第8話 数馬が見たもの
(一)
見なければ良かったのかもしれない、と左之吉は思った。
薄暗い夜の工房の隅で、娘の亡骸を前にして血にまみれて息絶えている英了という男の姿を思い浮かべる。それは、英太郎の前世の姿だ。
左之吉は死神だ。人間がどんな悲惨な死に方をしていようが、それに心を動かされる事など滅多にない。
しかし、英太郎の死に様を思い浮かべると、やはり胸の内に何とも言えない暗いものが広がる。
左之吉も薄々気がついてはいたのだ。英太郎は元は人間だったのではないかと。かつて死神だった英太郎が死人に同情を感じてしまっていたのは、英太郎自身が人間の心を持っていたからに他ならない。そして、英太郎が禁忌を犯しても消されない理由……それは、閻魔大王がいずれ英太郎を現世に転生させるつもりでいるからだ。
ずっと英太郎の秘密を知りたいと思ってきた。そして、今、思いがけずに英太郎の前世を目の当たりにすることができた。
だが、知ったところで実際どうなるというのだろう? 元から魂の運び屋である死神として生み出された左之吉と、人間の魂を持つ英太郎とでは、そもそも根本が違うのだ。だいたい、こんな事を知っても、三途の川に戻って英太郎と顔を合わせる時に何かと気まずい思いをするだけじゃないか。
――……三途の川に……戻る?
ふと、左之吉は大切な事に思い当たった。
――……待てよ……俺はちゃんと戻る事ができるのか?
左之吉は、作衛門との戦いを思い出した。水晶の刃でさんざんに切り刻まれた挙げ句、幻術に惑わされて倒れ伏し、意識を失った。あの状況でよもや無事に済むとは思われない。
しかし、左之吉は確かに英太郎の過去を覗き、そして、今、意識は確実にここに在る。
消えてはいない、と確信した。
その時、左之吉の意識は、ふと、闇の向こうで閃く刃の気配を捉えた。鋭い殺気が伝わる。体の感覚が急速に戻ってくる。
閉じていた目を開けて、咄嗟に起きあがり、避ける。避けた瞬間、右目を覆っていた手拭いが切り裂かれた。
作衛門が再び襲ってきたのかと思った。
しかし、すぐ目の前で左之吉に刃を向けていたのは、作衛門でも他の死神でもなかった。そこにいたのは、他でもない、松原数馬であった。
「数馬……」
「……」
数馬は、大怪我を負ったはずの左之吉が起きあがり、剣撃を避けた事に驚いているようだった。
「お前を斬らねばならない」
数馬は口元を歪ませて、低い声で言った。
左之吉は数馬を見つめた。今の状況はよく呑み込めていないが、数馬が左之吉を斬ろうとした理由については、何となく察しはついていた。
「……首を狙えよ」
左之吉は指の先で自分の首筋をトン、と軽く小突いた。内心の動揺を隠し、不敵な笑みをわざと顔に作る。
「そうすりゃ俺も終わりだ」
「……」
刀を持つ数馬の手元は微かに震えていた。
左之吉はそれを見て、クク、と喉の奥を震わせて笑った。もはや、数馬からは一抹の殺意は感じられなかった。
「俺を斬ろうとする割に覚悟が足りねぇな。腹が決まってなきゃあ斬れるものも斬れねぇさ」
「…………」
数馬は何も言わず、唇を噛みしめて静かに刀を下ろした。
その隙に左之吉は素早く辺りを見渡す。ここは、階段を上る前に左之吉達がいた一階の部屋だ。死神たちの気配はない。
ここまで左之吉を運んでくれたのは数馬なのだろうか。とにかく、危険な場所からはひとまず離れられた事に間違いはないようだった。
「お前は死神だ」
数馬は、呻くような声を絞り出し、言った。
「千鶴を助け出しても、お前はきっと千鶴の魂を彼岸に連れ去ってしまう。だから、その前に……」
「俺を消そうとしたのか」
数馬の考えは理屈では分かる。しかし、だからといって、数馬は軽率に誰かに刃を向けるような男でもないだろう。彼にそれを決意させたのは、きっと……
「女房の捕らわれているところを見つけたのか」
左之吉の言葉に、数馬ははっとして顔を上げる。
「ああ……そうだ。俺は見つけた。千鶴を……そして、村の者達を。俺は見たのだ」
数馬は熱に浮かされたように焦点の定まらない目を左之吉に向ける。そして、影のあやかしを追って左之吉と分かれた後に自らが見たものの事を、数馬はゆっくりと語り出した。
(二)
あの時、左之吉と別れて影のあやかしを追った数馬は、気がつくと一人でどこまでも駆け続けていた。途轍もなく長い廊下があった、という訳ではない。
影を追って踏み入れた先は、また別の部屋であった。同じような広さで、同じように橙色の光に薄ぼんやりと照らされている。影の笑う、甲高く耳障りな声。影のあやかしは、数馬を挑発するように、その場でくるくると宙を舞うと、すっと向かいの襖の向こうに溶け込むように消えていく。数馬は部屋を横切って駆け寄り、襖を開ける。そこにはまた部屋がある。橙色の明かり。笑いながら、くるくると宙を回りながら、襖の向こうへ消える影。数馬は駆ける。襖を開ける。橙色に満たされる部屋。笑う影。そして、消える……。
幾度となく繰り返された。数馬は影を追って、何十回と、何百回と襖を開け、部屋を駆け抜けた。
後から冷静に考えれば明らかに妖鬼に惑わされていたのだが、その時の数馬は何の疑問も抱かず、次々と無限に続く部屋の襖を開け続け、影を追い、走り続けていた。
しかし、やがて数馬が走り抜ける部屋の風景には、僅かずつながら徐々に変化が現れてきた。
部屋を進むに連れ、橙色の光の色が薄れ、次第に青い靄が辺りに充満してきたのである。行徳沖で千鶴や村人たちを連れ去った靄だった。
それでも数馬は、何かに憑かれたように足を止めることは出来ず、青い靄の中をただ走り続け、行く手の襖を開け続ける事しかできなかった。数馬の先を行く影のあやかしは、気が付けは靄に隠れて姿を見ることができなくなっていた。それでも足は勝手に動き、手は数馬自身の意思を超えて繰り返し繰り返し襖を開く。
足も、手も、もう数馬自身から離れて別の生き物になってしまったかのようだった。
靄は濃くなる。
数馬を取り巻く全てが靄の青に塗りつぶされてしまっていた。蹴って走るべき畳も、開けるべき襖も、追うべきあやかしの影も、全てが靄の中に消えた。
気がつけば、数馬は佇んでいた。いつの間に走る事を止めていたのか。いつの間に襖を開ける手が止まっていたのか。分からない。
青い靄に影が揺らぐ。あやかしかと思ったが、それにしては様子がおかしい気がする。襲ってくるような気配もない。
妙に見覚えのある人影だと思った。誰なのか。
猫背を丸めてひょこひょこと歩いている。聞き覚えのある歌が低く、微かに聞こえた。
――清吉じいさん……
数馬は愕然とした。じっと目を凝らしていると、靄の中にゆらゆらと沢山の人間の影が蠢いているのが分かった。
首を右側にかっくりと倒して、ふらふらと体を揺らす痩せた女の影は、猫実村のおトキ。
逞しい体つきの若い男の影は、きっと竹造だろう。
「おお……うい、おー……い……」
竹造の影は、ぶわっと広がったり縮んだりしながら、山彦のような声を震わせて誰かを呼び続けている。
数馬を取り巻く他の影達も、一人一人、数馬には見覚えのある郷里の人々の姿だった。
行徳下郷の浜であやかしに連れ去られた村人達を、ついに見つけたのだ、と数馬は思った。
――千鶴……千鶴はどこだ?
数馬は影の群の中から賢明に千鶴を探し出そうとする。見つからない。影達は、今にも手が届きそうなくらいハッキリと姿を現したかと思うと、次の瞬間には靄の中に滲むように消えてしまう。
「千鶴……」
焦る心で、思わず声に出して呼んでいた。
……旦那様……。
気のせいかと思われる程に微かに、千鶴の声がすぐ傍で答えたような気がした。
不意に、数馬は自分の体に何かふんわりと温かいものが触れているのを感じる。数馬は「それ」にそっと腕を回し、抱き寄せた。数馬の腕の中に、濃紺を滲ませたひとつの影がゆっくりと浮かび上がる。
「千鶴!」
数馬は声を上げた。あまり力を入れると影が崩れてしまいそうなので、強く抱き締める事はできないが、その腕の中にいるのは確かに千鶴だった。
「千鶴……」
数馬の頬には、我知らず、止めどなく涙が伝わっていた。
「千鶴……無事だったのか。良かった……さぁ、わしと一緒に帰ろう」
しかし、千鶴の影は数馬を見上げ、ゆるゆると首を振った。
……さようなら……
消え入りそうな声で、千鶴が囁いた。
風が吹く。靄が流れた。
靄の中で蠢いていた村人達の影も、数馬の腕に抱かれていた千鶴の影も、風に吹き散らされ、霧散し、消えていく。
「千鶴!」
数馬は、風に乗って消えていく千鶴の残像に手を伸ばすが、もはや捉えられるはずもなく、指先は虚しく空を切った。
靄の流れる先に、何か大きなものが屹立している事に数馬は気がつく。
それは巨大な木だった。幹は、大人が三人両手を広げて取り囲んでもまだ足りなそうなくらいに太い。頭上を見上げれば、こんもりと茂った枝葉が縦横に伸びて、天を覆い尽くしている。
青い靄はその木に向かって次々に吸い込まれていくようだった。
木は靄を吸い込むほどに、幹の内側から光を放つように見えた。嵐のように渦を巻く靄の流れの他に何も見えない中、木は目映いばかりの青い光を煌々と放っている。
数馬は眩しさに目を細める。その時、ふと、光の中に数馬は新たにひとつの影を見た。それは、千鶴ではなく、また、数馬の知っている村人の誰とも違うようであった。
強い輝きの中に浮かび上がったその影は、数馬の目には、ひときわ小さいものに見えた。影は子供のような大きさで、手足を折り曲げ体を縮ませてじっとうずくまっている。そして、頭には、獣の耳か角のような尖ったものがにょっきりと生えているようであった。
影として映し出される子供の姿は木の内側に封じられていた。木に吸い込まれる靄はその影を中心にして渦を巻いているようにも思える。
数馬はゆっくりとその小さな影に向かって歩いていこうとした。
その時、頭上から、キィイイイッと耳の奥を引っかくような甲高い笑い声が響いた。
見上げれば、黒い闇をまとった白い顔が赤い口をぱっくりと開けて数馬をめがけて落ちてくるところだった。あやかしの口の中に、鋭利な牙が乱雑にひしめき生えているのが見えた。血塗られたように赤い口は、明らかに数馬の肉体を噛み千切ろうとしていた。
――あの化け物が……千鶴を……!
瞬間、数馬の中で怒りと憎しみの炎が焼きつくような熱を持って噴出した。
刀の柄を両手で掴み、あやかしの口めがけて力任せに斬り上げる。
手応えがあった。
赤い口が割れ、白い顔が上と下に真っ二つに裂けた。
青い靄が波打ち、空気が震える。ごおおおおっと、嵐のような轟音が弾け飛ぶ。それが、あやかしの発した悲鳴だと気がつくまでには、しばし間があった。
視界にある全てが揺れた。巨大な木も、子供の影も、青い靄も、口を切り裂いたあやかしも、全てが揺らいで消えていく。
気がつくと数馬は、元いた部屋に抜き身の刀を手にぶら下げて立っていた。
今まで見ていたものは全て幻だったのだろうか。しかし、千鶴は……。
数馬は橙色の光に照らされた己の掌をじっと見つめた。この腕で抱き抱えた千鶴の温かさはまだこの身にはっきりと覚えている。あの温かさがただの幻であるはずがなかった。
その時、バタン! という大きな音が響き、一枚の襖が吹き飛ばされたように外れ、倒れた。血の匂いが鼻につく。襖の上には誰かが伏していた。
「左之吉……!」
数馬は駆け寄った。左之吉は全身がぐっしょりと血にまみれており、白いはずの襖も流れ出た血で朱に染まっている。首筋に深い切り傷があった。もはや命は無いだろうと思ったが、傍に座り込んで顔を近づけてよく見れば左の瞼が小刻みに震えていた。右の目は、怪我をしたのか手拭いで覆われている。
数馬は逡巡した。左之吉はこの部屋に来た時、あやかしとは別の、見えない何かに怯えていた。数馬には見えず、数馬を傷つけることの出来ない何かに、左之吉は傷を負わされたのだ。
左之吉を、この場にこのまま見捨てていけば……と数馬は咄嗟に思った。瀕死の左之吉は、見えない敵によっていよいよ息の根を止められてしまうかもしれない。しかし、それはそれで数馬にとっては好都合であった。
青い靄の中で千鶴の影を見つけた。あやかしを斬った手応えも確かにあった。もう一度あの靄を見つけることが出来れば、今度こそあやかしを斬り殺し、左之吉の手を借りる事もなく、千鶴を助け出す事ができるかもしれない。そう考えると、やはり左之吉の存在は邪魔だった。左之吉に千鶴の魂をあの世に連れて行かれるのはどうしても避けたかった。
――……すまぬ。わしをお前を見捨てる……。
数馬は左之吉に向かって手を合わせ、そのまま背を向けて立ち上がろうとした。しかし、その瞬間、出会ったばかりの数馬にまるで古くからの友のように親しげに話し掛けてきた左之吉の顔が、ふと心に浮かんだ。
左之吉を見捨てるか。助けるか。千鶴を取り戻したいという気持ちと、良心の呵責との間で心は揺れ動き、決心がつかないまま、気がつくと数馬はぐったりとした左之吉を背に負い、元来た階段に向かって足を踏み出していたのだった。
(三)
「英太郎」
左之吉は右の瞼に付いた血を指先で拭いながら、虚空に向かって呼びかける。右目を封じていた手拭いは既に数馬の刀で切り裂かれた。封印は解けているはずだ。
返事はなかった。しかし、右の目が英太郎に繋がっている、その気配は確かに感じる。むくれてわざと返事をしないだけだろう。
「悪かったよ。勝手に目を封じちまって」
左之吉は苦笑して謝った。
[……呆れて二の句が継げねぇよ]
不機嫌そのものの英太郎の声が頭の内側に響いた。しかし、左之吉はその声を聞いて、急に肩の力が抜けるような、深い安堵感を感じた。
[お前、ほとんど消されるところだったじゃねぇか]
「分かったのか?」
[視界を塞がれても気配くらいは分かるさ]
相当頭にきているらしく、英太郎の声色は静かながらも幾分か刺々しい。左之吉が右の目を封じた後も、おそらく左之吉の気配を必死に拾い、こちらの身を案じてかなり気を揉んでいたのだろう。しかし、左之吉が見た夢の事は、英太郎も気が付いてはいないに違いない。己の前世の事など、英太郎自身は何も覚えてはいないだろう。
左之吉は、今、屋敷の庭先に出て、門のすぐ内側に立って外を眺めていた。外の風景は相変わらず陽炎のように揺らいでいる。
数馬はまだ屋敷の中にいる。青い靄の中で妻女の影を見た話を語った後、数馬はがっくりと肩を落とし、放心したようになっていた。
迷いながらも怪我を負った左之吉を救った数馬。そして、気を失ったままの左之吉を斬ろうとした数馬。どちらも同じ人間だ。しかし、数馬の胸中は激しく揺れ動き、荒れ狂う嵐のような葛藤に己自身が飲み込まれ、消耗しているように見えた。
人間とは何とも面倒なものだと思う。
だが、人の心など持たないはずの左之吉とて、数馬の事をとやかく言う事はできない。操られた作衛門と対峙した時、確かに心に迷いが生まれた。
作衛門の氷のように凍てついた視線を思い出す。数馬が左之吉を背負ってあの場から逃げ出してくれなければ、間違いなくとどめを刺されていただろう。
[……体は大丈夫なのか?]
ふと、思い切ったように英太郎が問う。眉根に皺をぎゅっと寄せて真剣な表情を浮かべている英太郎の顔が浮かんだ。
「ああ……もう怪我は癒えた」
作衛門に斬られた首筋を掌で撫でた。傷は残っているものの血は止まっている。痛みもない。人間の体と比べれば、どんな怪我でも癒えるのは遙かに早いのだ。
[俺も、悪かった]
突然、英太郎が謝った。
「何がだよ?」
[口を出しすぎたってことだ。お前の言った通り、遠くの、安全なこの場所からなら何だって言うことはできる。だが、実際にそこにいて、夕月を助けるために体を張って戦っているのはお前だ……余計な事は言わずにお前の考えに全て任せるべきだった]
「いや……別にそんな、悪いたぁ思っちゃいねぇが……」
左之吉は指先で頬を掻いて口ごもった。あまり真っ直ぐに謝られてしまうと、かえって調子が狂う。
[俺はもうお前のやる事にはとやかく言わない。だが、力を貸す事はできる。俺の妖力をお前の視界に流し込む……幻に惑わされないようにな]
「何……?」
[但し、俺ができるのはお前の見る幻を打ち消す事だけだ。例の花の匂いを嗅ぐと体が動かなくなると言っていたな。それは俺の方からは何ともしてやる事はできないかもしれない。だが、ヤツはお前に幻覚を見せることで体の動きを封じているとも考えられる。目に映るものがはっきりとしなければ、自分でも気が付かないうちに体は動く事を拒むようになる]
「なるほど……だから、幻術を封じれば、あのあやかしを倒す手だてはあるってことか」
正直、夢とも現とも分からない幻に振り回されることに左之吉は得体の知れない恐怖心を抱いていた。自分の見ているものを信じる事が出来ない。その視界を英太郎の目に委ねることができればきっと心強いだろう。だが……
「……いいのか?」
左之吉は、念を押すように尋ねた。英太郎の妖力は決して強くはない。互いに取り替えた右の目を通して、左之吉に妖力を送り込む……それは、英太郎の体に重すぎる負荷をかけることになるのではないか。
[勿論、俺の力はそう長くは保たない]
英太郎ははっきりと答えた。
[俺の力が尽きる前になんとかして夕月の元に行き着いて欲しい]
「英太郎……」
[夕月を助けてやってくれ……頼む]
英太郎の声は微かに震えていた。
左之吉は思い出す。
命の尽きかけた娘を抱えて、薬師に診せるために夜道を転げるように駆けていた、英了という名の仏師。娘の亡骸を前にして、躊躇う事もなく自らの命を絶って後を追った男。
前世の記憶が消えていたとしても、英太郎は心の奥底で、救う事のできなかったかつての娘と夕月とを重ね合わせているのかもしれない。
「わかった。俺の目はお前に任せるぜ」
左之吉は帯に挟んだ首刈り鎌の柄を掌で強く掴み、頷いた。
「夕月は、俺が助け出す。絶対にな」
英太郎に対して、というよりも、むしろ自分自身を鼓舞するために、左之吉は決意を声に出した。
数馬は、青い靄の中に立っていた巨木の中に子供らしき影を見たと言っていた。しかも、その影の頭には角が生えていたという。間違いなく、夕月だろう。
あやかしはおそらく、再び左之吉と数馬に襲いかかってくる。その時に、あやかしが操るという青い靄の中に上手く入り込むことさえできれば、きっと夕月を見つけ出すことができる。
死神達が行く手を阻んでくるかもしれないが、英太郎の目の妖力を借りれば、少なくとも幻術にはかからない。そうなれば、死神を幾人か相手にすることになっても、切り抜けるのはそう難しくはないように思える。たとえ、その相手が作衛門だったとしても。
[左之吉……]
「何だよ?」
[お前も、無事に戻れよ]
「馬鹿。当たり前じゃねぇか」
英太郎の優しげな言葉がやけに胸に響いたが、左之吉は、わざと何でもないように鼻で笑った。
「三途の川に戻る時は夕月も一緒だ。それに……」
左之吉は後ろを振り返った。数馬が屋敷の濡れ縁から降り、こちらに歩いてくるのが見えた。未だ悄然とした様子ではあるが、足取りはしっかりしている。
「あやかしから助け出すのは夕月だけじゃねぇ。あいつの女房……千鶴って女も、な」
数馬に借りがあるから、という訳ではない。ましてや、女房の魂を彼岸に連れ去って成仏させてやろう、等という気もない。真っ直ぐな目をしたあの侍が何に換えても守ろうとする女を、一目見てみたい、とただ思った。
数馬がゆっくりと近づいてくる。目が合う。数馬は気まずそうに眉尻を下げ、視線を反らした。その様子が何だか面白くて、左之吉は口の端に微かに笑みを浮かべたまま、数馬が自分の隣まで歩いてくるのをじっと待っていた。
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