同道者達/剣士を目指した者 十三


 鼻を雨の匂いがくすぐる。

 彼方の空で米粒のように現れた雲が急速に広がり、大粒のような雨を滝のように落としていった。


 薄い霧が立ち込める湖畔こはんの森。

 なお降り続く小雨と、ぬかるんだ道。


 その上をゆっくりと、連なる巨木のこずえよりも高い空を、人頭の海亀型ゴーレムが飛んで行く。


 背には中国式に近い東屋あずまやを載せ、それを囲う小さな池にははすが咲き、澄んだ水の中を鯉達が泳いでいた。


「アルネたん、あ~ん♡」


 東屋の中、七輪の炭火に焼かれた肉が、香ばしい匂いを漂わせている。


「あ、ありがとう」


 ベアーチェはフォークに刺した肉を、ふぅふぅと冷まし、タレを付けて、優しくアルネの口の中へと入れた。


「美味しいかな~?」

「うん!」


 満面の笑みを浮かべるアルネ。


「クフフフ。雨の森を背景に、東屋あずまやの中で寄り添う、愛する妻と美少女。実に絵になる光景です!!」


 カメラの筐体きょうたいを抱えたナハニークが、パシャパシャとシャッターを切っている。

 精悍せいかんな赤毛の獅子獣人が、目を垂れ下げて頬を緩ませ、小柄な少女達へレンズを向ける姿は、実に犯罪臭い。


 もしスマホがあれば、迷わず一一〇を押していただろう、


―― なんてな。


「ま、実害はないんだ。だからゾハス、そうにらんでやるな」

「フンッ」


 顔を背けるが、魔導杖はしっかり握っている。

 出会った頃の切羽詰まった、ピリピリとした感じは薄まってきてはいる。


 だが、代わりに出てきたゾハスの素は、どうにも潔癖の気があるものだった。


(思春期のやまいだな。早めに治るといいんだが)


 粗野な開拓者なんて、男も女も普通にセクハラをしてくる。

 俺なんて十二歳の時、交渉に来た女戦士に股間を掴まれ、寝所に引きずりこまれそうになった事があるのだ。


「こんなんで沸騰してたら、すぐに頭の中が爆発するぞ」

「……わかってる」


 理解していても、感情に振り回されている、か。


「ナハニークのつらはやばいが、害意は無いだろう。あれはむしろ、娘を溺愛する親父の顔だ」

「……」


「感情に振り回されると、自分の中の『正しさ』も曇っていく。力も心も、今より上を目指すなら、よく戒めておけ」

「…………ああ」


 魔導杖から手を放し、肉へと集中するゾハス。

 一瞬だけこちらを向いた赤獅子の眼は、「やりますね」と語っていた。


「カメラに夢中なのも結構だが、そろそろ肉が無くなるぞ」

「あ、それは困ります!!」


 カメラを置いたナハニークが寄って来る。


「魔獣化したブーベルワニという珍味!しかもあの『星屑の塔』の祭主が、伝説の『剣の七王』最強、神蝕の王イクリプスで切り分けた肉など、帝都の五つ星レストランでさえ、口にする事などできないのですから!!」

「前半はともかく、後半は味とは関係ないだろ?」


 それに、マジで感嘆かんたんしてるから、背中がむずがゆくなる。


「希少な体験も味の内ですよ。それが知識の血肉となり、知性を豊かにしてくれるのです」

「なるほど、流石は博物学者」


 上手うわてだよ、全く。


 褐色の眼の笑みには優しさがある。

 俺の状態を理解して、「長い人生、まあそういう事もありますよ」と慰めているのだ。


 俺とナハニークは同類だ。


 だから自然と、容易に、お互いの心情が理解できる。


「すいませんヨハン。お気に障りましたか?」

「いや」


 悔しいからその賢しげな眼を曇らせようと、グラスに冷えたワインの赤を注いで渡す。

 それを水のように飲み干して、ナハニークは満足そうに息を吐いた。


「ぷはっ。本当にガレ産のワインは最高です」


 お返しにと、俺のグラスに白が注がれる。

…… 確かに、そんな気分だった。


「ゾハスはどうだ?」

「遠慮しておく」


 まあいいか。


「そんなゾハスたんに~、はい、どうぞ~♪」

「ムグッ!?」


 ゾハスの口が開いた隙を突き、ベアーチェがフォークに刺した物体Xを差し入れた。


「我の特製~、ブランデーパウンドケーキだよ~。雪小麦を使っているから~、お口の中でフワッと溶ける自信作~」

「モグ、モグ。あ、凄く、美味しい……」


「お代わりもあるよ~」

「いただける、かな?」

「うん♪」


 ゾハスが珍しく、嬉しそうな笑みを浮かべ、ベアーチェが渡すケーキの皿を受け取った。


「クフフ。仲良き事は美しきかな、です」

嫉妬しっとしないのか?」

「理由が無いですね」

「それもそうだ」


 掲げたグラスに、ナハニークのグラスが合わさり、チンッと鳴った。


「私の新しい友人に」

「白を注いだ野郎に」


 柑橘類を思わせる爽やかな酸味と、アルコールの辛さと調和した、穏やかな甘みが舌に触れて。


 一瞬で喉の奥へと落ちて行った。


(そろそろ偵察に行った、ニパンとヤパスが戻ってくる時間だが)


 ただの獣の巣が在ればそれでいい。

 ニパンは地獄の訓練をして、俺達はピクニックで終わる。

 あとは山を越えて、この国ともさようなら。


(次は故郷ススにでも戻るか。『風見の森』は、ニパン達には良い修行になる)


 RPG的に言えば、ここら辺の魔獣は、最初の村周辺にいるモンスターで。

 風見の森、特に中枢に生息する魔獣は、最終ステージに出てくる、BGMの変わるモンスターだ。


 一瞬でも油断すれば、すぐに死が訪れる、世界有数の魔境。


 故に風見の森は、を育む事ができる。


(父さん達とは三年振り、か)


 『星屑の塔』を結成した後は激動の日々だった。


 実行戦力であり、S級開拓者を歯牙にも掛けない武力を持つ『祭壇騎士さいだんきし』。

 裏方であり、厄介処やっかいどころではない『星屑の塔』の運営をこなした『階梯かいていの使徒』。


 そして一番凡庸な、かしらである『祭主』。


 百八人の仲間達と世界を駆け抜け、戦い抜いた。

 

 それを沢山、語りたい。


(デバソン)


 幼馴染で、頼れる兄貴分だった男。


 最後に会った時、店の経営状態が悪くなったと言っていた。

 だからデバソンに宛てて、手紙と一緒に、お金になる品を幾つも送ったのだが。


 かなり後になって一通だけ、短い手紙が返って来た。


 当り障りのない時候の挨拶と、『持ち直した』とだけ書かれた紙には、花の匂いが残っていた。

 

(エリゼ……)


『ヨハン』


(!!)


 記憶の中の彼女から思い出がかおり、それがとても強く、胸を突いた。



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