病月の海

Sheila(シーラ)

第1話 わたしはねずみ



わたしはツイッターのアイコンをねずみにしているのだが、これは過去に実際に飼っていたラットの写真である。


ラットの寿命は二年ほどしかない。二匹飼っていたのだが、わたしの飼い方が良くなかったのか、輸入したラットフードが合わなかったのか、偶然であるのかは分からないが、両匹とも一年半ほどしか持たなかった。可哀そうなことをしてしまった。


わたしにとっては、(メダカ以外で)初めてのペットだった。

ラットは頭が良いので、自分の名前はもちろんのこと、トイレの場所を覚えたり、簡単な芸などもできる。噛み癖のある子もいるが、大半は手に慣れさせれば噛まないし、ナデナデを好む子もいる。

ラットは、とても小さな犬であると言っても過言ではない。飼おうと思ったキッカケは、まさにそのようなことがネットの記事に書いてあったからだ。

本当は犬が飼いたいけれど、わたしは犬アレルギーであったから、敢えて悪い言い方をするが、代用ペットとして彼らを迎えた。


ラットの世間のイメージはあまり良くないだろう。コソコソとしていて、よく猫に追われ、そして、かつては病気を運ぶ悪魔であった。ラットを飼っていると言うと、みな眉間にしわを寄せて「ビョーキは大丈夫なの?」と尋ねてくる。そしてわたしは毎回「ペット用に繁殖させているブリーダーから買うから大丈夫だよ」と答える。


わたし自身は、ラットに対してなんのイメージも持たず、たまに道端で死んでるヤツくらいにしか思っていなかった。(田舎出身なので、ねずみどころかコウモリやタヌキ、キツネやウサギの死体が道端に転がっているのを何度もみたことがある)



二匹のラットは性格が正反対で、一匹は身体が小さく臆病であまり懐かず、芸の覚えも悪かった。もう一匹は大きい身体で、本当に犬のように懐いてわたしのあとを追い回し、ボールで遊び、芸もよく覚えた。


わたしがツイッターのアイコンにしているのは、臆病な子の方である。


撫でると、耐えるように小さくなる。おやつをあげると嬉しそうにするが、いっぱいは食べられないから、とりあえず隠しておく。

ハウスをDIYして二階建ての大きな部屋にしたら、物凄く喜んでとってもはしゃいでくれた。

(メスなので)彼女との思い出は語りつくせないが、ある日わたしは、ふと思った。


この子はわたしに似ている。いや、似ているのはわたしの方だ。わたしがまるでねずみのようなのだ、と。小さなラットが怯えて隠れるさまをみて、そう思ったのだ。




今思い返すと、おそらくわたしの幼い頃は、ほんの少しだけ変わった子だった。


イマジナリーフレンドやイマジナリーペットがいるのはもちろんのこと、イマジナリーテレビを観たり、イマジナリーブックを読むなど、とにかく妄想が激しいこどもだった。それらは三歳頃から始まったような記憶がある。


そんななかわたしを悩ませたのは、(これはちょっと曖昧なのだが、恐らく小学校低学年頃に創られた)イマジナリーブラザーの存在だった。

わたしには(実在する)歳の離れた兄と姉がいるのだが、イマジナリーブラザーは三つ下の弟という設定だった。

彼はいつも隠れていて、不意に姿を現す。わたしは何故か、彼にいつか自分の居場所を奪われると思い込み、ひどく彼を恐れていた。


躍起になって家(3LDKの手狭なアパートだが)を何時間探し回っても、彼はみつからない。彼はわたしが気を抜いているときに現れるのが常なのだ。


いつからか、わたしがトイレやお風呂に入っているほんの少しの時間に、イマジナリーブラザーが家族と談話しているのではないかと疑いはじめ、それが募ると恐怖に変わり、ひとりではまったく入れなくなってしまった。(これは本当に恥ずかしい話なのだが、トイレさえも誰かの付き添いが必要になった。これは家の中に限るので、小学校に登校すれば大丈夫だった。ただ、このイマジナリーブラザーが勝手に学校に付いてくる日もあった。そういった日は、友達に付いてきてもらうほかない)


わたしは心理や精神の分野に精通していないので、何故このような精神状態になったのかは分からないが、わたしの家族はそれぞれ問題のあるひとたちだったので、もしかするとそれが関係するかもしれない。また、わたしは小学一年生のときに子ども向けのホラー小説にドハマりしていた(今もホラー映画ファン)ので、これは大いに関係するだろう。とにかく、わたしは幼いころから数年に渡って怯える日々を過ごしていた。



そうだ、わたしはまるで、ねずみみたいだった。

ラットに触れて、わたしは考えさせられた。イマジナリーブラザーを思い出し、そして、彼がいなくてもわたしは全ての物事に酷く恐れていてたことを思い出した。……わたしは自分のことを真面目で気の強い人間だと思っていた。いつからかそうでなくなった、ではなく、本当は生まれた時から臆病な生き物だったのだ、わたしは。


何かの選択を強いられるとき、わたしは絶対に逃げ道を選ぶ。細かなことは書けないが、わたしは何度も何度も、自分を守るために人を傷つけた。

たとえば、友達の危機のとき。仲間にハブにされた子にどうにかしてと泣きつかれたとき、わたしは平然とその子を裏切った。

たとえば、家庭が崩壊したとき。家族に救いを求められても、わたしは冷たい声で拒否をした。

たとえば、鬱を患ったとき。苦しみの中で、わたしは死ぬことだけは選択しなかった。死が恐ろしいからだ。行き場のない苦悩を人にぶつけ、振り回し、突き放したりした。



思い返すと本当に哀れな人間だった。とはいえ、これらは全て十代の頃の話で、二十歳を越えたあたりでかなり落ち着き(人との関りがいまだ苦手で、連絡不精であることを除けば)わたしのなかのラットは、大人になった途端に影を潜めた。


しかし、きっと上手く隠れているだけで、またいつラットに戻ってもおかしくないだろう。


手のひらに乗る小さな子を撫でながら、わたしは思った。もしまた逃げたくなることがあっても、もう……逃げないたくないな。

臆病者だという自覚が芽生えたのなら、きっと変われるはずである。



戒めるために、わたしはラットの写真をアイコンにした。代用ペットのはずの彼女たちと出会わなければ、わたしは自分の本質を見誤ったままだっただろう。わたしはいま、少しだけ勇敢なねずみだ。



.

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

病月の海 Sheila(シーラ) @sheilacross

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ