過日夢影 一

~ …… ~


 ロシュペ公国にある水鏡の大湖、そこに浮かぶ島の上に水の大神殿は在った。


 一つの巨岩の上に幾つもの館が立ち並び、その頂点には城壁のようなロシュペ公の城が、法王の宮殿を守るようにして建っていた。


「大丈夫ですよ。きっとあなたは聖女様に選ばれます」

「はい、お母様」


 目を瞑って祈るコロネに、その母が優しく声を掛けた。


「コロネがこれまで積み上げた、努力と功績を私は知っています。それは枢機卿であるあなたの父もです」


 振り返ったコロネと母の目が合い、微笑んだ母がコロネを抱き締めた。


「今日あなたが聖女様になるのです。勇者様を支え、この水の大神殿を背負い、聖霊様の意志を預言する者となるのです」


 母に抱かれながら、コロネはそれでも聖印を強く握る。

 

 不安なのだ。


 確かにこの公国において、コロネ・テペテン以上に水の聖女に相応しい者はいない。


 代々高位神官を輩出してきた名門テペテン家の息女であり、父は枢機卿を務めている。

 更に最年少で枢機卿の席に就いたノカリテス・カラオンは、親族であり、幼少の頃から親しくしている仲でもある。


 無論それらの要素は、コロネが高い実力を持ち、実績を残しているからこそ活きるものであるのだが。


 コロネの脳裏を、一人の少女の姿が過る。

 

「大丈夫ですよコロネ。きっと大丈夫」

「はい。はい、お母様」


 窓から入る光に照らされて、母の暖かさに包まれる。

 壁時計の振子の音だけが響く。


「さあ、行ってらっしゃい」


 母に向き合い、コロネはしっかりと頷いた。


「はい。行ってきます」


 ……。


 ……。


 水の大神殿における最大の広間。

 その涙滴型たる『涙の間』は今、静かな熱気に包まれていた。


 色取り取りのガラスの光の中でオルガンが奏でられ、神官達が聖霊を讃える歌を歌う。


 大勢の人々が同じ高さの場所で、老若男女、平民や貴族などの身分を問わず、ひしめき合いながら、最奥の檀上を見守る。


 最も高き場所に在るのは、表に優しき聖母の微笑みを浮かべ、裏に激しき憤怒の益荒男ますらおを背負う、知と不可逆の聖霊【マルナイルナ】の聖像。


 その下に法王と公爵、枢機卿達と宰相達が、水の勇者【青の聖剣 リディア・シーウォーター】に連なるようにして立っている。


「……よ、前へ」


「はい」


 人々が分かたれて出来た一本の道を、光と聖歌に包まれて、一人の少女が進んで行く。

 その歩みと共に長い空色の髪が揺れる。


 誰もが、その少女のあまりの美しさに、感嘆の声を絶やさない

 誰もが、その少女の逸話を語り、畏怖の騒めきを上げ続ける。


「五歳の時に杖無しで上級魔法を使いこなし、信じられない話だが、九歳の時には超級魔法さえ使えたそうだ」

「何と! 大剣位を持つ者でさえ、上級魔法を使うのは難しいと言うのに! それを杖も無しでだと!?」

「しかも超級魔法を九歳で!? 専門の魔法士でさえ生涯を懸けて挑むものだぞ!!」

「それでさえ使える者がどれ程いるか。万人が挑んで、やっと零か一かの話だ」


「錬金術に示した才能も凄まじいそうだ。噂では彼女が作ったゴーレムは、単独で超大型魔獣さえ退けると聞く」

「それは事実だよ。私の領地には彼女が作ったゴーレムがある。そのお陰で、昨年は暴れ竜に襲われたが、こうして生き残る事ができた」


「しかし何と美しい……」

「彼女は何処の家の者だろうか」

「社交の場では見た事が無いな。すると平民の出という事だろうか?」

「そうであるならば……」

「邪な事は止めておけ。彼女は『丘の鍛冶師』の娘だ」

「あの亡命して来た奇人のか?」

「そうだ。猊下や勇者殿と通じていると噂がある、な。それに加えてベルパスパ王国の出だ。藪の中からどんな蛇が出るか分かったものじゃない」

「……」

「……」

「……」


 様々な視線、様々な思惑を振り切って、少女はその気高い歩みを進めて行く。


「パーナちゃんおめでとう!!」

「小さな神官ちゃん万歳!! 昔助けてくれてありがとう!!」

「流石は俺の見込んだ嬢ちゃんだ! きっとこうなるって分かっていたぜ!!」

「私のパーナちゃん、こっち向いて!!」


 その彼女を邪なものを圧倒する万雷の拍手と、祝福の言霊が包んでいく。

 その光景を呆然とコロネは眺め続けていた。


 ローネシアやベアーチェ達が拍手をしている。

 ノカリテスや、父であるテペテン枢機卿さえ、祝福の言葉を述べている。


 不敵な笑みを浮かべていたリディアが、その表情を崩し、涙と共に空色の髪の少女を抱き締めた。


 拍手の音が爆発した。


「偉大なる聖霊マルナイルナの名の下に、パフェラナ・コンクラートを水の聖女とする」


 法王の言葉が広間の中に響き渡った。


 それが頭の中に入った時、コロネは自分の中の夢が壊れて行く音を、確かに聞いた。


 青白い顔で辛うじて立ち続けていたコロネは意識を失い、崩れるようにして倒れ落ちていった。


 ……。


 ……。

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