妖星ニビル
tokuyasukn
第1話 追憶のかなたに
泰蔵の世界が始まろうとしている。考えがまだまとまらない。
医療保険の支払いが、各月1万円近くになった。
以前は家族を入れてもそのくらい、まあやむを得ないと思っていたが、
今は同じ額を支払わねばならない。収入が限られた高齢者にはかなりの支出になる。年寄りは病気から逃げられない。
役所は、取りやすいところから取ると、家内が嘆いていたが、死んでしまった。
わたしは死なない、それどころか難症の病気が加わった。
文句の言いようがないのだ。
そろそろお迎えが来てよい……意識が時々不明瞭になる。
書斎で論文を仕上げていると、薄暗い洞窟にいた。
新聞に目を近づけてもよく見えない──白内障が進んでいる。
眼が悪化した。
白内障は犬やネコにもある。10歳を過ぎると患うという。
視界が減退し運動能力が損なわれ、他の病気が誘発される。
苦しみを合理化し、起因する葛藤を論文で描写するつもりだった。
現世から、命が遊離する瞬間を表現するつもりでいる。
人間の世界に縄張りや排他がなくなり、独善的な社会・経済システムが移行した
新しい世界が芽を出して開花した。
政治家は経済を守ると言うが、言葉通りに守れるのか。権力争いにエネルギーを投じる余裕はない──平和のみに心血を注ぎ、死んでもかまわないという気概を年寄りも見せるのは当然だ──あたりまえのことが始まろうとしている。
背後から人影が近づいた。
刀を抜いて──引くように払うと汚物を浴びた。
男が倒れていた。横で老婆がつむぎものをしている。
指が二本出た袋が裂けている。
「お前がやったのかい?」 顔を上げずにつぶやいた。
「母さん……オレじゃないよ」
会社運営の苦しさはもう忘れた。ひとの顔を踏みながら歩いた。
下からわめき声が聞こえる。
「キリがなかろう……」老婆の吐息が聞こえる。
光が漏れている方に誰か走る──グレイか。
金タライを落とす音がした。
男が説明を始める──これから、先を案内しますという。
『どこへ?』
足音が遠のく……まだ、夢の中にいる。
調理台を囲んで、女たちが作業していた。その間に入り込んだ。
半世紀前の松原食品の調理場。五升だきの釜から湯気が出ている朝の四時
──おにぎり屋さんたちが来る時間だ。
表戸を開けておかなければ……小宮泰三は裏口から表に回った。
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