離郷

~パフェラナ・コンクラート・ベルパスパ~


 大河の流れの如き魔力が、うねり、ひとつへと収束していく。

 ブルー・クラーケンを取り巻く七つのテンティクルが結界を形成し、今、私はただこの終わりへの引き金に指を掛けている。

 

(凄い……)


 運命ドゥーム巧式フォーミュラーの制御を司る水球の中で、ヨハンさんとイッシン卿の戦いを見た。

 真達位を得たばかりの私では、その戦いを僅かしか捉えることができなかった。

 

 イッシン卿こそは開拓者達の頂点。

 しかし彼に打ち勝ったヨハンさんの開拓者の等級はF。

 

 ゼブとの試合から、私は『ヨハン・パノス』という青年について、少し話を集めた。


 保有する生体魔力が生まれつき少なく、体躯こそよく鍛えられた姿をしているものの、虚弱な青年。

 捻くれた性格をしているが、家族思いであり、交友のある者達を大切にしている。


 剣を良く使い、武剣評価は得ていないが、戦闘において亜竜を単独で仕留めた事がある。

 そしてここ一年は開拓者達の社交場として有名なバレル亭の用心棒をしており、半年前に【戦獣騎】と交戦、打倒を果たしているとのこと。


 F級開拓者が、しかも魔力的に虚弱な青年が彼の【戦獣騎】を倒した話は流石に荒唐無稽なものであり風聞の脚色があったとも思ったが、イッシン卿との戦いはその情報を齎した『魔月』の評価を裏付ける結果となった。


 【戦獣騎】。

 【銀豪剣】。

 そして【天座】。


 剣魔の飛び交う修羅達の中でも飛び抜けて名を馳せる強者達。

 それに抗しうる青年。


 この状況は私にとって千載一遇の機会であり。


 それゆえに。

 

 私は彼に酷いお願いをしなければならない。

 

 でも。

 それでも彼ならばきっと。

 そう、愚かな私は願わずにはいられない。

 

 脳裏に浮かぶのは、一億年を経た魔剣の成れの果て。

 最悪にして最強の魔剣。


 崩壊する水の大神殿の中から噴き上がる、悍ましき程に強大な黒の魔力を纏う姿。

 

(彼なら……きっと、あの『魔剣皇帝』を……)


 * * *


 ズドオオオオオオオオン!!


 地面とアリーナが弾むように揺れた。

 煌々と照らす照明の光を、噴き上がった膨大な土煙が閉ざす。

 

 握っていた左手の拳を開く。

 グルグルと頭を回っていたストレスが消え、頭の中の思考を埋めていた怒りの血潮が引いた。


 ボンノウから喰らい加算された魔力が体中を巡り、かつてない程の充足感に満たされている。


 五感の能力まで広がり、世界を流れる様々なが聞こえて来る。


 隠れている奴等。

 バレル亭の人間を始めとした友人知人達。

 

 デバソンと、ダーン家の人間。


(そっか。無事だったか)


 客席の貴賓室の一角に父と母とノルマンを見つけた。

 みんな首は繋がっている。


 心配そうに俺を見つめる母とノルマン。

 そして、あの旅に出た日と同じ眼差しをした父の姿。


 その父が、頷いてくれた。


(っ……)


 涙が零れそうになった。。

 そして結局、この火の大神殿決闘祭儀場にエリゼの姿を見つける事はできなかった。

 

(本当に茶番だな。まあ、俺の無様さは自業自得か)


 朦々とする土煙の先からは動く気配がない。

 ならばお互いに、これがこの場の決着ということだろう。


 それにボンノウの性格を考えると、デバソンは計画に便乗する形で利用したのだろし、父達へはきちんと協力を取り付けたのだろう。

 

 ……つまり同郷の先輩にも心配を掛け過ぎた、という事だ。


 ボンノウの真意の全ては分からないが、ただ俺の何かが大きく変わったという事は感じ取ることができた。

  

(「ヨハンさん!!」)


 パフェラナの念話が聞こえた。

 きびすを返し、ブルー・クラーケンへと向かう。

 

 ふと振り返り、瓦礫の中のボンノウへ何かを言おうと思ったが、すぐに忘れてしまった。


「……じゃあな」


 とりあえず、最後の別れを告げて歩き出す。

 いつかペシエに帰った時にまた話したいと思った。

 

 視界の右端に、結界に守られた盟王がただ一人でたたずんでいる。

 

 傲岸不遜なその目は俺を見ているが、動く素振りは無い。

 そのまま歩いて通り過ぎようとする。


 音も無く、気配も無く。

 影さえ残さぬ速さで飛んで来たのは一振りの剣。

 

 首を反らして刃を避け、右手で柄を掴んで止めた。

 

「止してくれよカグヤ。ボンノウと戦ってクタクタなんだ。それにS級さん方と戦う力は俺には無いんだからさ、ホント勘弁して欲しいんだけど」

「あ~あ、よく言うよ、ホント」


 景色がベールのように開いて、その中から一人の少女が現れる。

 和装に身を包み、腰の左右に刀をいている。

 流れる長い黒髪と、黒曜石のように輝く瞳を持つ人形のように整った顔の、幼さの残る年下の少女。

 

 ペシエの八人のS級開拓者の一角であり、ボンノウの直弟子。

 

「一応弁明しとくけど、師匠は便乗しただけだからね」

「分かってるよ。これは……」


 息を吐く。

 

『戦いで最も大切なものは情報だと私は考える。弱い人間に生まれたからこそ、どんな時でも情報を疎かにしてはならないよ』


 あの時の師の顔が脳裏を過った。


(全くその通りですよ、先生)


 肺から出て行った空気は、とても重く感じた。


「これは俺のポカだ」


 両手の拳を強く握った。


「ふふ、流石はヨハン、解ってる~。でも本当にタフだよね」


 俺の顔を覗き込むようにしてくるが、思いっきり殺気をぶつけてやった。


「まあ精々頑張って逃げて頂戴ちょうだいな。は私がやってあげるから、次は遊んでよね」


 楽しそうに笑う姿がとてもムカツク。

 二つの人生で初めての彼女を得て、さらには婚約したことで浮かれていた。

 それが大切に想っていた可愛い幼馴染で。


 恋愛で相当に頭がやられていたと、今は心の底から自覚している。 


 これは客観的に見て相当に恥ずかしい話か。

 可笑しいのは解るが、それでもムカつくものはムカつく。


「女にケツを掘られる趣味はねえよ、けっ」

「いけず」


 ちぇ~と唇を尖らせやがる。

 中身は百戦錬磨の剣士であるが、振る舞いは全くのクソガキだ。

 ついでに性格も悪いので、腕っぷし以外はS級開拓者として尊敬するべき所がまるで無い。


「じゃあな。あ、これ貰ってくぞ?」


 右手の剣をセイフティーモードにして腰帯こしおびに吊るす。

 流石はS級開拓者様が投げて寄越した剣だけあって造りが良い。

 

 魔導機構は最新式で、魔力に対する反応が頗る速いし、魔法変換に使う魔力も驚くほど少ない。

 錬玉核も風連玉の最高級品だ。

 ……お値段が大変気になります。


「どうぞどうぞ。私の稼ぎの三か月分だから大事に使ってね♪」


(……返そうか)


 いや、得物が無いのはマズ過ぎる。

 

「……これまでの貸しで清算しといてくれ」


 ヒラヒラと手を振られた。


 彼女の他にはあと二人の男と女が姿を現している。

 こいつらもカグヤと同じでボンノウの直弟子。

 

 俺を睨んで来るのは、さっさと行けという意思表示か。

 

 膨大な青く輝く魔力を纏うまと八メートルの巨人が、天へとその黒き突撃槍を構えている。

 そのブルー・クラーケンの前へと立った俺を、青い水球が包み込んだ。

 

(「行きます」)


 左手に抱えられる。


(「ああ」)


 黒い突撃槍グラビテスに幾つもの青い筋が現れ、その穂先が分かたれた。

 

「グラビテス、モード・タイフーン」


 パフェラナの声が聞こえ、突撃槍が青い砲へと姿を変える。


「シュート!!」

 

 膨大な青い閃光が空へと放たれた。

 宙を刹那せつなで翔け、都市結界を越え、竜の襲撃にも耐えうる魔術の強大な防壁を越え、何処までも昇っていく。

 青い光の柱は遠い星空の果てへと、闇夜の空を突き破り、その輝きを轟かせていった。

 

 寸前。

 観客席に見えたデバソン。

 

 ……。

 諦念ていねんを得た。

 でも怒りが消えたわけじゃ無い。

 

 ありったけの殺気を叩き突けてやる。

 デバソンが白目を向いて、口から泡を吹きながら倒れていった。


 少し溜飲が下がったが、虚仮にしてくれた礼はいずれさせて貰う。

 

「ふん」


 姿を隠した強者達の気配が、このアリーナには幾つも漂っている。


 笑顔で手を振っているカグヤと同じ存在、頂きに君臨する王者達。


 今の彼らに殺気は無く、潮の匂いもしない。


 此処では最後まで傍観していてくれたが、視線に感じる熱から、がカグヤだけという事にはならないだろ。


これから俺の進む道で、何時か刃を交えるかもしれない。


(ホント、勘弁してくれ)


 静まり返った広大なアリーナの中。

 照明の光に照らされて、観客達の視線を受けながらブルー・クラーケンが翼を広げて浮遊する。

 

 強大で神々しき、伝説の中の伝説に埋もれしいにしえの機兵。

 その腕に抱えられて仰ぎ見る姿、その荘厳たる美しさは筆舌に尽くし難い。


 物語の終幕を告げて去って行く機械仕掛けの神デウス・エクス・マキナのように、闇の夜空へと青い輝きを放ちながらアリーナの外、火の大神殿の外へと飛翔する。


「じゃあな。俺の、故郷」


 ブルー・クラーケンの速度はすぐに風を超えて。


 キラキラと数多の灯火が宝石のように輝く、ペシエの都市の夜景は、すぐに後ろに消えて見えなくなった。

 

 * * *

 

 ヨハンの決勝の戦いを見届けた私はすぐに会場を後にした。

 馬車を使って向かったのは、お客の一人がくれた瀟洒な高級アパートメントの一室。

 この部屋の存在を知る者は限られており、父も母も兄も知らない。

 

「♪~♪~♪~」


 鼻歌を歌いながら最後の荷物の整理をする。

 お客が支払う代価は父達が握っており、私が受け取るものは少ない。

 実家の部屋もそうだが奢侈を好む私の部屋としては、ここも物の少ない空間であった。


「♪~♪~♪~」


 諸々の根回しや手続きはが手を回してくれており、相続によってヨハンが得た剣闘大会の賞金である二十万金価は、合法的に私が手にすることができる。


 剣闘大会の過去において、貴族や裏の有力者などが暗躍した事例は枚挙に遑がない。

 ある時、死亡した選手の賞金を運営委員会の貴族が横領しようとした事件があり、選手の知己達から政府への猛烈な批判が巻き起こった。

 彼らはそれぞれが有力な開拓者であったが為に事件は公にされ、以後、賞金を得た選手が後に失格になったとしても、必ず賞金の支払いは行われることとなった。そして選手が処刑されるような事があっても、最大限に相続人を立てることとされた。


 ヨハンの相続人としておじさんやおばさん、そしてノルマンもいるが、彼らもによってすぐにヨハンの後を追うことになっている。


「♪~♪~♪~」

 

 当初の予定では、ヨハンと合法的に婚約破棄した後はと婚姻を結んで貴族の籍と財産を手にするつもりだった。

 しかしヨハンが予想に反して剣闘大会を勝ち上がり、慮外の二十万金価を手にすることができた。


 だから計画を繰り上げることにして、今日でペシエの町を後にすることにしたのだ。

 

「ああ呪わしきかなペシエの町よ♪ ああ忌まわしきかなペシエの町よ♪」


 鼻歌を口遊みながらトランクのふたを閉める。

 必要な荷物は何とか一つのトランクの中に納める事ができた。

 

 観光旅行をするには多くもあり、故郷を最後にするには少なくもあると感じる荷物の量。

 

「さて、準備は終わったかね?」


 声に振り向くと、髭を生やした黒ずくめの偉丈夫が立っていた。

 引き締まった体躯をスーツが包み込み、首には金をあしらった十三宝玉十字のロザリオが掛っている。


 彼を例えて言うならば、紳士の装いをした信心の深い粗野な獣。


「あら先生。ええ、お待たせしました」


 にっこりと、微笑んで答える。

 彼は時間に五月蠅うるさい人ではないが、今は確かに時間を意識しなければならない場面だった。

少しだけ不機嫌を覗かせる彼へ向けるべき愛想を、強く表すよう意識する。

 

「平時なら幾ら時間を使ってくれて構わんがな。だが今はそうではない。時間は効率的に使わねばならん」

「ごめんなさい。でも女には必要な物が多いのです」

「全く。女性の荷造りはいつも時間が掛っていかん。荷物など適当に必要な物を詰めれば一分も掛からんだろうに」


 彼へとしな垂れかかり、胸の間に彼の左腕を挟む。

 潤ませた瞳で見上げれば、彼は一息吐いて「やれやれ」と言った。

 

「全く。一夜の夢が高く付いたものだ」

「あら? 敬虔な可愛い信徒を得たのです。その夢は聖主のお導き、正しい運命だったのでは?」

「ふむ、まあいい」


 彼の絹の手袋に包まれた右手が懐中時計をポケットにしまう。


「騒がしくなっている今が好機といえば好機だ。手早く出国してしまうとしよう」

「はい」


 左手が私の腰へ回る。

 お互いに身体を密にしたまま、ペシエ最上級のホテルを後にする。

 

 ポツリポツリと灯る街灯。

 お祭りの中のペシエの大通りは、今の時間でも多くの人々の喧噪がある。

 しかし今は、殆どの人々はその意識を火の大神殿へと向けていた。

 

 港へと歩く私たちの横を騎馬と人員を満載した警備用装甲馬車が駆けて行く。

 彼らが向かうのは火の大神殿の方向。

 

 あとはヨハンの処刑があるだけのはずだけど。

 市中の警兵をまるで根こそぎ持って行くような有様が、少し気になって。

 

 私はふと火の大神殿を見た。


 そして。

 

 大地を震わすほどの轟音が町の空から襲い掛かって来た!!

 

「キャッ!?」


 それに驚き態勢を崩してしまう。

 咄嗟に腰に腕が回され、それに支えられる。

 「ありがとう」と先生にお礼を言い、音のあった場所を見やる。


 青い巨大な光の柱が見えた。

 火の大神殿を貫き、都市結界を貫いて、空の闇の彼方へと遠ざかって行く。

 

 そして火の大神殿の中から巨大な人影が空へと昇り、遥か星空へと飛び去って行った。


「あ……」


 ただ一瞬の邂逅。

 火の大神殿と町の照明の光の中に見えた、青い鎧姿の巨人。


 脳裏に焼き付いたその姿が、卑小な私の心を抉った。


 強く美しく、そして無垢。


 ああ、なんと私から遠い存在であることか。

 その距離が、なんと私を惨めにさせることか。


「ああ、あああ」


 私は震え続ける。

 視界は歪み、流れ落ちる涙は止まらない。

 

(なんて美しい。なんて神々しい)


 両手で顔を覆い、なだ嗚咽する私の肩に揺すられた。


「大丈夫かい?」


 先生の暖かい男の声が私の耳朶を震わせた。

 その生々しさにハッとした私は、濡れた顔をハンカチで拭いて立ち上がった。


「ごめんなさい先生、ありがとうございます。私はもう大丈夫です」

 

 ……。


 私の感が告げた。

 青の巨人、あれと共にヨハンがいる。


 漠然とした不確かなものではない。

 【運命】の属性適正がある私の勘はとても、そうとてもよく当たる。


(なんで? 何で?)


 心の奥の、微かな熱がチロチロと蠢きだす。


(ヨハンが生きてる?)

(私の為にその全てを捧げて死んでくれたんじゃないの?)


 莫大な賞金も血肉も名誉も魂の嘆きも。

 大切なあなたは、私の大切なしあわせの掛替えになったんじゃないの?


(どうして?)


 私の無垢な時代の、綺麗な思い出になってくれないの?

 生きているの? 私の手の届かない場所に行っちゃうの?

 そこでいつか私を忘れて、あなたの中から私を消して、生きていくの?


 それは、とてもじゃないけど。

 

「許せない……」


 鉄の煮えたぎるような小さな小さな声が。

 澱んだ臭いを放ちながら口から零れ落ちていった。

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