8.これからのこと

「さて……そういう事情なら、今の学習計画は練り直しだね。美遊にはまず、片っ端からテキストの類を覚えていってもらって……中卒認定試験どころか、高認こうにんも視野に入れた方がいいかもしれない」

「こうにん……って、なぁに?」

「高等学校卒業程度認定試験……昔で言う『大検』に当たる試験だよ。それに受かれば、高校を卒業していなくても大学や短大の受験資格が得られるんだ」


 ――引き続き、僕らは手狭な会議室の中にいた。

 今は既に昼過ぎ。僕らはお昼休憩とばかりに、持参したお弁当を広げていた。ユーキも予め買っておいたらしいコンビニ弁当を持ち出している。


「大学? 私、大学に通うつもりもないのだけれど……」

「まあまあ、美遊。別に高認? とやらに受かったからって、必ずしも大学を目指さなくたっていいんだ。まずは一つの目標として考えてみれば?」


 相変わらず、美遊は「学校」というものへ通うことに強い拒否感があるらしい。

 「出来るだけおうちにいたいから」と口では言っているけれども……、実際には何か違う理由があるのではないかと、僕は思っている。だから無理に進学を勧めようとはせず、僕はやんわりと説得するに留めた。


「そうそう、清十郎の言う通りさ。あくまでも、社会的に美遊の能力を認めてもらう為のものだからね。美遊が今後、何かやりたい事が出来た時にもきっと役立つから、考えておいてくれないか?」


 すかさずユーキもフォローを入れると、美遊は「二人が言うのなら」と渋々といった感じで了承してくれた。

 美遊が学校へ通いたくない本当の理由については、おいおい聞き出さないといけないだろう。でも、決して急いではならない。慎重に、時間をかけるべきだ。


 ――あくまでも僕の印象だけど、美遊は僕にように見える。

 帰ってきてからの美遊は、度々僕に色目を使うような言動をしている。もちろん、半分以上は冗談交じりなのだけれど、時々必要以上にくっついてくる等、反応に困ることもあった。

 幼いままの彼女ならいざしらず、今の彼女は十六歳の少女だ。気心知れた僕相手とは言え、アラフォーのむさ苦しい男に、好んでくっついたりするだろうか?

 この辺りは、早い内にカウンセラーでもあるユーキに相談した方が良いだろう。


「しかし、相変わらず清十郎の作るお弁当は美味しそうだね。久しぶりにちょっともらってもいいかい?」

「ん? ああ、多めに作ってあるから別にいいぞ。この鶏の唐揚げなんかオススメだ」


 お弁当箱を差し出すと、ユーキは遠慮なしに唐揚げをヒョイヒョイと三個ほど自分の器に移し、内一個を頬張った。


「むむ! しっとりしていてそれでいてネットリしておらず、冷えても美味しい絶妙な濃いめの味付け……美味い! もう一つ!」

「取っていったのを全部食べてからにしなさい……」


 まだ取っていったのが二つ残っているのに、新たな唐揚げを奪おうと動いたユーキの手を、ペシッとはたく。全く、油断も隙もない奴だ。

 ――と。


「二人は随分と仲が良いのね?」


 僕らのやり取りに、美遊が満面の笑顔を浮かべながら呟いた。

 ――何故かその背後に、謎のどす黒いオーラーが立ち昇っているように見えるのは、気のせいだろうか?


「アハハ! まあ、親友だからね! 大学は別々になっちゃったけど、高校までは一緒だったし。……清十郎の恥ずかしい話も沢山知っているよ?」

「おいこらやめろ、美遊に変なこと吹き込んだら出禁にすんぞ」


 ユーキがいらん事を言おうとする気配があったので、ついついいつもの癖でツッコんだら、美遊の剣呑な気配がますます増大した――ように感じた。


「本当に仲が良いわぁ……。まるで熟年夫婦みたい」


 ずっと笑顔で口調も柔らかなのに、何か美遊が怖い。

 だけど――。


「アッハッハッ! 美遊、それは面白い冗談だね! そりゃあ、清十郎は嫁スキル高めだけど、男だからね! 残念ながら私の守備範囲外さ! ――私が愛せる男はね、うちの旦那ただ一人なんだ。ごめんね清十郎」

「おい、なんで僕が振られたみたいになってるんだ。やめろ」


 さり気なく惚気けるユーキに、再度のツッコミを入れる。……こういう奴だけど、旦那さんには心底惚れ込んでいるのだ。

 一方、美遊はなんだか不思議そうな表情を浮かべていた。


「え……? ユーキちゃん、結婚しているの? ……ああ、そう言えば名字が変わって……」

「ん? ああ、そう言えばきちんと話してなかったね。うん、してるよ、結婚」


 珍しくはにかみながら、ユーキが答えた。が――。


「私もね、『自分は美少女を愛でて一生を終えるのだ』と思っていたんだけど、人生分からないのものだね。今の旦那に出会った瞬間、こう思ったのさ。『美少女はとりあえず一生愛でるけど、それはそれとしてこの人はゲットしておこう』って……」

「……美少女を愛でるのは変わらないのね」


 表情とは裏腹に、何気に酷いことを宣うユーキ。

 美遊はと言えば、ユーキの話に感心したような呆れたような、何とも言えない顔になっている。


 ――ちなみに、ユーキの旦那とは僕もそこそこ仲が良い。一言でいうと「菩薩ぼさつ」みたいな人だ。

 ユーキと結婚生活を送れているというだけで、もう尊敬するしかない。


   ***


 昼食を終えてから、美遊のカウンセリングが始まった。

 初日の今日は、現状とこれからの方針の確認がメインだったので、特筆すべきことはない。

 ――と言いたいところだけど、少し気になる事があった。


 途中、「女の子のデリケートな話をするから、清十郎は出てってね」とユーキに追い出されたのだ。

 もちろん、僕がいては話しづらい事も沢山あるだろうから、それは全然構わないのだけれども……その二人で話している時間が、やたらと長かったのだ。

 僕を含めた「三者面談」が三十分ほどで終わったのに対し、美遊とユーキ二人だけの面談は二時間に及んだ。僕はその間、近場の喫茶店で待ちぼうけ状態だった。


 更にはその日の別れ際、ユーキは僕だけに聞こえるように、耳元でこんなことを囁いてきたのだ。


「――清十郎のことだから心配してないけど、間違っても今の美遊に


 普段だったら「言われなくても」等と返しているところだけど、その時のユーキはあまりにも真剣すぎて、僕は何も返せなかった。


 それだけではない。

 帰りの車の中で、今度は美遊がこんな気になることを言ってきたのだ。


「あのね、せーちゃん。ユーキちゃん、明るそうにしてたけど、何か悩み事があるみたいなの。とっても心配だわ」


 二人の間にどんな会話があったのか、僕には分からない。

 けれどもどうやら、美遊だけでなく、ユーキも何かの問題を抱えているらしかった。


 二人共、僕にとっては大切な人だ。どうにかしてあげたいけど、僕に何か出来ることはあるのだろうか――?



(第三話 了)

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