星明りの見えない夜空


「はぁ、はぁ」


 ホームセンターで買った、変速機が無い八千円の自転車に乗って。

 山に張り付けるように作られた住宅街の坂道を走った。

 

 二十四歳の時で、確か九月の中頃だった。

 十八時を過ぎて、夕暮れの中にあった町はゆっくりと夜へ変わっていき。

 自転車に乗った学生達が、自分とは反対の方へと走り去って行った。

 

 自転車を止める。

 木に覆われた暗い坂の参道を中を歩く。

 境内に着いた頃には、辺りは全て闇に包まれていた。

 

 足を止めて、山頂へ続く道を見つけて、また歩いて。

 途中にあった岩の上で景色を振り返った。

 

 山に挟まれた谷底のような土地に町の灯りが煌めいていた。

 何も感じず、独りぼっちで、ただ立ち尽くしていた。

 

 底辺の学歴で、留年して、試験に落ちて。

 前にも行けず横にも行けず、登る事ができないツルツルのコククリートのカラカラの穴の中で、暗い夜空を見上げ続けるような気分がいつも自分を押し潰し続けていた。

 

 理由も無く部屋を出た。

 そして此処に居た。

 

 ずっと底辺にいて他から見下され続けていたから、だからこの全部が見える場所から見下ろそうと考えたのか。

 無様な自分は終わることなく続いていて、あの時の自分が本当は何を思っていたのか、それさえも忘れてしまった。

 

 住む場所が変わっても、身体が年齢を重ねても、絶望と渇望を繰り返していた。

 

 見上げた夜空に手を伸ばす。

 北斗七星が見える。

 

 町の灯りで濁った夜空を思い出す。

 

 自分だけが眠らない場所で。

 

 太陽が消えて、月が消えて、人が消えた場所に居ても。

 

 星明りだけはこの手に包むことができた。

 


 * * *

 

 バチリッと、まぶたの中で火花が散った。

 

「ガハッ!」


 意識が開き、目の中に照明の光が飛び込んで来た。

 目が慣れるに従って光に霞む夜の闇が視界に映り込んで来る。

 

 身体に疲労がまとわり付いている。

 痛みは強く。

 無くなった左腕の付け根には、治療魔法が掛けられおり、血は止まっていた。

 

「目が覚めたか?」


 無事な右手を頼りに、這い蹲るままに顔を上げる。

 

 非常に質の良い、白い貴族の礼装を纏った壮年の男。

 多くの兵士を従えた彼の冷たい青い目が、汚物でも見るように、俺を見ていた。

 

「仮にも貴族の端くれの血を引きながら、よくも神聖な戦いを汚してくれたな」


 顔は赤く染まり、解り易い程の激怒を表情に表している。

 

「俺は、あんたが何を言っているか理解できないがね」


 ドゴンッ。

 

「ゴハッ」


 隣に立つ兵士に左腹を蹴られた。

 威力の殆どを流したが、死闘の後の疲労と痛みに邪魔されて、幾らかを仕損ねた。

 

「ハアッ、ハアッ、ハアッ」


 唾に血が混じる。

 

 この空気には覚えがある。

 

 前世で、何度も、何度も。

 

 すえた臭い。

 立ちつくす俺の右腕へ、籠手こての覆わない部分に、害意と共に力いっぱい竹刀が打ち込まれる。

 

 痛い。

 

 脇腹、胴が覆わない道着だけの場所へ、力いっぱい竹刀が叩き込まれる。

 

 痛い。

 

 態々歩いて俺に前に立ち、ジャンプして面の上部を力いっぱい叩かれる。

 

 痛い。

 

 その日々に慣れてしまった、部活という牢獄。

 この苦痛の地獄から早く『帰りたい』といつも思っていた。

 

 学校は部活への参加を強制し、転部しない事が普通であった。

 そこに幼い意識を絡まれて、愚かな真面目さ故に、地獄にいた。

 

 周囲は害意を持つ敵。

 俺を虐げ、傷つける事に何の痛痒も感じない人面獣心の敵。

 

 ……幻視に意識を喰われそうになり、唇を噛んだ。

 

「あんたこそ、『神聖な戦い』を生き抜いた人間にする仕打ちじゃないだろう」


 男は兵士の一人に目で合図をした。

 そして、彼が手に持っていたものが俺の前に置かれた。

 

「……ッ」


 俺がこの大会で使った黒鋼の剣、の残骸。

 壊れた剣身、その割れた黒鋼からのぞくのは、錬玉核れんぎょくかくを用いた構造。

 

 紛れも無く、魔導機構。

 

 故にこの剣は魔導剣であり、スス同盟剣闘大会においての禁じ手。

 

(そう……か)


 控室でのデバソンの声が脳裏を過る。


『お礼なんて水臭い。むしろこれは俺が用意して当然の物だ。大会用の剣でも最高の物を持って来てやったぜ』


 友人だと思ってた男の真意を理解した。


 あまりの怒りに視界が揺れる。

 しかし次の瞬間に浮かんだ父と母とノルマンの顔に、熱はすぐに冷めてしまった。

 

 父と母の声に耳を傾けなかった俺の行動、それが家族へ与える影響を考える。

 とがめを受けるのは俺だけで済むが、しかし父達もまたペシエに住む事が難しくなる。


 何ともはや『スス同盟剣闘大会』は国家の威信を示す場であり、出場者は武人のほまれを得る場である。

 それを汚した俺の血縁たる家族は町中から村八分の扱いを受けるし、父は信用を失い衛士長を続けることはできなくなる。


(それに……)


 剣闘大会の検査をすり抜けた『黒鋼の剣』。

 ただの武器商会が作れる物でなければ、入手できる物ではない。


 のするこの剣を巡り、ダーン武器商会は俺への関与も含めて、当局からの追及を受けるだろう。


(それも俺がここで処刑されてからだろうがな)


 この貴族達を見るに、根回しはされているようだ。

 デバソン、いやダーン武器商会は保身の為に俺と家族の悪評を流して徹底的に貶めるだろう。

 そして最悪、家族は闇に葬られる可能性は高い。


(……、……伝手つては、ある)


 正真正銘、俺の最後の切り札。

 払うべき代償のでかさは見当も付かない。

 しかし、俺のは必ず破滅させる事ができる。


 それは余りにも恰好が悪く、余りにも師の恩に泥を塗る行為。


 手を握る。

 口を噛み締める。


(ごめんなさい、先生……)


 決意しようとしたとき、それを見つけた。


 一等席に座るデバソン。

 俺を見下ろして嘲笑を満面に浮かべている。


 その口が声無き声を出すようにして動く。


『お前の家族には手を出さないでやるよ。その代わり、分かってるよな?』


 愛する少女の顔が脳裏をぎる。


『私、とても心配したんだよ?』


 十歳のあの時、俺を心配してくれたエリゼの声を思い出した。

 ダーン武器商会を破滅させるという事は、彼女も破滅させるという事だ。


 身体が完全に虚脱して、詰んだ事を理解した。

 

(……エリゼ)


 ふつふつと沸く、ドロリとした黒く重い熱。

 しかし俺は、慨嘆する心へ、重い鉄の意思の蓋を被せた。

 

「そうか、ばれたか」


 不敵に、不遜に笑う。

 

 俺に向かう怒りの感情の波が、灼熱の窯にたぎる炎の様に荒れる。

 

「貴様アアアア」


 バンッ!!


 俺の右頬を貴族の男の拳が打ち抜いた。

 鋭く痛むが、それだけだ。


「ハッ。貴族様は殴り方も知らんか。お作法の前にオークにでも戦い方を教わるんだな」


 バンッ!!


 左頬を殴られた。

 この大会の戦いで得た痛みに比べたら小指に針が刺さった程度の痛みだ。

 

 積み重なる痛み。

 俺は怒りの形相の男に殴られ続け、最後に腹に入れられた蹴りで地面に吐瀉物としゃぶつき散らした。

 血の味が鬱陶しい。

 

「ゲハッ、ッッッ、ハアハア……。どうしたその程度か?」


 遂には激昂げっこうし、魔導剣を抜いた男。

 

(ここで終わりか)


 どちらにしろ、この大会の不正の罪は俺だけが背負う事になる。

 

 これまで開催された剣闘大会でも、それこそ不正は何度も行われている。

 しかし、俺の知る限り当局の追及を免れた者は皆無である。


 調査にはあらゆる人員と資源が投与され、追手にはS級開拓者さえも参加する。

 これには研修と実験の意味も含まれており、ボンノウ曰く『無駄はない』とのこと。


 そして捕まった違反者には厳しい処罰が下される。


 ただ行為に無関係な者、例えば血縁者や交友関係があるだけの者等の連座は禁止されているし、主犯以外には大きく情状酌量が認められている。


 債権債務関係によるもの、或いは貴族が平民に行う圧力等、個人の力では抗えないものは幾つもある。

 そのような者にまで重罰を科していては、下位の階級の者が大会に出る事は無くなってしまい、あまねく者達の参加を認める大会の趣旨の意味が無くなってしまう。

 

 そして試合の結果を遵守するよに法律まで制定されており、発生した賞金や副賞は本人しくは本人が指定した相続人に必ず授与される。

 本人の関係を整理する為にこそ、参加資格として開拓者という法的に身分関係から独立した特殊な資格が要求されるのだ。

 

 畢竟ひっきょう

 両親や弟、親戚達には害が及ばない。

 金は必ず残るので、今後の家族の生活に不安は無い。

 

(……)


 夜空の星は、まばゆい照明の光に邪魔されて見えなかった。

 前世は絶望して、美しいと思った場所で死んだ。

 今世は友の裏切りに気付かずに、自己満足の愛の果てに死ぬようだ。


 けれどもせめて、叶うならば星明りを見て死にたいと思った。

 

 俺を見下ろす男がその手に持つ魔導剣を振り上げる。

 そして黄土色の魔力洸を纏った刃が振り下ろされようとした瞬間。

 

「待て」


 誰かの声がそれを止めた。

 

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