第74話「幽霊船の目的地」

 夜明けが近いセルーリアス海東部——


 ロイエスは歯軋りしていた。

 弟子が生きながら火葬されているのに、自分たちは遠巻きに見ているしかない。


 火精の炎を見るに、もういつ転移してもおかしくない段階だ。

 救助に近付けば巻き込まれかねない。


 人は第二艦隊の者たちを〈ロイエスの子〉と呼ぶ。

 エラケスも子だ。

 しかもとんでもない馬鹿息子だ。

 親父ロイエス兄弟シオドアたちにはわからないなどと決めつけずに打ち明けて欲しかった。

 ……信じて欲しかった。


 その馬鹿息子がもうすぐこの世界から消えようとしている。

 言葉が届くうちに親として何か言わねば。

 救われなかった子に何か……


 伝声筒はまだ繋がっている。

 彼は少し考えた後、全員甲板に整列させた。

 四艦すべてだ。

 そして、


「エラケス、貴様が命がけで集めたネイギアスの情報を決して無駄にしない。諜報任務、ご苦労だった」

「……て、提督? 諜報?」


 混乱するのも無理はない。

 諜報任務など身に覚えがない。


 しかし提督は彼の混乱などお構いなしだ。


 誰にも明かせなかったが、エラケスは密かに諜報任務についていたのだ。

 おかげでネイギアスが帝国に裏工作を仕掛けていることがわかった。

 大手柄だ……ということにする。


 アルンザイトは追いついた途端、敵の猛反撃にあったのだ。

 さすがはリーベルの最新鋭艦だった。


 そこまで聞いたエラケスはようやくどういうことなのか理解できた。


「提督……皆、本当にす——」

「総員、敬礼っ!」


 本当にすまなかったなどと言わせない。

 涙声を提督の号令が遮り、燃え盛るガラジックスに対して四艦が一斉に敬礼した。


 彼がこの世界を去るまでの暫時、仲間を裏切ってしまった後悔に苛まれたのか、〈老人たち〉の切り捨てを恨んだのかはわからない。

 願わくば、少しでも救われた気持ちでいってもらいたい。

 ここにいるのは血筋や肩書ではなく、素のエラケスを見て仲間だと認めている者たちなのだから。


 ガラジックスは仲間たちの敬礼に囲まれながら消えていった。


 提督は敬礼する手を下げたまま俯いてしまった。

 誰も声を掛けられない。

 艦隊の者は皆知っている。

 決して弟子を失った悲しみで打ちひしがれているのではないと。

 ロイエスは怒っていた。


 ——おのれ、〈じじい共〉め!


 息子を生きながら荼毘にふしていた炎は消えたが、代わりに怒りの炎が燃え上がった。

 だが状況は彼の怒りが治まるのを待ってはくれない。


 ガラジックスに対応している間にファンタズマが遠ざかっていた。

 アルンザイト乗員の手当てが済んだので、航行を再開していた。


 怒っている最中の提督に話しかけたくはないが、追うならすぐに動かなければならない。

 士官の一人が恐る恐る指示を仰いだ。


 俯いていた提督は顔を上げて呟いた。


「夜明けが近いな」

「は? は、はい! もうすぐです」


 空はいつの間にか黒から濃紺に変わり始めていた。

 朝になれば再び竜を飛ばせる。

 提督は竜騎士団に出動要請をするつもりなのか?


 だがイスルード島の竜はウェンドアを守る部隊と第四艦隊の二部隊だけだ。

 すでに第四艦隊は全滅し、ウェンドアの部隊は間に合わない。

 だから提督の呟きは戦況分析ではなかった。


 幽霊は夜に出るものだ。

 朝が近付いたら、幽霊らしくあの世に帰れ。

 帰り方がわからないなら、魔力砲であの世に送ってやる。


 彼の性格上、恨みを他人に委ねたりしない。

 自分の手でやる。


 大切なものを壊される痛みを〈じじい共〉にもわからせてやる。

 ほら、奴らの大切なものはすぐそこにいるではないか。


 ロイエスは全艦に号令した。


「ファンタズマを追え!」



 ***



 ガラジックス号が消滅する少し前——


 ファンタズマでは懸命の救助作業が続いていた。

 アルンザイトから投げ出された帝国兵たちを甲板に引き上げ、次々と手当てを施していく。

 ノルトたちとシオドア、そこへアルンザイトから戻ったエルミラも加わった。


 そこには二種類の人間しかいなかった。

 負傷者と救助者だ。

 帝国軍とか海賊とか、そんな些末なことは関係ない。


 残念ながら出血が止まらず亡くなってしまった者もいたが、救える限り救うことができた。

 そこでようやく落ち着き、周囲を見渡す。

 裏切り艦と追撃艦隊五隻の撃ち合いはまだ続いていた。


 裏切り艦の名はガラジックス号という。

 艦名は王国時代のままだが、いまは帝国からやってきたエラケスという軍人が艦長を務めている。

 シオドアより少し年上だが、それでも若くして艦長を務めているのだから優秀な人物のようだ。


 戦いはガラジックス優勢のようだが、見ていたノルトは異変に気付いた。


「シオドアよ、ガラジックスだけ上位精霊を定位させているのか?」

「いや、基本通りサラマンダーのはずだが……確かにあの威力はおかしいな」


 ノルトが言いたいことにシオドアも気付いていた。

 艦隊の砲撃は障壁を突破できないが、ガラジックスの砲撃はいとも簡単に艦体を砕いているのだ。


 核室にサラマンダーより上位の火精を定位させているなら可能かもしれないが、帝国にそんな召喚士はいない。

 リーベル兵の中にもいないだろう。


 この優勢は艦長の優秀さとは別の力を感じる。

 それが何かはわからないが、ファンタズマにとってはチャンスだ。

 艦隊が裏切り者の成敗に集中している間に離脱するのだ。


「すまないが、また大人しくしていてもらう」


 ノルトはシオドアに両手を出すよう求めた。


 この艦にはマルジオたちも乗っているのだ。

 艦隊が裏切り者を始末し終えたとき、シオドアが一家を人質にとって降伏を迫らないとも限らない。

 手当てが終わったいま、追う者と追われる者に戻ったのだ。


 一方、聡明なシオドアも瞬時に理解していた。

 心配しているようなことをするつもりはないが、言葉は何の証明にもならない。

 下手な動きを見せれば、動けない部下たちの命が危うくなる。


 彼は大人しく両手を差し出した。

 ノルトは安堵してその手首にロープを巻き付けていく。


「理解が早くて助かる。後でどこかの中立港に降ろしてやるからな」

「ロミンガンか?」


 ネイギアス首都ロミンガン。

 意外な地名が出てきたのでノルトは思わず首を傾げた。


 その様子にシオドアも首を傾げる。

 思わず、


「おまえたちはネイギアスに向かっているのではないのか?」


 そう思われても仕方がない航路をとっていたのだが、とんだ誤解だ。

 ノルトは目を丸くしながら否定した。


 南下しても何もなく、北上すれば第三艦隊の哨戒網があり、セルーリアス海の西には帝国しかない。

 あとは西南西に進むしかないではないか。


 だがネイギアスに向かっているわけではない。

 ロミンガンに着いた途端、〈老人たち〉に捕らえられてファンタズマを取り上げられてしまう。


 聞けば確かにその通りだ。

 シオドアはわからなくなってしまった。

 だったらこいつらはどこへ向かっているのだ?


「…………」


 どこと尋ねられると返答に困る。

 どう答えるべきか、ノルトは暫し考えた。


 西南西に進んだのは、ただ帝国軍が手薄そうだったからだ。

 この航海に目的地はない。

 帝国艦隊を撒ければ良いのだ。


 その後合流した女将がどこへ運んでくれるのかは誰も知らない。

 おそらく姫様も。


 そう返答できれば苦労はないのだが、女将のことをバラすわけにもいかず困っていると、手当てで付いた血を拭いながらエルミラがやってきた。


「どこだって良いだろう。帝国と連邦に行かないことは確かだ」


 では、帝国と連邦以外の国に売り渡しに行くということなのか?

 あるいは他の海で海賊稼業を始めるということか?


 シオドアはどうしても海賊扱いをやめることができない。

 ゆえにこのような発想しかできなかった。


 彼女は若干苛立ちながら、


「何度も言わせるな! 私は海賊ではない!」


 しかしそんな話は聞けない。

 彼は即座に反論した。

 この艦は帝国の所有物だ。

 それを奪ったのだから海賊ではないか。


 正論だったが、彼女は鼻で嗤った。


「何が所有物だ。そもそも奪い取ったものではないか」

「それでもいまは帝国のものだ!」

「ほう、帝国の法では奪い取った者の所有物になるのか? だったらいまは私の所有物だと帝国自らお認め下さるのだな?」


 そこでノルトが止めに入った。

 喧嘩をしている場合ではない。

 興奮している彼女に成り代わってノルトが答えた。


「シオドアよ、この艦をどう思う?」

「……さすがはリーベルの新鋭艦だと思うが?」

「そうだな。だからどの国にも渡すわけにはいかんのだ」


 確かにこの闇精艦を手にした国は夜襲の仕掛け放題になってしまう。

 それがどれだけ厄介なものかはウェンドア沖でシオドア自身が味わった。

 世界の軍事的均衡が崩れるかもしれない。


「だから誰にも渡さず、おまえたちのものにするわけか?」


 それに対して落ち着きを取り戻したエルミラが再び割って入った。


「いいや、この艦はおまえたちを振り切った後、どこかで解体するつもりだ」


 ——???


 意味がわからない。

 誰かに売るか、海賊船として使う。

 真っ当な人間が思いつく選択肢はこの二つしかない。

 だからシオドアはまともだ。


 第三の選択肢、解体。

 魔法艦隊の哨戒網を掻い潜れる隠密性と、単艦で第四艦隊を壊滅させる戦闘力を兼ね備えるこの新型を?


 ——やはりこの女は頭がおかしいのか?


 そしてまともそうに見えた白髭の副長も黙っているのだから、艦長の方針に賛同しているということだ。

 こいつもおかしい。


「なぜ……?」


 混乱した彼がやっと絞り出せた言葉がこれだった。


「なぜって、この艦が反則だからよ。だから解体する」


 彼はリルを知らない。

 彼女が言うが何を意味しているのかわかるはずがなかった。


 ……闇精艦で人の寝込みを襲うのは卑怯だということか?


 彼はそれがエルミラの拘りなのだと解釈した。


 誤った解釈だが、納得してくれたようなのでそのままにしておくことにした。

 彼女もノルトも外法の話はしたくない。


 帝国には返さないが、連邦にも他の国にも渡すつもりはないということを理解してもらえれば十分だ。


 丁度三人の話がついた頃、ファンタズマが風を捉え始めた。

 帝国艦同士が潰し合ってくれているうちに戦域から離脱する。


 さっきシオドアに目的地を訪ねられたが、それがどこなのかをこれから探すのだ。

 果たしてリルを幽霊船から切り離して解体できる場所はどこなのか?

 女将もエルミラもこれから忙しくなる。

 連邦の陰謀や帝国の同士討ちに付き合っている暇はない。


「針路そのまま! 全速離脱!」

「アイマム!」


 エルミラたちは逃走を再開した。

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