を通り抜けていく感覚に変わったのだ。


「郷に入れば郷に従えってやつですかね? うーーーん、受け入れてしまえば、存外、気分が良いものです」


 山道・聡やまみち・さとるは『介入する者』としてではなく、なるべく『観察者』として、このゴールデンタイムを乗り切ることに決めたのであった。ひとりの身に襲うデータ量としては多すぎると判断しての行動だ。山道・聡やまみち・さとるはただただ、データの流れを観察する姿勢に徹する。


 もちろん、サーバー負荷が過剰になってないかのモニタリングも欠かしていない。不正プレイヤーの大量排除が効いたのか、今のところ、何か特別な問題が起きそうもなかったのであった。


 山道・聡やまみち・さとるは、ホッと安堵する。自分のおこなった正義が間違ってなかったとこの証明に繋がったからだ。新バトルゾーンへプレイヤーが集中することにより、サーバーの負荷は高まりつつあったが、それは許容範囲内であり、このままさらに夜22時台を迎えたとしても、サーバーダウンに繋がらないであろうことは容易に想像できたのである。


「やれやれ……。結局のところ、海外からの不正アクセスが常時、ノブレスオブリージュ・オンラインのサーバーの負荷になっていて、それが新バトルゾーン追加がきっかけで、器から水がこぼれたっていう、ありがちな結果になっていただけですか……」


 山道・聡やまみち・さとるはこの結果がやや面白みが欠けたものであることに、ふぅ……とため息を漏らしてしまう。念のため、サーバー負荷が最も高まる金土日を『D.L.P.N』システム内に留まったまま、ことの推移を見守ろうと決意していたのだが、その硬い意思もどこかに立ち消えていきそうになっていく。だが、気が抜けかけていた山道・聡やまみち・さとるは突然の出来事に驚愕する。



――私の声が聞こえますか?


「んん!? 今、誰か、僕に何か言いました!?」


 山道・聡やまみち・さとるはいきなり聞こえてきた声にびくっ! と身体全体が跳ね上がりそうになる。今は『観察者』モードに徹しているからと言って、プレイヤーの声を拾うつもりもなかったからだ。それなのに、自分に向かって問いかけてくる存在に慌てふためいてしまう山道・聡やまみち・さとるであった。


――私の声が聞こえますか? 聞こえているなら返事をしてください……


 今度ははっきりとした女性の声が山道・聡やまみち・さとるの耳に届く。彼は聞こえてくる言葉につい、はいはいはぃぃぃ!? と返事をしてしまう。すると、その女性からは安堵に満ちた声が聞こえてくることになる。


――ああ、よかった……。やはり私は神に選ばれた存在だったのですね。皆が私は気が触れた可哀想な女性だと言うばかりで心配していました……。


 その声質から、鈍感な山道・聡やまみち・さとるでも、その女性が何か心配事があり、山道・聡やまみち・さとるの返事により、救われたという感じを受ける。彼は彼女が一体何者かはわからないが、受け答えをしようという気になってしまう。


「あなたは誰なのですか? こちらは自分の名をあなたに告げるにははばかれる存在なので、名乗れませんが……」


 山道・聡やまみち・さとるはこの時点では、ノブレスオブリージュ・オンラインのプレイヤーの誰かと個人チャットが成立してしまったと考えていた。だが、彼女の次の言葉で、自分はいったい何と会話しているのかわからなくなり、混乱に陥ることになる。


――神ご自身がその御名を名乗らないのは当然だと理解しています……。申し遅れました。私の名前はジャンヌ=ダルク。あなたに『フランスを救え』と命じられた者です。


「ジャンヌ=ダルク!? そんな……、まさかでしょ!?」


 山道・聡やまみち・さとるが素っ頓狂な声をあげてしまうのも無理はなかった。実在するジャンヌ=ダルクはとうの昔にイングランドで処刑されて、その後、紆余曲折し、ついには天の国に昇ってしまったのだ。それを知っているからこそ、山道・聡やまみち・さとるは自分に語り掛けてくる存在が何者なのかがわからないでいた。


――神よ。私に再び命じてください。私に勇気を与えてください。私の戦いが勝利に終わることを約束してください。


 ジャンヌ=ダルクと名乗る女性の声がそう懇願するように山道・聡やまみち・さとるに語り掛けてくる。山道・聡やまみち・さとるはどう応えてよいのかがわからない。


「あの、その、なんというます……か。って、うわあああ!?」


 山道・聡やまみち・さとるはつい悲鳴をあげてしまう。それもそうだろう。自分は地上200メートルの地点で浮いていたというのに、急に浮力を失い、地面に向かって急速に落下しはじめたのだから。


 山道・聡やまみち・さとるは頭から地面に向かって斜めに落ちていく。そして、街の片隅にある茅葺きかやぶき屋根の家に突っ込んでいく。そして、勢いよく茅葺きかやぶき屋根を突き破り、木の床に背中全体を打ち付けることとなる。


「いったたた……。これがゲーム内じゃなかったら、僕、確実に死んでましたよね!?」


 山道・聡やまみち・さとるは痛む背中をさすりつつ、身体を起き上がらせようとする。だが、その家の先住人たちは山道・聡やまみち・さとるを取り囲み


「貴様、何奴だっ! ここが会合場所だと知ったイングランド軍の斥候かっ!」

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