剣と敗北の聖女 九

 自分の魂と自分の在るべき姿の乖離かいり

 その苦しさは当人でないと理解できないものです。

 

 剣に斬られたものではなく、炎で焼かれたものではなく。

 身体に傷は無く、何かが欠けているという訳ではありません。


 傍から見れば、さて、あなたは何でそんなに苦しんでいるのかというものです。


 裕福な家に生まれ、飢える事は無く、戦で奪われた事はない。

 充分以上の教育を与えられ、生きる術に事欠くことはない。


 これで文句を言うのは確かに贅沢というものです。

 ええ、意味は理解できるのです。でも、納得などできるものではありません。


 自分の中を流れる血が刻むテンポが、自分が感じる生という実感が、常にずれている。

 

 不快の拍動。痛みの雑音。

 世界はどうしてこんなに苦しいのか。


「人は全て牢獄の中で生まれる」


 S級開拓者にして対人戦闘の絶対者。

 『絶光の剣魔』として北西大陸に名を馳せるセレーゾ家の用心棒『赤髪のナッツ』。

 しかしその正体は城を抜け出したハファエル様であり、僕と商会長おじいちゃんとカミラさん、そしてサンドロさん以外には明かされない秘密でした。

 

「力のある奴だけがそこから出て自由を得られる」

「ハ、ナッツ様のようにですか?」


「バカいうな」

 

 振っていた金紗鋼きんさこう製の愛刀【隼阿闍梨はやぶさあじゃり】を鞘に納めて、その赤い瞳が僕を睨みました。

 

 鼓動が少し早くなって、それをごまかすために、慌てて口を動かしました。


「バカって何ですか」

「そんな力が俺にあるなら、城に身代わり置いて、こんな所でこそこそ日銭を稼いでるわけないだろうが」


「あっ、ひっどいです。おじいちゃんがナッツ様にお支払いしている報酬って、相場の二倍ですよ?」

「はっ。迷宮ラビリンス冥宮ダンジョンを狩れば千倍だって稼げるっての」


 荒っぽく粗野に、瓶から果実酒ワインを一気飲みされます。

 その活き活きとした横顔を見て、いつも思います。

 市井しせい、また貴族達の間でハファエル様はと呼ばれているが、しかし狐の本領は野生に在ってこそだろう、と。


「ま、会長殿には世話になってるから取り消してやるよ」

「むぅ~」


「ガキらしく振舞えるのはホッとするが、それをもうちょいルシアやグレーベルの前でも出したらどうだ?」

「………」


第三王子クソガキとベロカーナ公がちょっかい出してピリピリしてるのは知ってるが、だからこそ愛しきガキの愛嬌が癒しになるってもんだろうが」

「だったらどこかのハファエル様が手助けとかしてはくれないのでしょうか? ほら、優しい傭兵ナッツ様が僕が涙しているのをご注進してくれるとか」

「面白くもない冗談だ」


 鼻でわらってくれて、また刀を振るわれます。

 

 金色の刀身が銀の太陽の光を受けて、幻想的な輝きを放っています。

 風のように変幻自在、しかし無駄を削り切った合理の剣閃。

 

 風切り音の連なりが、まるで一つの曲のように鳴り響いています。


「……捨てられねえ。だから俺の自由はナッツまでだし、これが限界だ。だが」


 納刀。

 そして、


「獣と成れば、」


 刃が走り、光が斬られた景色を幻視しました。


「……」


―― 獣と成れば。


―― 人の手に持つものは屍の山、血の大河の中へと落ちて行く。

 

 まるで白昼夢のように世界から音が消えて、すぐに街の喧噪けんそうが耳に戻りました。


「行くぞ」

「はい」


 先導されるのを、とても心地良く感じました。


 告白するならば。

 ハファエル様は僕の理解者で、僕の初恋の人でした。


―― だから、そう。


 天秤の片方の皿に何が積まれていようとも。

 どちらに傾くかなど決まり切っていて。


―― 強者の犠牲を当然と考える弱者を切り捨てる事に。


 獣と成る事に躊躇ちゅうちょなどありはしませんでした。




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