セッション2-12 暗き道を行く
ハンドルを握ってアクセルを踏む。
低く響くエンジン音。
夕暮れの街並みが、あっという間に後ろに過ぎて、段々と世界が夜に包まれていく。
「……自動車って……」
助手席でむにむにさんが呟いた。
エルフ師匠やおけさんを駅まで送って、最後に彼女を家へと送る道すがら。
ちょっとだけの寄り道のドライブで、高速道路をかっ飛ばす。
なお、ラッシュ君は最初に自転車で帰った。
「ん、自動車がどうしたの?」
自動車は走れば良い派の俺。
通勤も電車なので車はあまり使わない。
軽自動車でも良かったんだけれども、婚活コンサルタントのおばちゃんに止められて、3ナンバーのセダン車に乗っている。
そういうのも、女性は見ていると言う事らしい。
「自動車って早いんですねって」
何を言うかと思えば当たり前の事を言う。
「あ、いえ。そうじゃなくて。いつもは後ろの席に座ってるから」
「ああ。助手席に座ると風景違うよね」
後部座席で見る横に流れる風景と、助手席で見る迫ってくる風景。
同じ景色でもまるで違って見えるだろう。
ましてや、高速道路の風景は、彼女にとっては初めての光景かもしれない。
「バイクなんかに憧れる男子がいるんですけど。なんか、ちょっと気持ち分かりました」
「スピード狂の女性ドライバーも結構いるけど、むにむにさんもそうなるかな?」
「どうでしょう。それより、名前」
「うん、そうだね。
それが彼女の本名だ。二人でいる時は、お互い本名で呼び合う事になっている。
もう、ただのゲーム仲間じゃないんですから、とは彼女の言だ。
「……ふふ。むふふぅ……」
ご満悦顔の睦美ちゃん。
名前を呼ばれるのがくすぐったいらしい。
「やっぱりちょっと恥ずかしいですね」
「それにしちゃ嬉しそうだ」
「嬉しいですから」
微笑みは純粋無垢で、悪い事をしているような後ろ暗さはまるで無い。
女子中学生と中年男のカップルを、それだけで後ろ暗いと感じるのは、やっぱり俺の心が汚れているからか。
「それで、どこに行くんですか?」
「そうだね。ご両親が心配する前に帰りたいから……」
「……少しくらい心配させても……」
「駄目だよ、そう言うのは。それじゃ、海沿いの夜景でも見に行くかな」
「夜景って、実は見に行くのは初めてなんですよー」
「灯りの一つ一つの下には人がいて、一つ一つがその人の人生を照らしている。と思うと感慨も深いんだよね」
ビル街の光の下では、社畜が涙を流しながら仕事をしている。
いわゆる社畜の光である。
街の夜景の美しさは、社畜が流した涙の美しさだと、誰だかが言っていた。
「不思議と深夜の街の灯りはねっとりしていてね。俺はそっちも好きだなぁ」
「見てみたいですね」
「もっと大人になったらね」
いつの間にか日が落ちて、周囲は闇に包まれていた。
夜空に映える街灯が次々現れて、通り過ぎていく。
行き先を決めずに夜道を走るのは楽しい。
夜闇が風景を変えて、知っている道すらまるで違う景色に見せてくれる。
行き先の分からない道を、ちょっと迷子になりながら、カンを頼りに進んでいく。
その高揚感が楽しい。
「ちなみに、どこに向かっているかは、俺自身分かっていなかったりするから」
行き先すらノープランだ。
「冒険みたいですね。わくわくします」
睦美ちゃんも楽しそうにしている。
「今日のシナリオも楽しかったです。エルフさんとは大分違いましたけど」
「マスタリングは性格出るからね。エルフ師匠はほら、面倒くさいの嫌うから」
「プレイヤーとしては大分ハジけていましたよ」
「同じ事をされるのを前提としてやってるからね、エルフ師匠」
なので、引っ掻き回される要素をどこまでも削るのがエルフ師匠のマスタリング。
俺は設定作って、後は割合ご自由に。そんな感じでやっている。
「久しぶりにマスターやったけど、やっぱりもうちょっと詰めないと駄目だったなぁ」
「そうですか? 楽しかったですよ」
「やりたい事はいくつかあったんだよなぁ」
例えばね、このシナリオを通してむにむにさんに、俺からのメッセージを受け取ってもらう。とか。
まあ、無理でした。
「やっぱりね。他人の思惑が絡むんだから、一本道にしたってまっすぐには進まないんだなと」
「難しいですね。ゲームマスター道ですね」
「ゲームマスターの道は分岐が多く険しい道なのだ」
分かっちゃいたけど、自分のやる段になるとそうそう出来ない。
自然と口ばかりになっていく。
エルフ師匠が凄いのは、その辺の切り分けを秒でする所。
助けが欲しいなら、「駄目」「無理」「これやって」とすぐに言う。
ハンドアウトと言う単語が一般的ではなかった時代にもう、個別導入とか適当な事を言って、シナリオ内での個別ムーブを指示していた。
ちょくちょくテーブルの下から指令書が手渡されたりもした。
そういうのが、コミュニケーション能力という奴なんだと、理解したのは社会人になってからしばらくしての事だった。
うまい言葉で喋れなくても。ちゃんと伝わらないとしても。
言っておくべき事は言っておかなければならないのだと。
「あのさ。この間、睦美ちゃんと、友達二人とお話した時なんだけど」
一息ついて切り出した。
エンジン音が静かに響く車内の空気が、張り詰めたような気がした。
「俺は昔っから、訳知り顔する大人が嫌いでさ。『俺も昔はそうだった』なんて事を言われると、それでもう、そいつの言葉は聞きゃしなかったんだよね」
「……はい……」
神妙に頷く睦美ちゃん。
なんとなく、言いたいことは伝わっている。
そう信じたい。
「早く大人になって。自分の判断にだけ従って。それで何かがあったとしても、それは自分の責任で。そんな風になりたいって思ってた」
大人になると分かる事。
人は自分のやった事の責任をとる事も、自分一人で出来ないし。
特別な一人に見えた自分は、どこにでもいる子供で、同じ想いと同じ経験を、誰もが経験してきたと言う事。
「だから、上手い事を言わないと、『むにむにさん』には伝わらないと思っていた」
敢えて彼女を『むにむにさん』と呼ぶ。
関係性を拒絶するのではなくて。
もう一度、関係性を確認するために。
「でも、ちゃんと言わないと駄目なんだよね。言葉にしないと、伝わる可能性すらないし。いつかきっと、きみがその事を思い出した時、伝わる事も出来ないから」
はい。ともう一度、睦美ちゃんは応えた。
「俺ときみは親子ほどにも年齢が離れている。それは普通の事では無くて、だからきっとそれが原因で都合の悪い事が起きる。俺は別に構わない。大人だから。でも、『むにむにさん』は、中学生で。きみには将来がある。ご両親にも申し訳が立たない」
一息で言ってから息継ぎ。
その間、車内には沈黙ばかりが広がる。
「今のきみの時間は、大人になって思い出すとキラキラと輝く大切な時間で。その時間を大切にして欲しい。俺みたいなこじれた大人なんかじゃなくて、同じ年代の友達と、大切な思い出を作って欲しい」
言っていて思う。
俺が若かった頃に見た、青春ドラマの説教みたいだな、と。
「そんなに急いで、大人になる事は無いんだって。俺はそう思うよ」
多分そんな陳腐な言葉が、大人が子供に願う事の全部なんだと思う。
「……そんだけ。俺が睦美ちゃんに考えてもらいたいのはこれで終わり。説教もおしまい。俺は立派な人間じゃないからね」
肩をすくめて軽く言う。
ここで、そんな風に冗談めかしちゃ駄目なんだろうけど。
でも、ずっと説教モードでいられるほど俺も人間出来ちゃいない。
説教されたら、例え相手が正しくても、気分良くはいられない。
それくらいの事を忘れられない若造でもあるから。
「はい、分かりました。……えっと……」
「感想とか理由とか対策とか、何か答える必要は無いと思うよ。学校じゃないし」
深刻な顔の睦美ちゃん。
俺はつとめて明るい声で言う。
「えっと。それじゃあ、その……思ったんですが。真面目な話をされているのは分かっているし、すごく、私の事を考えてくれてるなって。わかるんですが」
たはは、と睦美ちゃんが笑う。
「なんか、ドラマみたいです」
「俺も思った」
「なんだかちょっとテンション上がっちゃって」
「俺は現代ものTRPGのゲームマスターやってる気分だった」
なんだか格好がつかない。
だけど、それが俺達っぽくていいと思う。
「クトゥルフとかですか?」
「他にも色々あるよ。モンスターが出現するようになった東京で、現代兵器でモンスター狩りをするとか。探偵推理ものも何作かあったかな?」
真面目なままではいられない。
どこか、他人事のようにプレイする。
大人になりきれないおっさんの俺と、大人になりたい少女の彼女。
そういう関係が、多分俺たちのリアルなんだと思う。
「恋愛ものとかも?」
「あったと思うよ。確かRPG福袋だったかに、男子同士の恋愛ネタのもあったはずだし」
「その話詳しく」
「睦美ちゃんにも腐女子の血が流れてたかー」
知らない暗闇を、自動車は走っていく。
ふいに道が大きく曲がり、そして景色が開かれる。
「……わぁ……」
睦美ちゃんがため息を漏らす。
広がる景色は闇と光。
黒々とした海は静かにうねって。
地平線を埋めるように、街の光が宝石のように輝いて。
まるでドラマのワンシーンみたいで。
「あそこ行きましょう。あの、カップルがクリスマスとかに行く橋」
「了解。ちょっとスマホさんに聞いてみる」
「待ってまーす」
正直な話、現在位置もよく分かっていない。
東京湾だよな、ここ……。
内心焦りながら、睦美ちゃんに持ってもらったスマホに音声入力。
「お。思ったよりは近いね。行きますか」
「はいはいー」
スマホの案内音声に合わせてアクセルを踏みしめる。
ちょっと急がないとダメかもしれない。
「それでですね。『ドワさん』は言ったじゃないですか」
ふと、睦美ちゃんが囁くように呟いた。
俺がそうしたように、敢えて俺を『ドワさん』と呼んで。
「『ゆっくり大人になってくれ』って。きっとそれがいいと思います。そうしようと思います」
囁き声は小さくなって。
それがどんどん近づいてくる。
「だから、そうすると決めましたから」
声はもう、耳元から聞こえてきて。
「その時まで、ちゃんと待っていて下さいね」
ちゅ、と優しく。
彼女の唇が俺の頬に触れていた。
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