第一話 石狐の伝言 上

 高松たかまつは、普段通り寝転がってテレビをつけていた。

 畳の一段上に設置されたテレビは、流行りの物語風コマーシャルが流れ、一発屋の芸人たちが必死で商品の特徴を謳いあげている。


「つまらん」


 見飽きた芸風にチャンネルを変えていくものの、似たようなバラエティばかりが並ぶ。

 高松は、大きく溜息をついて、リモコンに手を伸ばした。ぶつん、という音を聞いて、起き上がる。卓袱台の上に置いてあったグラスに残っていた茶を飲み干すと、奥にいる青年へ声をかけた。


けん、茶をくれ」


 呼びかけに応じて、運ばれてきたのは新しいグラスになみなみと注がれた麦茶。

 とん、と高松の前へ置いて、割烹着姿の美青年、謙は彼へ視線を注ぐ。


「なに、ペットボトルを使えばいいじゃないかだって? そんなもの、置いておくとぬるくなる上に、卓袱台がびっちゃびちゃになってしまうじゃあないか」


 だめだよ、だめ。

 そう言って、謙と真正面から睨みあう。しかし、割烹着に三角巾をつけた美青年は、眉ひとつ動かさず高松に向かい合ったままだ。

 次第に、高松の方がこらえきれなくなり、ぶはっと吹きだす。腹を抱えて、後ろへ倒れ込み笑いの発作にしばらく耐えていた。


「……もう、お前さんのそいつァ、やっぱり慣れんなぁ」


 首を傾げた謙は、少女漫画もかくやの美形である。背も高くバランスよく筋肉がついていて、女性の理想像に近い。

 しかし、そういった現代風美形の顔立ちにも関わらず、恰好は一昔前の母親像ともいえる白の割烹着に三角巾だ。アンバランスで滑稽な格好に、高松でなくとも笑みが零れてしまうだろう。本人は、至って気にしていないのだから余計だ。


「ああ、じゃあ保冷剤とお盆に乗せて持っておいで。そうしたら、卓袱台も無事、謙の要求も通る」


 高松がそう言った途端、青年は無言で立ち上った。台所から聞こえてくる物音に、高松は目元を微妙に隠す鳥の巣頭を掻きまわして溜息を吐いた。さて。持ってきてくれたグラスに口をつけてぐいっと傾ける。テレビのリモコンにもう一度手を伸ばした時、物音が止んだ。

 不審に思った高松は、寝転がりながら扉を半分開けて、その隙間から台所を覗く。と、謙がお皿を手にした状態で玄関をじっと見つめていた。玄関と言っても、囲炉裏が設置された居間、といってもよいものかそういった空間を挟んだ向こう側だ。明確に線を引く扉も開け放たれている。


「謙、お客様だ。お通しして」


 寝転がった姿勢のまま、台所の青年に指示をすると、高松は、ささっと首をひっこめた。


  ◆


 囲炉裏を挟んだ向かい側、普段なら謙が座る場所に腰を下ろした初老の男性。

 生え際が後退して短くそろえられた髪は、殆どが白髪だ。濃い青色に染め抜かれた甚平に袖を通し、骨と血管が浮き出る手でお茶を啜る。


「……いや、助かりました。これで人心地つきます」

「なに、お互い様さ」


 一言も話さない謙に代わって、高松がにこりと笑いかける。すっかり空になったグラスを受け取って、謙は台所へ立った。


「で、泊めてほしいということだが、帰り道にでも迷ったのかい」

「お恥ずかしながら。この年齢になったというのに、子供のようなことをしでかすとは思いませんでした」


 先ほど見えた外の景色を思い出す。真っ暗闇に沈んだ道は、軒先につりさげた洋灯ランプ以外は、光源となるものが一切なかった。迷うのも仕方ないだろう。

 ふと思い出して、高松は、外の看板を見なかったかと尋ねる。


「ああ、そういえば。宿屋豆八やどやまめはちと書いてありましたね」


 聞いたことのないお宿でしたが。そう続けて、男性は目を見開く。

「申し訳ない。手持ちがないのだが、後払いでも構わないでしょうか」

「ふむ、構わないよ。それに、今夜は客がないと袖をぬらしていたところなのだ」


 ありがたい、と老人は頭を下げた。そして、彼は自らを篠田幸平しのだこうへいと名乗った。いくらか遠い場所にあるだろうが、必ずここにお金を届けるよう家の者に伝えておく。律儀にそう言った。

 高松は、鷹揚に頷いて答える。


「まあ、ひとまずは存分に身体も心も休めておくれ。豆八の名に懸けて精一杯のもてなしをしやしょう」


 高松の言葉に、老人は再度深く頭を下げた。すると、懐から何かが転がり出てくる。布に包まれたそれは、掌に乗る程度の丸いものだった。気付いた篠田が、慌てて拾い上げる。

 彼が、慌てたように、何重にも包んだ布を一枚ずつ丁寧に剥いでいく。

 と、中から現れたのは、木彫りの狐。丸い形に特徴的な黄色と茶色の色合いで、首のところに赤い組紐を巻いている。細められた目は、なんだか嬉しそうで可愛らしかった。

 彼は、それを上下左右ぐるりと回して見て、ほうと胸を撫で下ろした。そして、狐を掌のうちで優しくさする。その丁寧な仕草に、高松は、じいと見入った。


「篠田さん、そちらは、あんたのものなので?」

「いえ……これは、とあるお社にあったものです。とはいえ、私が作って捧げたものではありますので、私のもの、といえばそうなのかもしれませんが」


 彼は、狐の頭をそっと撫でながら微笑む。その表情は、とても柔らかく、彼がどれほど狐を大事に思っているか、よくわかった。


「手作りか、器用なものだね」

「山の管理が仕事なもので。木の扱いには慣れております」


 余った枝葉を使って子供に玩具を作ってやったこともある、と彼は嬉しそうに語った。それはさぞかし喜んだことだろう。高松が感想を言えば、彼は照れたように頭を掻いた。


「見せていただいても?」

「構いませんよ」


 老爺の手から渡された狐は、とても軽く小さかった。幼子の手にちょうど収まるような丸みで、狐の形をとるためにいれた切れ込みが持ちやすく整えられている。しかし、くるりと篠田がやってみせたように回してみると、模様だと思っていた部分が焦げてできたものだということが分かった。よく見ると、耳も片方欠けており、改めて巻き直されたらしい組紐だけが歪んだ蝶々結びを維持している。


「……実は、この子を納めたお社が、落雷に遭いまして。そのときの傷なんです」


 組紐だけは、新しいものを用意できたのですが。

 続けた篠田が、手を持ち上げた。彼の右手は、親指、人差し指、中指の三本が途中でなくなってしまっている。そういえば、先ほど狐を取り上げたときも、グラスをあおったときも、左手ばかりを使っていた。


「昨今の機械は、刃が鋭いとは聞いていたが」

「ええ。すぱっとやられてしまいました。勿論、自分の不注意なので致し方ないのですが、それでも」


 この子を直すことができないのが、とても悔やまれます。

 高松の手の中にある狐を見て、彼は苦笑を浮かべる。世の中には、チェーンソーを使って木彫りの置物を製作するものもいるが、掌に収まるほどの小物では難しいだろう。そして、彫刻刀を使うなら、指先が必須だ。職人ともなればまた話は別だろうが、彼の本職ではない。趣味の範囲の腕前だとしたら、年齢も鑑みて挑戦しづらい。なにせ、巻き直したと言っていた組紐の結び目は、斜めになってしまっている。


「篠田さん、狐を預かってもいいかな」


 困惑した表情を浮かべる老人に、高松は続ける。


「宿屋、なんて看板を掲げているのだが、なにせこんな山奥。滅多にお客人は来ない。そのせいか、暇つぶしに木彫りをするようになったんで」


 道具も、技術も、そこまで高等なものは用意できないが、これを直す程度ならできるだろう。高松が言い終えるかどうか、彼は食い気味に返事をした。


「ぜひ。ぜひ、直してやってくれませんか。料金でしたら、言い値をお支払いしますので」


 好々爺然とした彼の所作から想像できないほどの勢い。土下座をしそうになった彼を押しとどめて、高松は同居人を呼んだ。


 ◆


 作業室。

 文机の前に座り、座布団の上で高松は腕を組んだ。太さや大きさが違う筆や刀が右手側に並べられ、緑色のマットが敷かれた中心には、木彫りの狐が置かれている。しかし、彼の視線はそこではなく、中空を見据えていた。


「ずっと反応できずにすまなかったな。今なら問題ない」


 そう言った途端、彼の頭に衝撃が走る。ぐうとうめいて額を抑えると、高松は虚空を睨んだ。

 瞬間、誰もいなかったはずの空間に、和装の少女が現れる。ぼろぼろに焼け焦げた衣服を纏い、片方が倒れたままの三角の耳を高松に向け、ふさふさとした尻尾を軽く持ち上げて仁王立ちしていた。


「主様になんて口をきくのよ、あんたは!」


 きっと目を吊り上げて、高松を睨みつける。

 少女は、興奮した様子で、つらつらと先ほどまでの彼の態度を批判する。

 十代程度の少女だというのに、ここまで言葉が出てくるのは女性故だろうか。ありとあらゆる罵詈雑言を高松にぶつけ続けることは容易に推測できたので、そっと遮る。


「あのね、態度が癪に障るのは分かったけど、頼みごとをする相手に向かって、それでいいのかい」


 そう言うと、少女はぐっと押し黙る。何かを堪えるように頬を膨らませ、左右を落ち着きなく見回す。しばらくすると、彼女は耳を横倒しにして、そっと座った。


「悪いが、私はこれを直すつもりはないよ。それに、あの男とて特に疑問もなく受け入れていただろう」

「そ、そうだけど…でも、それは、主様が優しいお方だから」

「まあ、それもあるがね。とりあえず、彼が気にしていないものに目くじら立てるよりも、君にはやることがあるだろう」


 高松が促すと、少女はこくんと頷いて尻尾を自身の身体に巻きつけた。


「そうよ。あたしは、何をしてでも主様に伝えなきゃいけないことがあるの」


 自らのふさふさとした尻尾を抱きしめて、少女は少し俯いた。

 ぎゅっと握りしめた腕が、ふわふわした毛皮に埋もれていく。首筋に巻かれた新しい赤い組紐が、髪の毛の隙間から見える。

 高松は、机の上に置かれたままの狐の小物を手に取って彼女の前へ差し出した。


「伝えたい、ねぇ。君、まったく彼に認識すらされてないじゃないか」

「そうよ。仕方ないじゃない、元々、あたしは、ただの置物。あんたみたいな古狸とは違うわ」


 三角の、狐のような形をした耳がしょんぼりと伏せられる。

 狐らしい黄色とこげ茶色のまざった髪の毛と、毛先だけ白い大きな尻尾。ぼろぼろの衣服の焦げ付きは、落雷に遭ったと聞いてもしっくりくる。極め付けは、老人が手ずから巻いた少し歪んだ組紐を首に巻いていることだろう。


「木彫り狐の付喪神つくもがみということか」


 掌の上の狐の頭を撫でながら、少女に向かって確認する。彼女は、不服そうに頷いた。

 付喪神は、年経としへた古い道具たちが成る一種の妖怪のようなもの。ただの物も百年経てば神となる。日本らしい考え方だ。また、雑に扱えば祟り、大事にすれば恩を返すと言われ、庶民に親しまれている。

 しかし、物が豊富になった現代では、そうそう生まれないだろう。そもそも作った側ですら、十年もてばよいとして、古物は早々の交換を推奨している。骨董品もあるが、ごく一部の愛好家が愛用する飾り物の意味合いが強い。昔よりも絶対数が減ったことに変わらなかった。


「ねえ、あんた化け上手なんでしょ。狐に化けてあの人にお礼を言ってほしいの」


 それが、あたしの頼みごとよ。尻尾を抱き寄せたまま、狐は高松に視線を合わせる。吊り上った眦には、透明な滴が溜まっていた。


「……君ね、私が、まあ狸だとして。よりによって狸に向かって狐に化けろだなんて、よく言えたね」

「だ、だって、ここは、願いをなんでも叶える宿屋なんでしょ?」


 眉根を寄せて、彼女は高松に詰め寄る。ひどく面倒そうな表情をした彼は、溜息を吐いて、鳥の巣頭を引っ掻き回した。


「一体、誰からそれを聞いたんだい」

「姉さま。お社にいた、石造りの狐よ」


 彼が言っていたお社は、村から少し外れた空き地に建てられた小さなもので、その傍には石づくりの狐があった。

 稲荷として建てられたのだが、以前、どこかで対の狐が壊れてしまったようで、なぜか一体しか安置されていなかったという。そして、淋しそうだと感じた彼が、小さな木彫り狐をお供えしたのだ、と。


「神使を模した像を、姉と呼ぶのか…随分と仲がよかったようだな」


 高松の言葉に、狐はこくんと頷いた。

 初めて会ったとき、貴方が来てくれて嬉しいわ、と石の狐が微笑んだことを覚えている。脳裏に浮かぶ姉と慕う存在の笑顔。狐は、潤んだ目を悟られまいと何度か瞬かせる。そして、謳うように噂を語った。

 どうしても叶えたいことがあるのなら、宿屋豆八へお行き。主人を名乗る奇特な古狸が出す条件さえのめば、必ず叶えてくれる。


「心にこう、と決めた本物の願いなら、辿りつくことができるからって…」

「思ったよりまともな噂で何よりだ」

「じゃあ」


 と狐は瞳を輝かせる。


「……しかし、ひとつ訂正しなければならない」


 不穏な台詞に、彼女の耳が傾く。怪訝な表情で、高松へ視線を合わせた。


「必ず叶えることはできない。あくまで代償を払える限り、だ。そして、叶ったからといって幸せになることはない」

「どういう意味……」

「叶えるために、私は『想い』を貰う。その願いの根幹たる、記憶、考え、気持…そういったものさ」

 それを代償とする。意味は、わかるね?

 狐は、瞳が揺れて、何かを言いたそうに桃色の唇を動かす。

 しかし、声は一切漏れずに、呼吸音だけが響いた。一拍置いて、彼女は口を一文字に引き結ぶ。そして、顔を上げた。

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