第2話 デート帰り
スマートフォンは溺死しても窒息死することはない。
密閉式のビニール袋に入れれば風呂につかりながらでも、滑車を走るハムスターのようにさくさく稼働する。入浴中の暇つぶしには最適で、フェイスタオルに包んで風呂の蓋に置き、シャワーでかかり湯をして湯船につかったところで、すみれはスマートフォンを開いた。
とはいえ今日はバイトもなく、ずっとベッドでゴロゴロしながらいじっていたから、お気に入りのSNSや動画は一通りチェック済みで、めぼしいものはない。ネットニュースを開き、更新された見出しを眺め、いくつかの記事を閲覧した。
それも終わるとネットの巡回は止めにして、写真のフォルダを開いた。元々写真好きでもないすみれは保存数も多くないが、定期的に見たくなる動画があった。
不意に風呂場に着信音が反響した。
【ただいま!】
噂をすれば、で笑顔の絵文字と共に表示されたのは由実からのLINE。バイトのない放課後は決まって立ち寄る駅前のファストフード店に、今日寄らなかった理由は、すみれも分かっている。
【おかえり。どうだった?】
【超楽しかった】
返信の速さからもそれがよく分かる。早く伝えたくて仕方がないようだ。
【でしょうね。こんでた?】
【土日ほどじゃないけど思ったよりこんでた】
【並んだ?】
【結構並んだ。だけどその時間も楽しいから平気だった】
笑顔の絵文字が2つ並んでいる。
【そんなこと聞いてないけど】
すみれは怒り顔を添えた。
【こんな感じ】
添付された自撮り写真は、耳型のカチューシャを着けた二人が笑顔を寄せ合っていた。
【だから聞いてないって】
もっと怒った顔文字を添える。もちろん冗談、由実も分かっている。
【ごめん。でもやっと二人で行けてホント楽しかった】
由実はこの日を待ち望んでいた。
【誰かに会ったりしなかった?】
それが気掛りで、聞くタイミングを見計らっていた。
【着替えていったし平日だし夜だしむこうで待ち合わせたから大丈夫】
さっきとは別の笑顔。人で溢れる広大なテーマパークで、平日の夜に知り合いと出くわす確率はどれほどか。すみれには見当もつかない。
【もう家?】
【今帰ってきたところ。ホントはお泊まりしたいけどね】
【明日ちゃんと学校来なさいよ】
【行くに決まってるって】
【ごめん。ちょうど今お風呂入ろうとしてたところだからまた明日聞かせて】
額から汗が流れてきた。身体はすっかり火照り、適当に言い訳して打ち切ることにする。
【おみやげ買ったから持っていくね】
最後におやすみを言い合って終わった。
湯船を出てバスチェアに腰を下ろし一息つく。血が上ったのか頭がぼーっとして、そのまま少しの間ぼんやりしていた。
我に返るとすみれは思い出したようにビニール袋についたくもりをタオルで拭い、さっき送られてきた写真を拡大した。
耳型のカチューシャを付けた二人。由実の隣で笑っている細面の幸の薄そうな男、
女子校の男性教師はよほどの不細工でなければちやほやされる、というのはあながち迷信とも言い切れない。『腹が減ってりゃヘチマも美味い』のか、よそではまかり間違っても若い女の子からは相手にされそうにないレベルが、それなりの人気を誇っていたりして、当の教師も満更でもない素振りだったりする。崎元もイケメンの分類には属さない。ただし28歳という年齢は背伸びした女子高生におあつらえ向きだった。
不倫よろしく、『禁断の』の枕詞がつくことも女心をくすぐる一因で、やるなと言われるほどやりたくなるのを心理学では『カリギュラ効果』というらしい。教師と生徒の綱渡りのような恋は、夢中になることを約束された劇場型であるのは疑いない。
女子校では珍しくないと思っていたすみれも、いざ自分の側で起きると案外厄介で、振り落ちそうなほどブランコを漕ぐ子供を見上げているような心境だった。
風呂から上がり、パジャマ姿になってベッドの上でドライヤーをかけていたすみれのスマートフォンが着信した。
【由実行ってきたってね】
今度は
【さっきLINEきた】
ドライヤーを一旦止めて返信する。
【よくあんなとこ行くよ。誰かに会ったらどうすんの?】
桂の返信も由実に劣らず早い。思うことがあるようだ。
【誰にも会わなかったって言ってたけど】
【気づかなかっただけじゃない?】
【見られてる可能性はあるかもね】
【周り見えてなさそうだし】
【でもどこに行っても同じじゃない?】
自宅ならともかく、出先ならリスクは付きまとう。人の少ないところなら安心とも言い切れず、こればかりは確率より運の問題に思える。
【にしてもわざわざあんな人多いとこいく?】
【たしかに。ちょっと危ないかもね】
由実の肩を持っていると思われたくないから、桂の意見も尊重しておく。友達付き合いはバランス感覚が重要。
【浮かれすぎじゃない?】
【写真もそんな感じだったね】
【写真?私には見せてくれなかったけど】
桂が彼氏と別れて日が浅いのは由実も知っている。さっきのLINEがグループではなく個人に来たのも、桂を刺激したくない由実なりの配慮だったのか。
【二人で頭に耳つけてた】
変に隠し立てしたら誤解されそうでとりあえず説明した。
【マジ?崎元って30近いでしょ。よくやるよ】
【ちょっとうらやましいけど】
【本気でいってる?全然うらやましくないんだけど】
時々見せる桂の険しい目つきが浮かんだ。実際今その目をしているのだろう。
【どんなデートだったか明日きかせてくれるでしょ。お土産買って来たっていってたから】
【すみれ明日バイトでしょ?】
【明日も工事あるでしょ。バイトまで結構時間ある】
明日も授業は早く終わる。
【しょうがないから聞いてあげるか】
【お手柔らかにね】
桂の苛立ちが伝わった。明日はどんな展開になるか。面と向えばさすがに抑えてくれるはずだけど。
ドライヤーの風に、黒い髪が不規則に揺られていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます