丸太町橋の恐怖

ギルマン高家あさひ

一.

 終わりの刻が迫っている。

 玄関から音が聞こえる。

 まるで、巨大な、ぬめぬめとした体の持ち主がドアに体当たりを繰り返しているような音だ。

 だが、私のところまでたどりつくことは、できな……っ。

 ぐふうっ!!

 胸を押しつぶされて夢から現実の世界に強制的に連れもどされた私が目を開けると、朝の真っ白な光とともに、よく見なれた顔が視界に飛びこんできた。

「ミドリちゃん、大変やねん。起きて、起きて」

 横わけにしてピンで留めた前髪と、左右にちょっとハネた後ろ髪の少女は、スカートをはいているのに両脚を大きく広げて私の上に馬乗りになったまま、両手で私の肩をつかんで、がくがくと揺らした。

「うー、まだ朝じゃない……」

 ぼんやりとしたままで答えた私は、掛け布団を引き上げてもぐりこむ……ところで、ひとつおかしなことがあるのに気づき、はっ、と起き上がろうとした。

 けれども私の体は相変わらず彼女のお尻の下に組み敷かれていたので、結局、そうすることはかなわず、もういちど枕に頭を預けることになってしまった。

葉初はうい、なんで、私の部屋の中にいるの!?」

「あー、それは」

 彼女――愛倉まなくら葉初――は平然と、自らの後方をゆびさして、窓、とひとこと言った。

「ドア、ノックしたけど起きひんと思ったから。窓やったら、だいたいいつも、開けっぱなしやし」

「二階のベランダまで、よく登ったね……」

「恋の軽い翼で飛び越えました」

「意味がわからん」

「えー、そこは、『どうしてあなたはロミオなの?』って言うてほしかったんやけど」

「もっと意味がわからない」

 私はため息をついて、いまだに上にまたがっている葉初を押しのけてベッドから出た。

 彼女は近所に住んでいる中学生なのだけれど、どういうわけか私に懐き、なにが楽しいのか、地元民でもない私がひとり暮らしをしているこのアパートに押しかけてくるのが日課のようになっていた。

 といっても、ふだん彼女がやってくるのは午後になってからのことだ。

「こんな朝早くから、なんの用?」

 背伸びをしながら訊ねると、葉初は、あっ、それや、それやー、とメロディをつけて口ずさみながらベッドから跳ねおりて、ちいさなキッチンスペースを抜けて玄関のところへ駆けていき、ドアのロックとチェーンを外して扉を開け、外に立っていた誰かを招き入れた。

 ……招き入れた?

「ちょっと、ちょっと待ちなさい。いろいろ散らばってるんだから」

 私はあわてて、物干し台から取り込んだままになっていた下着類を床から拾い集めようとした。

 葉初は、そんな私を待とうともせずに、呼び入れた客人の手をひいて八畳間まで戻ってきた。

「誰かつれてきてるんだったら、はじめに言ってよ」

「時間あれへんやんか。学校いかな」

「あ、そっか。って、そうじゃないけど、そっか」

 私は、もはや曜日の感覚を失っているのでいままで気がつかなかったのだけれど、言われてみると今日は平日だし、そういえば葉初は制服の、夏物の白いセーラー服を着ている。

「この子、マルちゃん」

 そう言いながら葉初は背後に隠れるように立っていた女の子を私のほうに押しやった。

 葉初よりも背が低く、顔も幼くみえるその少女は、足元まで隠れる丈の長い、長袖のワンピースを着ている。

「こっちは曽爾谷そにやミドリちゃん。神秘の知識の間の守り手キーパー・オヴ・ザ・チェイムバー・オヴ・アルケーン・ロア、やで」

「別に、自宅警備員、って言ったらいいよ……」

「こっちのほうがカッコええやん」

「いや、それはどうかなあ」

「そう? まあ、それはそうとして、マルちゃんには悩みごとがあらはるねん」

「え?」

「だから、相談にのったげて」

「え? なに? 悩みって? 相談って?」

 けれども葉初は私の質問には答えず、壁にかけてある時計を見上げると、あっ、遅刻、遅刻、と言いながら玄関に向かい、それから、靴、こっちちゃうやん、とつぶやきながら戻ってきて、八畳間を横切り、窓からベランダに出てそこに脱いであった靴を履き、通学かばんを肩にかけて、ほな、行ってきます、と手をふって、ベランダの柵をまたぐと、隣の家の軒と塀を器用に伝って地上に降りていった。

 私はその姿を、なかばぼうぜんと見送った。

 と、いうか、そこは、ふつうに玄関から出ていけばいいのに……。

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