この世界の日常?

 窓の外で鳥が囀ずり、カーテンの隙間から朝日が伸びている。



「朝……か…」



 一人、まだ薄暗い部屋にぽつりとつぶやかれた声。


 半ば覚醒しきっていない頭が、まだ眠いと二度寝を模索する。


 そして、二度寝している時間は果たしてあるのだろうかと壁に掛けられた古めかしいゼンマイ式の振り子時計を見ようとして。…現在置かれた状況に一瞬、思考を停止する。


 そして…またかと、ため息を付いた。



「あ、おはよう……しゅう」



 そう、腕の中に、寝る前はニト○の抱き枕だったそれが、


 目が半分と開いていない、寝ぼけ眼の姉に変わっていた。



「姉さん………」



 私の新たな姉とは”そういう”人間なのだ。そうわかっていても、この胸に渦巻くドロドロした感情ーこれを人は何と形容するのだろうかーを懐かずにはいられない。


 年が七つも離れているということもあって、姉は小さい頃から可愛がってくれていた。


 夢に脅えていた頃はよく一緒に寝ていたが、それも小さい頃の話。


 今ではもう部屋も別々に与えられたのだか、隙あらば時々、夜中に寝床に潜り込んでくる。


 悪意があって潜り込んでくるわけでもないため、いつ潜り込んできたのかもわからないから厄介だ。


 だが、そんな姉のことは嫌いではない。


 小さな頃にこの世界について色々と教えてくれたのは、仕事で忙しい両親ではなく、姉だった。


 感謝もしているし尊敬もしている。


 そして、年寄り臭い理由だが、いつも背伸びして俺の姉であろうとしてくれていたことが、なんとも可愛かったのだ。



「あ、姉貴なに潜りこんでんだよ!」


「ふふ、照れちゃって可愛い子」


「離れろー!」


「嫌よーー!」



 最初は年相応の男子らしく、こんな反応をしていたこともあったが、それも昔の話。



「おはよう姉貴」



 そう微笑んで、腕の中にいる姉を抱く力を少し強め、額に軽く口付けをする。


 額への口付け。前世での家族への最上級の愛情表現だったそれは、こちらの世界ではそんな意味は無い。けれど気持ちくらいは伝わるだろうと、そして、姉への意表返しのつもりでもやってきたこれは、姉に対して効果が高い。



 こうすると、姉はピクッと体を硬直させ、顔を赤らめると悶え始める。


 そしてのそのそとベッドから出ていき、静かに部屋から出ていく。



 はずだった。


 今までならば、



 だが今朝の姉は、というと。


 俺の背中に手を回し、ゴロンと俺に覆い被さって来た。



「うふふ、いい香り…」 



 そう言って顔を胸にグリグリと押し付ける。


 姉の髪が乱れ、フローラルなジャンプーの香りが鼻腔を擽る。心地よい香りに意識が持っていかれそうになるが、夜に寝床に潜り込み、寝汗で汚れているシャツの匂いを嗅ぐ姉変態をどうにかすべく、口を開く。 



「姉貴、そういうことは彼氏にでもやってくれ」


「別れたわ」


「え??ん?あれ!?」



 衝撃的な発言に意識が完全に覚醒する。かなり上手く行ってたと思ったのだが。



「一昨日振ってやったわ!あんなろくでなし!」


「ひどいな!でも、何でまた!」


「もともと仕方なく付き合ってただけだし!私を押し倒す甲斐性もないし!」


「そうだったの!?っていうか!甲斐性って!!」


「せめて抱きついて額にキスくらいしなさいよ!」


「朝の俺が基準!?」


「実の弟に負ける彼氏なんて要るか!!」


「半分俺のせいだった!?」


「秀一よりいい男なんて、い・な・い・わ♥」


「わざとらしいわ!!」



 我が姉弟の朝はこんな感じである。


 ギャーギャーと騒いでいると、ガチャッと寝室の扉が開く音がする。


 姉弟揃って顔を見遣るとそこには母がいた。



「英理…今日もまた周の蒲団に潜り込んで…何してるの」


「あ、ママおはよー。何ってぇ…ナニをしているのよ~」


「弟に何するつもりだっ!」


「え?だからね~」


「あら、いいこと。私も混ざろうかしら?」


「母さん!?」


「なんて、ふざけてないでご飯よ、さっさと起きてきなさい」


「はーい」


「おい」




 母親もこんな感じである。


 ついでに言うと父親も。




 他の家がどうなのか知らないが、自分の貞操以外は極めて平和な我が家族である。



 姉をゴロンと転がしてベッドから落とし、伸びをする。


 グヘッと姉が抗議の音を上げるが、知ったことか。



 青いカーテンを開けると、部屋に朝日が差し込む。


 昨日の夜は雨が降っていたからか、外は水滴でキラキラと輝いていた。




(今日もいい天気だ。)




 窓を開けると比較的涼しい風が部屋に入り込む。




 朝の空気で気道と胸を満たす。




 今日もまた、この世界での一日が始まる。





 二階の自室からリビングに降りると、母が年に似合わぬピンク色のエプロンを着けてオムレツを焼いている。




 (…しかしまぁ、似合ってはいるんだよな。)


 母は背が低い。そして若く見える。


もうすでに四十を軽く超え五十に差し掛かる年齢なのだが、未だ三十代と言われても通じるだろう。


 流石に二十代は無理だと思うが。



 幸いにも娘息子には父親の長身な遺伝子が引き継がれ、学校でチビの称号を頂いたことはない。


 頂いたからといって何がある訳ではないのだが。




 そんなことを思いながら、マイマグカップにコーヒーを淹れる。


 ジュワァーという、卵がフライパンに流し込まれる音と共に、バターと胡椒の香りがリビングに広がっていく。




 母は姉が就職したタイミングで仕事に区切りをつけて主婦を始めた。と言っても仕事を止めたわけではないのだが。




 やっと秀くんに母親らしいことができるわ、と毎朝張り切っている。




「今日から高校始まるんでしょ、準備は大丈夫なの?」


「大丈夫。母さんこそ、今日は仕事はないのか?」


「今日はお休みよ。今日は英理とデートするのよねー」


「ねー」




 母と姉が顔を見合わせて笑っていた。


 今日で夏休みが終わるというのに、これが社会人の余裕なのたろうか。




 この世界に来て、かなり順応してきた気がする。


 始めこそ戸惑ったものの、伊達に300年と生きていない。




 あの寝る暇もない戦いをしていた頃や戦後処理の仕事に比べれば、子供の勉強なんて楽なものだ。


 言葉は物心付く三歳くらいのころには他の児童と同じ様に覚えていたため、そう苦労したことと言えば、箸の持ち方くらいである。幼子にあれは難しい。


 この世界の住民は、なんて難しい食事の仕方をするのだ、と思ったが、箸は日本と周辺アジアくらいしか使われていないと知ったときの衝撃といったら……。




 それはさておき。


 夏休みが終わった。


 高一の夏が。




「いってきます!」


「鍵持った?いってらっしゃい」




 山のような提出物をリッュクサックに背負い、高校へと向かう。


 徒歩で駅に向かい、一駅で乗り換えてからの二駅で降りて徒歩七分。


 トータル38分の道のり。




 そこが我が青春の舞台である!……なんて。




 前世では青春なんてものはなかった。


 あったのは血みどろの戦いとその後始末。


 まあ、恋はしたし、子も残したが。


 甘酸っぱい青春をニヤニヤ眺めるなんてことはできなかった。




 しかし今は違う


 自分の好きなことができる。




 この夏休みも有意義な時間だった。


 武芸にそして部活に励み、自分を鍛えた。


 日本の武術は美しい。戦いに美がある。


 仁義を重んじ、戦いに敬意を表す。


 そんなもの向こうにはなかった。




 部活は水泳をしている。


 綺麗な水があるのに泳がない訳がないだろう。と小学生のときからスイミングに通っている。


 今思うと変な理由だ。




 勉学も怠ることなく、様々なことを学んだ。


 航空戦術などは素晴らしい。


 あれを前世で知っていれば、飛行魔導部隊の戦術が広がったのに。



 前世で300年も生きてきても知り得なかったことを知ることができる。


 学校とはいいところだ。つくづくそう思う。


 前世では教育機関はなかった。


 教育は弟子入りが基本だったため、このように様々なことを一様に学ぶことは出来なかったのだ。








「秀君、おはよう」




 朝の電車をホームに並んで待っているといつものように声が掛けられる。




「おはよう、夏希」




 幼馴染みの小倉夏希。


 彼女の両親は俺の両親と同じ職場で、家も近い。


 しかも、生まれた病院と誕生日が同じ日ということもあって、第二の姉妹のようなものだ。彼女は姉とも仲が良い。


 幼稚園から小中と同じ学校に通っていたため、高校も同じ所に行こうかなと思い、特に何も考えず、彼女が選んでいた高校を受験した。合格した後、どんな高校なのかなと思い調べると、この辺り一帯でぶっちぎりの進学校だったため吃驚したのをおぼえている。


 そのことを夏希に話したら呆れられたのはつい数ヶ月前の話。




「夏休みも終わっちゃったね、秀君」


「まだ実感は沸かないなぁ」


「私まだ課題も終わってないし」


「それでいいのか、未来ある進学校の生徒さんよ」


「他人事のように言わないでよ、君も同じ学校でしょうが」


「あぁ、ついでに言うと俺は終わってる。」


「うっ……後で数学教えてください。」


「わかった。」




 ついでにクラスは隣だ。


 俺がAで、夏希はB、


 クラスは成績で分けられているらしく、俺と夏希のいる2クラスは特進クラスということになる。




 そのまま電車に乗り、他愛ない会話に花を咲かせ、そのまま二人で学校に向かい、各クラスの前で別れる。


 何気ない、今日も夏休み前までと同じような日常だ。








 ■□■□■□■□■□








 始業式と呼ばれるものがある。


 長期休業明けに行われる行事だ。




「………………………えぇ、皆さん、夏休みも終わりました。これからは文化祭の時期になります。皆で協力して文化祭を成功させましょう」


「校長先生、有り難うございました。それでは表彰に移ります。表彰のある生徒は壇上に出てきてください。」




 校長先生のありがたいお話のあとに表彰式。


 小中高と変わらないこの流れは、どの学校でも変わらないのだろうか?


 そして表彰の仕方も。




「一年A組青井秀一」


「はい」




 まず、名前を呼ばれたら元気よく返事をする。




「あなたは第……高等学校水泳競技大会……において以上の通り優秀な成績を修めたのでこれを…………おめでとうございます。」




 校長先生が賞状を読み、差し出されたそれを右左の順で受け取った後、一歩下がり礼をする。生徒の方を向いて、もう一度礼をする。




「ええ、青井くんは秋に行われるインターハイに出場することになります。皆さんで応援しましょう。」




 そして、生徒の拍手喝采。


 そして舞台袖を経由して、クラスの列の一番後ろに戻る。


 そのあとは、近くの友達と駄弁った後に教室に戻る。




 なんてことはない、ごく一般的な男子高校生の始業式だ。




「どこが『一般的な』だ!」


「五十嵐じゃないか、なんだ?」


「なんだ?じゃねえよ!お前みたいな都大会で高校生新記録を連発するような奴は一般的じゃない!」


「失礼なやつだな、俺が一般的でなかったら何を一般的と呼ぶというのだね?」


「少なくともお前が一般的ならこの世の大半の人間は一般的じゃねえよ!」




 そう捲し立てるこの親友に、ふふっ、笑みが漏れた。




「久しぶり、明。相変わらずだな」


「昨日会ったばっかだけどな、秀」




 五十嵐明あきら


 家では突っ込み役の俺がボケを入れると、つかさず突っ込みを入れてくれる、とても珍しいタイプの水泳部の仲間だ。




 中学も同じである明にはなにかと世話になっている。




「そう言えば明、課題終えられたのか?昨日終わらない〜って叫んでたが。」


「勿論終わっているぜ、別の意味でな」


「明、お前もか」




 それでいいのか特進クラス。




 明はこんなやつである。


 楽しい奴だと、俺は思う。




「ほれ、ホームルームを始めるぞ!」




 教室に入ってき、出席簿で肩を叩きながら席につけと促す我らが担任青木先生。担当は科学、いつも白衣を着ている。




「ええまずは、夏休みも終わり、これから本格的な文化祭のシーズンになってくる。作業で怪我だけはしないように。もちろん勉強も頑張れよな。」




 少し適当な先生であるが、30代前半と教員のなかでは若く、ルックスも良い。授業も分かりやすく人気のある先生だ。普段は適当だが。




「科学基礎の課題後ろから集めてこーい」




 でも頼りにはなるし、しっかりするところではしっかりしている先生なのだ。多分。




「うん?少し少ない気がするぞ?おい、五十嵐、お前ちゃんと出したか?」


「うぐっ。終わって……ないです……はい,スミマセン」




 項垂れる明に、やはりか、という顔をしている。




「今日の5時までには提出しろよ」


「はーい」




 そんな他愛もないやり取りを眺めていた。




 ホームルームが進んでいく。




 文化祭がどうのコンクールがどうの。


 夏は水泳の練習か忙しくて文化祭の準備にあまり関われていない。どうなったのだろうか?




 この夏を思い返していると。懐かしい感覚がした。




 前世の記憶をくすぐるようなこの感覚……そう…




 (ん?……魔素?)




 教室に魔素が満ちていた。




 (…魔素が増えていく。いや、何処からか流れ込んで来ているのか。)




 その出所を探そうと、感覚を鋭くする。と




 『ギーン!』




 と言う何かが割れるような音が教室に響いた。




 「なんだ?あれ?」




 始めに異変に気が付いたのは青木先生だった。


 先生は目を細めて、天井のとある一点を見つめている。


 首を仰いで目をやると、そこには形容し難い『空間』が開いていた。




(っ!……まずい!)




 背筋に緊張が走る。


 見覚えがあった。




 前世の世界で、邪神の中の一柱が使っていた『空間断絶』の際に出る、砕けた空間の輝き。




 つまるところ、空間に穴が開いていた。




 咄嗟に空間修復ディスペルの魔法を編もうとするが、即座に使える魔力がないことに遅れながら気がつく。




(・・・うん、まずいね!?)




 次の瞬間、空間の亀裂が急激に膨張し、教室中が光に包まれる。




 そして、教室がゴォという音を立てて消滅した。


 生徒40人と、教師1人、その机や荷物もろとも。

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