風見の森 

 ペシエを出てから一時間が経った。

 ブルー・クラーケンは水球に包まれた俺を抱え、満天の星明りの中、地表から五千キロメートル離れた位置を飛行していた。

 

 眼下に広がるのは灯り一つ無い広大な闇であり、その全てが一つの森。

 『風見の森』と呼ばれるこの領域は、スス同盟国の西端のほとんどを占めている。

 

 風見の森の中には高い市場価値を持つ多くの動植物が生息しており、それを求めて森の中へと入る者は多い。

 けれども森の中には強大な魔獣達も多く、外縁部でさえ生きて帰れるのは中剣位以上の実力を持つ者だけである。


(この辺でいいだろう)


 水球の中で結跏趺坐を行い、俺の生体魔力を森の自然魔力と混じらせる。

 薄く何処までも広がって行く俺の魔力。それを通して脳裏に浮かび上がるのは外の世界の有様。

 

(……あった)


 無明の世界に捉えた目的地の座標を、念話でパフェラナに伝えた。

 ブルー・クラーケンが速度を落とし、木々が覆う闇の中へとその高度を下げて行く。

 

 やがて木々の先に大きく開けた場所が現れ、ブルー・クラーケンが竜翼をはためかせて、草の刈りこまれた地面へとその両足を着地させた。

 水球を隔て、視界に映り込むのは丸太を組み上げて造られた猟師小屋。


(また、戻って来たんだな……)


 星明りに照らされるその姿は、最後に見た時から変わっていない。

 不意に溢れ出した思い出の景色が脳裏を過ぎる。


(……)


 目を閉じて、少しだけ唇を噛む。

 涙が去るのを待って目を開き、彼女の方へと顔を向けた。


「とりあえず今日はここで休もう」


 ブルー・クラーケンの頭部はコクリと頷いてくれた。

 俺を包む水球がゆっくりと地面に降ろされる。俺が外へと出た時に、それは空気に溶けるようにして消えていった。


 思わずついた一息に、濃密な森の匂いが返すように肺の中へと入って来る。


(ただいま)


 郷愁がまた胸を突き、それから目を反らすように背後を振り返った。


 ブルー・クラーケンを虚空から現れた鎖が戒め、機体の姿が闇の中へと沈むように消えていく。

 最後に残った青い魔力洸が散った後には、紺青色のドレスを纏った少女の姿が在った。


「ありがとうパフェラナ。本当に助かった」


 感謝の言葉と共に彼女へと頭を下げる。

 

「いいえ。ヨハンさん、頭を上げてください」


 答えた彼女の声には力が無く、それが気になりながらも頭を上げる。

 そして目に入ったパフェラナの顔には、悲しみの表情が浮かんでいた。

 

「……私があなたを助けたのは、下心があってのことです」

 

 彼女は申し訳なさそうに口を開き、懺悔の言葉を紡いでいく。

 それに、俺は首を横に振った。

 

「いいや違う。パフェラナにどんな理由があろうとも、俺の窮地を救ってくれた事実は変わらない。君は下心があると言ったが、それは真っ当な取引としては当然のことだ」


 何か言葉を掛けなくてはと思い、気が急いて、口から考えも無く声が出た。


「取引、ですか?」


 パフェラナは不思議そうに俺を見る。

 もう勢いで行くしかないと、俺は彼女の言葉に強く頷いた。


「そうだ」


 まずはビジネスのマナーとして身分証を呈示しようとしたが、懐に入れた手は空を掴むだけ。

 訝し気に思って視線を向け、そこでやっと、今の自分の状態に気付くことができた。


 激戦を経た結果、俺の服はボロボロになり、その機能のほぼ全てが失われていた。

 殆ど半裸の状態で、所持品を入れるポケット等は一つとして残ってはいない。

 だから当然、その中身は紛失している。


「?」


 首を傾げる彼女に、気恥ずかしさから「コホン」と咳を吐いた。

 

「すまん、この通り身分を証明できるものは無くしている。口頭だけで失礼するが、改めて。俺の名は【最強無敵 ヨハン・パノス】という。よろしく頼む」


 差し出した俺の右手を、パフェラナの青い手袋に包まれた右手が握る。

 

「【青の機巧師 パフェラナ・コンクラート・ベルパスパ】です。水の神殿より聖権をたまわり『水の聖女』を務めさせていただいてます」


 握手を解いた彼女の手が胸元から宝玉のペンダントを取り出して、それを俺の方へと掲げた。

 それに埋め込まれたサファイアには、水の大神殿における聖女の紋章が刻まれている。

 パフェラナは間違いなく『水の聖女』を冠する者であり、だからこそ俺は彼女に聞かなければならなかった。


「水の聖女である君は、本当に俺を助けて良かったのか?」


――俺に抱ける下心程度で釣り合うものではないだろう。


 スス同盟国、いや開拓者協会と決別するようなことをしたのだ。

 それに見合う価値が俺にあるとは、全く考えることができない。


 鈍い俺でも、パフェラナが慮ってくれていることは察せられる。


――迷いがあるようなら、ここで別れた方が……。


 そう思いながら発した俺の問いに、しかしパフェラナはすぐにその答えを返してきた。


「はい」

「っ!!」


 思わずパフェラナの顔を凝視してしまった。

 

「ヨハンさん、お気遣いありがとうございます。ですがこの身は聖女を戴いた身」


 聖女とは勇者と並んで神殿の聖威の代行者を表す称号。

 聖女は『聖権』という名の権利を持ち、神殿の名の元に己の意思を何人にも妨げられる事はない。

 

「聖権を所有せし地位を担うものとして覚悟は持っています。ですから、あなたを助けたことで責めを負うならば、そこから逃げたりはいたしません」

 

 『聖権』は五千年前に行われた『第一次神殿改革』によって成立し、全ての神殿主義の国家はそれを最高法規、またはそれに準ずる法規において保証している。

 

「そうか……」


 パフェラナの蒼い眼には、強い意志の光が輝いていた。

 

(凄い人だ)


 この少女に、その覚悟に敬服しよう。

 聖女と勇者は人類を襲う災禍に対して、その先陣を切って戦うべき存在だ。

 だからこそ、人類の生きる世界では当然の事として、『聖権』はその強い威光を放ち輝いている。

 

――っと、そういえば……。

 

「パフェラナ。俺に話すときは敬語じゃなくて大丈夫だ。いや、むしろそうしてくれ」


 彼女の言葉には形式だけじゃない、確かな俺への敬意がある。

 だからこそみっともない話、小心者の俺は落ち着かないのだ。

 

「ありがと。ヨハンもって、最初からだよね」


 クスリとパフェラナが笑う。

 言葉を崩しても、彼女が纏う気品は些かも損なわれていない。

 むしろ年相応の活発な仕草と相まって、恐ろしい程に魅力的に見える。


「すまんな。結構雑に生きてきたもんで、体から貴婦人へ応対するやり方が抜けち落ちてるんだよ」

「気にしなくていいよ。私もその方が気楽だからさ」


 う~ん、とパフェラナは伸びをして俺は後ろ頭を掻いた。

 そして、お互いに少しだけ口を開いて笑う。

 

「『ベルパスパ』の性を名乗っているという事は、ベルパスパ王国の王族か?」

「うん。一応王族の籍には入っているよ」

「聖女に加えて王女様か。殿下とお呼び致した方がよろしいでございましょうか?」

「あはは。おふざけが過ぎるとテンティクルをぶつけるよ?」


 両手を空に挙げる。

 いや、彼女の蒼い目が少しだけマジだったもので。


(……それにしてもベルパスパ王国とはな)


 スス同盟国の遥か西にある大国。

 ペシエからは船や馬車を乗り継いでも一年以上は掛かる距離にあり、先生との旅で一回だけ寄ったことがある。

 その時に見た発展した都市の姿は、二十一世紀の都市の記憶があっても、本当に吃驚した。


 年輪の様に幾重にも重なる外壁に囲まれて、軒の高い建物が方々の区画に林立している。

 その中に敷かれた広い街路の上を様々な種族の人々が行き交い、きっちりと整備された石畳の上を幾つもの路面電車が走っていた。

 時々すれ違った警吏達の質はよく、装備品はほぼ最新式と呼んでもいいものだった。

 

 また、日本で令和の初めまで生きた俺の目にもオシャレに映る店は多く、牛頭人のマスターがいたカフェのフルーツパフェは絶品だったのを覚えている。

 

 用事があった先生とは途中で別れ、俺は頭に乗せたリリと一緒に街の中を散策した。

 街中で魔法の実験をする奇人とか、魔導大道芸を披露する大学生とか、橋を占拠して決闘を申し込む武人とかに出会った。


 他には興味を持った場所を覗いたりしながら、最後は白い建物の連なる貴族街にあった塔へと足を向けた。

 

 衛兵の目を掻い潜って、一足飛びに塔の先端へと登った。


 広大な街並みと、その彼方に見える巨大な山脈の姿。

 雲の切れ端の中には空に浮かぶ島の姿が見えた。


――異世界に来たんだな。


 あの時、初めてそう思った気がした。


 感慨に耽っていると、遠くで強い魔力の波動を感じた。

 それがあった方角を見ると、貴族街からかなり離れた広い丘の上で、軍隊の演習が行われていた。


 様々な種類の戦闘ゴーレムが動き回り、その上空では鎧を纏った竜達が魔導槍を持って打ち合いを行っていた。

 巨人達が上げる咆哮は大気を激しく揺らし、多くの兵士達が疾風のような速さで縦横無尽に動き回っていた。

 

 戦車のような戦術魔導杖からは魔法が途切れる事無く放たれ続け、それを人が乗った戦闘装甲ゴーレム達の砲火が撃ち落としている。

 

 そこに学べるものは多く。

 食い入るように見ていた俺の上で、眠ってしまったリリの垂らした涎が頭を濡らした。


 ……。


「ヨハン?」

「あ、悪い。つい物思いに耽ってしまった」


 コホン。


「お互いの詳しい事情は後にして、先に飯とかの準備をしようか」

「うん、そうだね」


 ブルー・クラーケンの水球は治療ポッドのような効果があり、おかげで傷は癒えて疲れも無くなった。

 

「その前に俺もお前も着替えた方がよさそうだ」

「そうだけどね、替えが無いんだよ」


「パフェラナは収納魔法は使えないのか?」

「私の今の魔法適性は水と土と生命なんだよね。ヨハンは?」


 広げた右の掌に紺碧の光が灯り、その中からパイプと煙草の葉を入れた小袋が現れる。

 ボンノウとの戦いで俺の魔力は覚醒し、無色だった魔力の色は紺碧へと変わったのだ。

 

「一応使えるけど、入れるのはこれが限界。他の属性は不明、というか俺の魔力が弱すぎて検査不能って言われたんだよな」


 ジッとパフェラナが俺の掌と喫煙道具を見つめる。


「……恐らくと思ってたけど確信したよ」


 そして彼女の蒼の瞳が俺を見つめる。

 

「ヨハン。あなたの属性適正は『世界』だよ」

「『世界』か。あの御伽噺の全ての属性を使えるというヤツか」


 確かに、魔力量の低さで使えないという魔法はあったが、属性適正の問題で使えないという魔法はなかった。


 その俺の言葉にパフェラナが首を横に振る。

 

「使えるというのとは違うよ。『世界』はね、厳密には属性じゃくて権能なんだよ」

「権能?」

「ヨハンは魔導学については?」


 肩を竦める。

 

「全然。俺は初学校を中退しているから、魔法学さえ怪しいぞ」

「でも全く知らないって事はないでしょ」


「そりゃ商人を目指していたからな。目に入れて耳に入る事はある」

「そっか、じゃあこの話はご飯の後にしよう」

「了解だ」


 猟師小屋の扉に付けられた金属板に触れる。

 そこ付けられた魔導玉に魔力を流し込むと、青く明滅し、扉の鍵が解錠された。

 

「ここはヨハンの? それとも開拓者協会の?」

「どっちも違う。まあ俺が入っている組織の所有物、だな」


「組織? ヨハンってもしかしてヤバイ人?」

「善良な一般市民だ。荒事を少し経験してはいるがな」


「あはは、それはちょっとムリのある表現だよね」

「どういうことだ。ったく、失礼だな」


 作業場の横にある箪笥を指さす。

 

「パフェラナが使えそうなのはあそこに入っている」

「ありがと」

 

 俺も別の箪笥の中を漁り使えそうな衣服を手に取った。

 時折、背後からパサリと布が立てる音が聞こえてくる。


それに居心地の悪さと、心拍の早まり、気恥ずかしさからの頬の火照りを感じる。


(前世も含めて長く童貞してるからな~)


 ボロボロになった衣服を脱ぎ、腰帯から剣を外す。


 カグヤからもらったこの魔導剣は、作りのしっかりした超一流の品。

 柄の機構を外し、見えた所に刻まれた銘は『需們じゅもん』。

 

 ダニエル工房製作の最新式の魔導機構に剣身は錬金合金であるホーン鋼、竜の角と鋼を混ぜた物が使ってある。

 魔導機構に魔力を流すと、錬玉核が緑に輝いて安全装置が外れ、丸みを帯びていた刃が鋭く変わった。

 

 軽く振ると、ピッと空気を良く斬る音が鳴る。

 

(これ、四万金価はするな)


 『これまでの貸しで清算』とカグヤに言ったが、全く以て俺の方がぼったくりだ。


(出世払いにしてくれることを願おう)


 考えに蓋をしてさっさと服へと袖を通す。


「ヨハンこっちは着替え終わったよ」

「おう」


 自分の着替えも終わり後ろを振り返る。

 

「どうかな?」

「おう、よく似合ってるぞ」


 軽装の魔導鎧に女性用の動き易い服を着込み、長い空色の髪は纏められて後頭部でテールになっている。

 青いドレスの時はミステリアスな令嬢というような雰囲気を醸していたが、今は活発な少女の開拓者といった感じになっている。


「ありがと。ヨハンは、何だろう、本当に普通っぽい恰好だね」


 シャツとズボンを履き、防御力の高い魔獣の革で作った鎧を身に着けた。

 狩りを生業にする開拓者の恰好としては一般的なものだ。

 

「まあな。普通が一番やり易い」

「そうだね」


 * * *

 

 闇に閉ざされた森の中を歩く。

 風見の森の深部だけあって、そこいら中に魔獣の気配がある。

 

(まあこいつらは足らなかったら狩るか)


「もう少しだ」

「うん」


 草の茂みから三匹の狼が飛び出してきたが、即座に抜いた需們で一太刀のもと斬り飛ばした。

 

「パフェラナ、そことそこだ」

「了解」


 パフェラナの魔導杖から放たれた氷の矢が過たずに草木の影に隠れていた残りの狼を貫いた。

 

「いやあホント、魔法士といると楽でいいな」

「ふふ、任せてよ」


 空に雲は無く、しかし生い茂る葉の天蓋に覆われたこの場所へは月明りも星明りも届かない。

 だが俺は、そしてパフェラナもこの程度は苦にならなかった。

 

 パフェラナは魔法を使っているが、俺は完全に肉体の力だ。

 音と匂いは闇の中でもあり、気配や魔力を感じる知覚を妨げるものは無い。

 

 迷うことなく、目的の獲物が居る場所に到達する。

 

 その場所は開けていて夜空の月と星の明りが照らし、巨大な一枚の岩が横たわる。

 岩の上では硝子質の角を持つ、十五メートルはある体躯きょく牡鹿おじかが眠っていた。

 

 需們を握って魔力を流す。

 錬玉核たる風錬玉が活性化して緑色の光を宿した。

 

 俺達に気付いた牡鹿が目を開け、その巨躯を起こす。

 巨大な目が開き、金色の瞳が俺達の方を向く。

 

「悪いな。試し切りも兼ねて、お前の肉と魔生石をいただく」

「活き活きとしてるね。とっても人相が悪くなってるよ」


 パフェラナもクルクルと回した魔導杖を構える。

 属性活性はさせず、錬玉核の輝きを無色のままにしている。


「うるせえ。こっちは今日はホントにストレスが溜まりまくったんだ。ここで少しは発散させてもらうぜ」

「イッシン卿を殴ってすっきりしたとか言ってた気がするけど」


「それ以前の分がまだあんだよ」

「左様でございますか。来るよ!」


『オオオオオオオオオオオオオ!!』


 咆哮を上げた牡鹿が地面を蹴る。

 砕け散る岩の爆発を背に、赤く輝く大角を向けて突進してくる。

 

 俺とパフェラナはそれぞれが横へと飛んでかわすが、牡鹿はその勢いのままにパフェラナを標的として走って行く。

 

「空より降りて穿うがつは石山・【雨槍散閃うそうさんせん】」


 パフェラナは呪文を唱える間に、別の魔法を無詠唱で行使して地面に氷の膜を張るが、牡鹿は滑ることなく踏み砕き彼女へと向かう。

 

 しかしそれでも牡鹿の速度は僅かに落ち、十分な間合いの中でパフェラナの唱えた魔法が完成した。

 魔導杖に灯る眩い青の魔力洸、そしてそれが形作る巨大な魔法陣。

 そこから生み出された無数の青い水の槍の散弾が、驟雨のように牡鹿を襲う。

 

『ブオオオオオオ!!』


 牡鹿の叫びに応えて、大角が赤い魔力洸を発し、それはやがて燃え盛る豪炎と化した。

 水の槍は大角の炎に掻き消され、牡鹿の身体に当たった物もその毛皮を突破できずに飛沫となって散っていく。

 

「うわ、こいつ結構強いよ」


 自分の魔法の影に隠れたパフェラナが俺の所まで逃げて来た。


「当たり前だ。『風見の森』の深部であるこんな場所で堂々と姿さらして眠るヤツが弱いわけないだろ」

「いやだって私『真達位しんたつい』なんだよ。あいつ鹿だよ!?」


 立ち込める水蒸気を突っ切って牡鹿の姿が現れる。

 地響きを従え風を切り裂く巨躯の突進。


「だがな」


 左拳に魔力を集中する。

 強化魔法を発動させて紺碧の魔力洸に包まれたそれを、肌に獣の匂いが付くほどの眼前に迫った牡鹿の鼻面へと叩き付けた。

 

『ブオオオオオオオオオオ!?』

 

 牡鹿の突進が止まり、巨体が僅かに宙へと浮く。

 空気の爆発する音が周囲へと走り、暗闇の木々の中から無数の鳥達が飛び去って行く。

 

「ボンノウに比べればホントに可愛いもんだ。パフェラナ!」

「昇り貫け氷の刃・【氷槍螺旋ひそうらせん】!!」


 虚空に在って無防備となった牡鹿の腹の下から、螺旋らせん描く澄んだ氷の巨槍が現れ、その腹を突き破って背へと抜けた。

 

『ゴフォッ!!』


 牡鹿が口から血を吐き出し、パフェラナの氷槍によって位置がさらに上へと昇る。

 

「じゃあな」


 吐き出された血を避けざまに需們の刃を一閃。

 ズルリと滑り落ちた牡鹿の頭部が地面にゴトリと転がった。

 

「パフェラナは力はあっても経験が足りない感じだな」


 無詠唱ができるのに詠唱して魔法を使ったのも。

 戦闘に用いる魔法の使用が少しだけぎこちなかった、魔法に色が顕れなかったのも。

 たぶん、野生の魔獣との戦いはこれが初めての事だったのだろう。


「面目ないです」

「いいさ。お前ならすぐに慣れる」


 パフェラナの空色の髪を撫でる。

 弟に、ノルマンによくしていたから無意識にしてしまった行為だった。

 

「あ、悪い」

「ううん。ありがと」


 パフェラナの頬には少し朱が差していた。

 





// 用語説明 //


【身分証の提示/マナー】

  開拓者証は取引における身分証明の方法の一つであり、初対面の相手との挨拶時には提示するのが西方諸国のマナーの主流。

 身分証明として一般的なのは、市町村役場で交付される市民証の方である。


 なお余談になるが、開拓者協会の発行する開拓者証にはD級以下の等級は記載されていない(D級とは魔導戦闘ができる事を意味し、一般的な兵士以上の力は持っていることを証明する等級である)。

 これは所謂『新人狩り』を防止するための方法であり、戦闘能力や職務への熟練が低いE・F級を守る為に設けられた施策である。

 

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