剣と敗北の聖女 十一


 ボルトニア王国は、スパニーナ帝国の圧政から逃れて来た、最下層で生きてきた者達をその始祖としている。


 貴族達から逃れ、山脈を越えて、砂漠を渡り、聖ボルテに率いられた者達が辿り着いたのは、人が足を踏み入れた事のない大森林であり大海原であり、無垢なる地獄であった。


 喰われる、ただ日々、喰われる。


 獣が、獣達が、そして魔獣が。


 人を襲い、さらい、むさぼる。

 

 鋼の剣は狒々の顎に嚙み砕かれ、戦士が喰われた。


 矢は皮に僅かな傷を残して落ちて、狩人は大鷲のくちばしに頭蓋を噛み砕かれた。


 地面の中を泳ぐように移動する魔獣化したわにが、無残なほどに多くの子供達を戯れで屠った。


 ああ、無明。


 ボルテは放浪の老神官に教わった祈りを白き月へ捧げた。


 そして、奇跡が起きた。


* * *


~~ 一年前 ~~


 その日は建国記念日であり、王都はただただ騒がしく、王城は常にない華やいだ雰囲気の中にあった。


「クシャ帝国で弁護士試験に合格したと聞いた。大したものだ」


 満面の笑み肩を叩いた叔父へ、ルアンもまた笑顔を返した。


「ありがとうございます」


 次々と現れる貴人達の相手をしながら、ふと、姿が見えない事に気付いた。


「どうした?」

「いえ」


 父と母、マテウス、ルシア、そしてグレーベルとカタリナ。

 宰相、将軍、官僚、騎士団長、神殿長。


 王族と英雄、そしてその家族と側近達。

 

―― 談笑する彼らの中にもいない。


「失礼」


 断りを入れて場を離れる。


「おいルアン!」


 後ろから呼び止める友人の声を無視して、人々の間をすり抜け、広間の外へと出た。


 衛兵や使用人達に驚かれながら、王城の中を進んで行く。


 火晶石の灯りが煌々と照らす回廊を抜け、喧噪を遠くに、静かな闇に窓から差す月明りだけが揺れる、王城の端の端へと向かって行く。


 ルアンの耳に旋律が触れた。


 闇に溶け込むように穏やかに優しく、心の奥を撫でるような弦の音色。


 ルアン以外に人の姿はなく、暗闇は奥へと続いている。


 闇の底へ落ちるような錯覚を覚え、そして僅かに、ほんの微かに、甘い疼きをルアンは覚えた。


「っ」


 拳を握り、自らの額を打つ。

 

 しかし歩みを重ねる毎に音色ははっきりと聞こえ、それが心を揺らす。


 そして回廊の端、古い扉を開き中へと入った。


「……」


 白き月の光に照らされて、つむぎを纏い髪を結った佳人が一人、二胡を奏でていた。


「ルアン様」

「フ、フラウィア」


 二胡と弓をテーブルに置いてフラウィアと呼ばれた者は立ち上がり、ルアンへと跪礼きれいをした。

 

「久しいな」

「はい」


 ルアンが手を振ると、室内の火晶石に明かりが灯った。


 白い壁と飾る物の無い装いが照らし出される。

 それらは簡素というよりも、空虚という言葉をルアンに感じさせた。


「ハファエル兄上は?」


 フラウィアの対面となる席には、空の茶碗と菓子皿が置かれていた。

 

「つい今し方お帰りになられました」

「そうか」


 フラウィアが手早く片付け、ルアンへと椅子を引くが、ルアンは首を横に振って壁へと背中を預けた。


 それに苦笑して、フラウィアは茶釜へ新たな火をおこした。

 

「クシャ帝国はどうでしたか?」

「凄かった。ああ、ただ凄いとしか言えなかった」


 ルアンの脳裏に首都ゴルデンの威容が浮かぶ。


「最新式の都市結界が三重にゴルデンを覆い、十の城壁が聳え立っていた。中を魔導車が行き交い、警備兵は最新式の戦闘装甲ゴーレムに乗っていた。話には聞いていたが、実際に見るとやはり感じ入るものがあったな」


 フラウィアが茶を立て、差し出された茶碗を両手に持って傾ける。

 広間で酒に慣れたルアンの舌に抹茶の苦みが過ぎていく。

 茶菓子の水饅頭を口に入れると、栗餡の甘味が心地よく口を満たした。


「前より美味くなったな」

「ありがとうございます」


 母譲りの碧目を細めてフラウィアが微笑み、目を逸らしたルアンは言葉を続ける。


「強いからこそ他国や魔獣に脅かされず、戦火に焼かれないからこそ国は更に強くなる。王や貴族に国力の分配を偏向しないで済むから、民もまた強くなる」

「小さな国では難しいお話ですね」


「ああ。小国では国力を集中させなければ立ち行かない。国民の絶対的平等と平和主義を掲げて改革を行ったクゾン王国が隣国に焼かれ、魔獣に蹂躙されて歴史の幕を閉じたのは必然だった。人はかくあるべしという理想は、ともすれば自然への驕りとなる。種として支配者を僭称できるほど、人類種は強くはない」

「人の自由と平等は、天秤の左右でもありますから。釣り合うにはそれぞれに制約が生まれますし、そもそも天秤を置く場所の事も考えなければなりません」


「そうだな。その辺りを母上と姉上は分かっていない。自分の理想に前のめり過ぎて、転ぶ姿まで目に見えるようだ」

「片や貴族、片や平民。でも彼女達が見るのは民衆という形。立場が違うだけで中身はそっくりなんですよね。呆れるほどに」

「ああ成程。だからか」


 ルアンがフラウィアへ向ける視線を鋭くする。


「二ヶ月前のクアント港。イブランの商船との諍いから起きた紛争はフラウィア、お前が手引きしたな?」

「ええ。結果として母上の派閥の無能を晒上げて、適度に派閥を弱体化できました。母上の威勢も弱くなりましたし、もう自分を王になど言えないのではないでしょうか」

「……恐ろしいな」

「母上が王になるとハファエル様が良くて戦死、最悪は過労死となりますから。人に尽くされる事に慣れているせいか、端々に無謀が見えるんですよね」


 フラウィアはニコリと笑い、新たに立てた茶をルアンの前に置いた。


「マテウス様が王となられるのが最善なのですが」

「マテウス兄上は根っからの武人気質だからな。ハファエル兄上がいる以上、玉座に座ろうとはしないだろう」


「……ご存じでしたか」

「さてね」


 ルアンは飲み干した茶碗を置いて、フラウィアへ背を向ける。


「難しいな」


 その一言を残して、部屋を去って行った。




//用語説明//


【臣民等級制度】


 獣人が興こし、現在も獣人が多数を占めるクシャ帝国においては、個人の実力(主に戦闘力)がそのまま社会での地位に反映される。


 戦、或いは財務等の国への貢献の度合いによって、『公爵~男爵』のいずれかの称号が一身専属のものとして与えられる。


 そして特に、『公爵』に選ばれた者には絶大な権限が与えられる。


 例えば選挙において、公爵一千万票、侯爵五百万票、伯爵百万票、子爵十万票、男爵百票の投票権が与えられる。


 この数は四年という期間を通してのものであり、例えば公爵がA選挙で百万票を入れたら、残りの期間で投票できるのは九百万票という事になる。


 なお伯爵以上は、帝国内の各州や各都市の好きな選挙に投票できる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る