第五話「『異世界』からの来訪者」

1.小さな侵入者

 一月も下旬になると、段々と日の出の時間が早くなり、少しずつ冬が遠ざかっていく気配を感じるようになる。

 とは言え、まだまだ朝は冷える。朝日の暖かな光も、身を切るような寒さをやわらげてはくれない。防寒着に身を固めていても、この季節の庭仕事は辛いものがあった。


 そんな訳で、まだ寝ているらしい美遊をよそに、僕は「寒い寒い」と一人連呼しながら朝の庭を見回っていたのだが――。


「……なんだ、これ?」


 家庭菜園の辺りで、僕はに出くわした。


 一言で言うと「でっかいボロ布」だろうか? 麻か何かの大きな布が地面に落ちていたのだ。

 おまけに布の下には何か厚みのある物が隠れているらしく、端っこから金色でぼさぼさの毛並みがはみ出している。どうやら、何かの動物が布の下に隠れているらしい。

 ――いや、もしかすると「死んでいる」のか。


 「朝っぱらから憂鬱になるものを発見しちゃったな」と心の中で呟きながら、手にしていた箒で布をつついてみる。

 ……微妙に柔らかい。やはり動物か何からしい。

 「さて、お次は生存確認だ」とばかりに、箒の先で布を少しだけめくってみると――。


「――女の子?」


 そう。

 布の下に隠れていたのは、動物ではなく一人の女の子だった。はみ出していた金色の毛並みは、この子の髪の毛だったらしい。


「……んっ」


 女の子が身じろぎしながら息を漏らす。どうやら死んではいないらしい。

 ……僕は半ばパニックになった自分を落ち着ける為に、女の子の様子をしげしげと観察し始めた。


 歳の頃は……美遊と同じか少し下くらいだろうか? ぱっと見まだ幼さが窺える。体格もかなり小柄だ。

 髪は見事な金髪。自然のものなのかまでは判断がつかないけれども、パーマがかかったようにクルクルしていて、全体的にフワフワとした印象を受ける。

 服装は、被っていた布と同じようなボロで、古代の貫頭衣みたいにシンプルなものを身に着けている。今日日、浮浪者でももっとマシな服を着ているだろう。服も顔も、随分と汚れている。


 さて、あからさまに訳ありの女の子なわけだが、まず呼ぶべきは警察か、それとも救急車か?

 スマホを取り出し、どうしたものかと僕が頭を悩ませていると、女の子に再び動きがあった。


「み、みず……」

「みず……水かい? 喉が渇いているのかい?」


 僕の言葉に反応したのか、女の子が目を閉じたまま僅かに頷く。

 どうやら本格的な行き倒れらしい。


「ちょっと待ってて!」


 女の子に声をかけ手早く自宅に戻ると、電気ポットのお湯を少し水で割ったものをマグカップに入れて、すぐに取って返す。

 ミネラルウォーターのペットボトルでも良かったんだけど、体が冷えて動けなくなっている可能性もあるので、ぬるま湯の方が安全だろう。


「さ、これをゆっくり飲んで」


 少女を上半身だけ助け起こし、口元にマグカップを寄せる。

 すると本能的に水の気配を感じ取ったのか、少女はマグカップに弱々しく吸い付き、少しずつ少しずつ、白湯をすすり始めた。

 やがて――。


「ングング……はっ!? 水!?」


 半分くらいまで白湯を飲んだところで正気に戻ったのか、突如目を覚ますと、少女は僕からマグカップをひったくり、ゴクゴクゴクと勢いよく飲み干してしまった。

 よほど喉が渇いていたらしい。


「ハァー! 生き返ったぁ!!」

「大丈夫? 自力で動けそう?」

「あ、はい! どこのどなたか知らないけど助かったわ。ありがと……う……?」


 少女はそこで初めて僕の方へ顔を向け、そして何故か絶句した。

 蒼い、大きな瞳が驚愕の色に染まっている。……なんだろうか?


「おっ」

「お?」

「おおおっ」

「おおお?」

「男ぉぉぉぉ!?」


 ――少女の絶叫が、朝の鎌倉ヶ丘の静寂を打ち破る。

 間違いなく、ご近所に響き渡ったことだろう。……ただでさえ無職なせいで近所の心証が悪いのに、今日からは更に悪化しそうだ。どうしよう。


「せーちゃん、何事!?」


 そして当然の如く、家の中で寝ていた美遊の耳にも今の絶叫は届いた訳で。

 美遊はパジャマの上にダウンジャケットを羽織っただけの姿で、風のように現れた。


「ああ、美遊。助けてくれよ。この子、行き倒れらしいんだけど突然騒ぎ出して……」


 未だ僕の目の前で口をパクパクさせてパニックになっている少女を指差す。

 何故かは知らないけれども、男である僕の姿を見てパニックになったのだ。こういう時は女の子に任せた方が良いだろう。


「行き倒れ……? あらあら、鎌倉ヶ丘の森の中で遭難でもしたのかしら?」


 美遊もすぐに事態を察したのか、少女のもとへと駆け寄る。

 ……ちなみに、鎌倉ヶ丘の周辺には自然の森が広がっているので、冗談抜きで散策中に迷子になり、行き倒れそうになった人がちらほらといるのだ。


「ねぇ、あなた大丈夫……えっ?」


 美遊が未だ地面にへたり込んだままの少女に声をかけ、そのまま絶句する。

 なんだ? 僕が気付いていないだけで、何か大変なことが起こっていたのか? 等と思ったが――違った。


「あなた……あなたは!?」

「ああ、……


 初めて会うはずの美遊の名を口にし、少女はニヤリと不敵な笑みを浮かべた。

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