. ~エリゼ・ダーン~
わたしは『しあわせ』を夢見て、『しあわせ』を求め続けている。
ショーウインドウの先にあるドレス。
ショーケースの先の宝石。
壁に隔てられた貴き身分の者達の屋敷。
高くに仰ぎ見る白亜の王城。
いつだって、わたしの心を魅せたのは遠くにある手の届かない物。
それを望み続けて、それを諦めることができなかった。
あの眩い輝きこそが、わたしの望む『しあわせ』。
わたしの大切なものを積み上げ、夢への
この手に掴む、その時まで。
* * *
「やあ、眼が覚めたかい?」
レースのカーテンから洩れる仄かな明り。
調度の整えられた部屋はまだ薄暗く、影の中を光の粒子が舞っている。
「ありがとうございます」
渡されてたカップを受け取る。
暖かい紅茶。
香り立つ湯気の向こうで。
裸身にガウンを纏った彼がカーテンを開けた。
ガラス窓には霜が出来ていて、彼はそれをなぞって子供が描くような竜の絵を描き始めた。
「夏の終わりとはいえ朝は寒いな。暖房を動かしているが、問題があったら言ってくれ」
「はい、とても心地良いです。ありがとう、ございます」
カップに口を付ける。
心地よい香りが喉の奥へと流れて行く。
最高級の葉のみが出せる、その飲み慣れた味に一息吐く。
「俺も父上と兄弟か、何てな。ププッ」
「もうっ。下品な話は止めて下さい」
「はは。悪い悪い」
この部屋の窓の先、霜に霞むガラスが隔てた風景の先に、スス剣闘大会が行われる火の大神殿の広大な敷地が見える。
英雄や魔獣を象った像が立ち並び、半球形の屋根を持つ巨大な建築物はその全てが闘技場。
他に並ぶ建物は簡素な造りで華美さの欠片も無い。
火の神殿は戦の祭祀でもあり、このスス同盟国の王都であるペシエは開拓者が最も多く集う町。
『第二百回スス同盟剣闘大会』は最大の祭りであり、町の全てがこれに熱狂している。
その熱は、まだ眠る者の多い、この微かな朝日が差す時間の中でも感じられるほど。
「おや? おいこれ見てみろよ」
彼の魔法で窓ガラスの一部の景色が映像へと変わる。
「今大会で話題の英雄さんが独り寂しく、屋根の上で煙草を吹かしていらっしゃるぜ」
ケラケラと笑う。
「もうっ。彼は頑張っているんですよ」
「ハハハッ。まあ、そうだね。プハハッ、笑えるったらないよ」
ただ言葉を遊ぶ為の、抗議を装った
「何? 彼が優勝したら結婚してあげるの?」
「……いいえ」
(ヨハンを愛している、けれど……)
彼の方を見ながら、笑みを作る。
憂い、悲しみ、葛藤。
それらが表情に微かに滲み出る、それを解り易くするように意識しながら。
「私には、もうあなたがいるから」
さらに少し、笑みを深くする。
『婚約者よりもあなたを愛してしまった少女』を演じる。
辛い後悔を抱きながらも、それでもあなたを選んだのだと。
あなたはわたしの誰よりも特別な人なのだと、それを匂わせるように。
「おう。任せておけ。後始末はばっちりしてやるぜ」
「はい」
そして、彼が最も好む笑顔を浮かべてあげた。
「ありがとうございます」
* * *
スス同盟剣闘大会の決勝。
戦いは決着した。
「馬鹿な!!」
目の前で立ち上がった貴族の男性の驚愕の叫び。
私が座る一等席は、いえ、どの等級の観客席でもざわめきが起っている。
彼らの視線は唯一つ、ヨハンの傍らに散らばる魔導剣の残骸へと向いている。
「ありえない……」
近くに座る一流品で身を固めた開拓者の青年がそう呟いた。
……。
そう。
ありえない。
このスス同盟剣闘大会では、当然に使用する武器にチェックが入る。
一流の錬金術師達が、一流の機材を用いて行う検査。
その目を掻い潜る事など出来はしない、と誰もが思っていただろう。
あの黒鋼を用いた『隠蔽の魔導剣』を作ったのは、世界最高の錬金術師の一人として名を連ねる【愚の獣】だ。
彼の作り出した異常を、普通の一流の錬金術師なんかに見破れるはずがない。
――私は思う。
正常が正常として回る事に思考を止めて。
異常とは確率の問題だと言う事を覚えない。
現れた異常に無駄な感情を動かしてロスを行う。
それを愚かと言わなくて何と言う。
(まして、ヨハンはまともな魔法が使えない)
もしヨハンがまともに魔法を使えれば、こんな小細工はできなかった。
攻性魔法の中には、武器に炎等の魔法を宿すようにするもの、または武器の強度を上げるようなものがある。
今大会に出場したヨハン以外の選手は、普通にそれらの魔法を使っていた。
しかしヨハンが持つ魔力量は、人間の成人が持つ平均以下の量でしかない。だから魔導機構が無い状態では、ヨハンはそれらの魔法を使う事ができなかった。
もしそのような魔法を使われたら、隠蔽の効果しかない魔導機構だとはいえ、流石に気付かれてしまっただろう。
大変惜しい事に。
ヨハンは、剣の腕と勘の良さだけは飛び抜けているのだ。
(だからあの剣の素材には黒鋼が使われた)
通常の鋼に比べて三倍の重さを持っているが、非常に頑丈でとても壊れ難い為、敢えて武器を強化する必要がない。
そして『魔力を通し易い』という特性は、魔法さえ使われなければ、剣の中に仕込まれた魔導機構、その極小の呼吸を誤魔化す事ができる。
(そして、ヨハンは決して私を売ることは無い)
絶望の中に垂らした愛は、深く深く沁み込んで行った。
それは裏切りに遭ってさえ、取り除けはしない場所に食い込んでしまっている。
(仕合の結果だけ予知が揺れていたけど……)
まさかあの【銀豪剣】に勝つなど思いもしなかった。
(それでもこの結果になっちゃったか)
胸の奥の
そして私の顔を、男の愛玩に足る愚かな少女の仮面が覆った。
震える唇。
瞳は動揺に揺れている。
「大丈夫かエリゼ?」
私の手を、隣の貴族の青年が優しく包む。
「ええ。ありがとうございます」
彼の優雅で気品のある所作は、私が婚約したヨハンからは逆立ちしても出て来はしない。
その彼は今、アリーナの中で死んだように倒れ伏している。
――けど、かつて抱いた恋だけは本当だった。
首に下げた十三宝玉十字のロザリオを握る。
僅かな後悔に最後と区切り、祈りを捧げる。
わたしの『しあわせ』の為に。
(あなたは許してくれるよね)
あなたの『しあわせ』は、わたしの『しあわせ』に届かない。
だから、さようなら。
私が愛して、私を愛してくれたあなたへ。
ありがとう、ヨハン。
ばいばい。
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