6.異世界のこと、これからのこと

「――まずはご足労いただき、ありがとうございます」


 美遊が戻ってきた翌日。僕と美遊は再び鎌倉警察署を訪れ、同じ応接室で鈴木さんの出迎えを受けていた。


「いえ、こちらこそわざわざ日にちをずらしていただいて、ありがとうございました」

「いやいや、そもそもこちらの配慮も足りなかったのです。美遊さんとご家族の心労に思いが至らなかった……改めて、お詫び申し上げます――ところで、今日はお祖母様は?」

「あ、それが……」


 僕と美遊は思わず顔を見合わせ、苦笑いする。

 祖母は、美遊が帰ってきたことで浮かれすぎたのか、今朝は電池が切れたように疲れ切り、動けなくなっていた。

 「清十郎さん、後のことは任せましたよ」と言ったきり眠りこけてしまったので、先程ホームに引き渡してきたところだ。


「なるほど。お祖母様もよほど嬉しかったのでしょうね。お大事に、とお伝え下さい。……さて、ではさっそく本題に入りたいと思います。美遊さん、私が知る限りのことを清十郎さんにお伝えしても?」


 鈴木さんが何かを確かめるように、美遊に尋ねる。それに対し美遊は、覚悟を決めたような表情で頷いた。


「……分かりました。では、まずは『異世界』と『特定時空漂流者』についてお話します」


 そして鈴木さんは、あくまでも落ち着いた調子で全てを語り始めた。

 昨日聞いた話と合わせると、その内容はおおむねこんな感じだ。


 「異世界」は文字通りの剣と魔法の世界、闘争が日常の世界である。

 「異世界」の魔法使い達は、戦力として地球の子供たちを定期的に拉致している(拉致の方法は不明)。

 拉致された子供たちは、それぞれの適正に応じて剣術や魔術、弓術など「戦う技術」の師匠に預けられ、一人前の戦士となるべく鍛えられる。――修行についていけない子供たちの殆どは、その途中で命を落とす。


 「異世界」で人間が戦っているのは、異形異様の化け物たちだという。いずれも形容し難い姿をしていて、地球上の生き物とはかけ離れているらしい。

 修業を終え戦士として前線に出された子供たちも、一年と経たずに半数以上が戦死する――。


「そんな……そんな過酷な世界に?」


 鈴木さんの話に、僕は思わず言葉を失った。

 傍らでは、美遊が僕の手をギュッと握って小さく震えている。恐らくは、過酷な「異世界」での生活を思い出しているのだろう。僕なんかには想像も出来ないほどの過酷を。


「ええ。あちらの魔法使いとやらは、文字通り奴隷として子供たちを拉致し、戦力として補充しているのです。……酷い話です。許せない話です。――ですが、『異世界』の魔法使いの中にも心ある者がいるらしいのです」

「と言うと?」

「昨日もお話しましたが、美遊さんのように無事に地球へ生還した方が、日本だけでも百人近く確認されています――つまり犠牲者の数はその数倍ということになりますが。

 ともかく、皆さんの証言によれば、被害者たちを地球へ送還している魔法使いもいるらしいのです。ですね? 美遊さん」

「はい。私もとある魔法使いの方に救ってもらって、地球へと送り返してもらったんです」


 その魔法使いのことを思い出したのか、美遊の表情が少しだけ緩んだ。……どうやら、彼女にとっては正真正銘の恩人らしい。出来れば会って一言お礼を言いたいところだ。


「しかし、地球へ生還できても問題は山積みです。まず、こちらとあちらの時間のズレ。これはどうやら一定ではなく、常に可変しているようなのです。美遊さんの場合、地球では六倍ほどの時間が過ぎていたようですが、他のケースでは最も短いと二倍、長いケースですと十倍ほど地球の時が進んでいた場合が確認されています」

「十倍……」


 想像してみて、思わず絶句する。例えば、もし美遊が十倍時間の進んだ地球へ帰還していたとしたら、僕はもっと歳をとっていたわけだ。アラフォーどころの話じゃない。

 ……六倍でも御の字と思わなければ、罰が当たるかもしれない。


「そこで政府としては、帰還者の方々が少しでも普通の生活を送れるよう、支援を行っています。心のケアはもちろんですが、資金援助や教育補助、就職を希望される方にはその支援なども。

 それに、もし本人が希望されるなら、新しい戸籍を用意することも出来ます」

「新しい……戸籍を?」

「はい。実年齢にあった生年月日を新たに設定し、新しい戸籍で人生を再開していただくのです。それで、進学や就職の際に、いちいち事情を説明しなくても済むようになります」


 ――なるほど。美遊のような「帰還者」は、戸籍上の年齢と実際の年齢にズレが生じている。例えば学校に入り直す時や就職した時、その他色々な届け出をした時に、どうしても書類上と実際の齟齬が生まれてしまう。

 ……もしかしたら、その事によって偏見の目で見られることもあるかもしれない。


「じゃあ、美遊も新しい戸籍で再スタートを?」

「――いいえ、私は今の戸籍のままが良いです」

『え?』


 美遊の意外な言葉に、思わず僕と鈴木さんの声がハモる。


「え、美遊? 本当にそれでいいのかい? だって美遊は本当は十六歳なのに、戸籍上は四十路として扱われるんだよ?」

「はい、それで良いです。今のところ学校に通うつもりもありませんし。今の戸籍のままでも、色々な手続きがやりにくいだけで、出来ない訳ではないのでしょう? でしたら、それで良いです」

「美遊さん、よくお考えになった方がいい。色々な不便や、世間から心無い視線を向けられる可能性もあるのですよ?」

「そんなもの、私は気にしません」


 僕と鈴木さんの言葉にも、美遊は首を横に振って耳を貸さなかった。

 一体何が彼女にそう思わせているのだろうか?


「……私が『異世界』に囚われている間に、お父さんとお母さんは死んでしまいました。とんだ親不孝者です。その上、二人の戸籍から抜けて別の私になるなんて……嫌です、私」

「美遊……」


 美遊の言葉には説得力があった。彼女にとっては、戸籍ですらも亡き両親との絆の一つなのだ。

 ――等と思っていたら。


「……あと、今の戸籍ならとうの昔に成人していることになるんですよね? でしたら、誰はばかること無く。私はそちらの方が良いです」

「――って、美遊ぅ!?」


 なんだかとんでもないことを言い始めた!


「……なるほど、『事案発生』ですね?」

「ちょっ!? 鈴木さん、誤解です! 僕と美遊の間にやましいことは、何も!」


 美遊の言葉に、鈴木さんがゴミを見るような目つきを僕へ向けてくる。

 確かに、戸籍上はとっくの昔に成人してても、実際の美遊は十六歳なのだから実質犯罪と言えるだろう。けれども、全ては誤解なわけで――。


「――という冗談はさておいて、美遊さんのお気持ちはよく理解出来ました。戸籍の件は了解しました。公的手続きなどスムーズに運ぶよう、こちらでも手を回しておきましょう」

「うふ、ありがとうございます鈴木さん」

「仕事ですから。どうぞお気になさらず。清十郎さんはむしろ世間体にお気をつけ下さいね?」


 ニッコリと、実に爽やかな笑顔で鈴木さんは笑った。

 その表情からは、先程の言葉が本気だったのか冗談だったのか、どちらだったのかは読み取れなかった――。


   ***


「うふ。鈴木さんって結構おちゃめな方だったのね」

「……こっちは胃が痛いよ」


 ――鎌倉警察署からの帰り道。車の中で、美遊はなんだか上機嫌だった。運転しながら、その可憐な笑顔を盗み見する。

 美遊は美しい少女に成長した。けれども、異世界での過酷な生活故か、髪はボサボサだし体格は同年代の女子よりも大分小さい。可哀想に、頬もけているし肌の色艶も悪い。


 それに、美遊は結局小学校も卒業していないのだ。このままという訳にはいかないだろう。

 鈴木さんの話によれば、学習・就学支援の制度もあるらしい。美遊と相談しながら、そちらの事も考えていかなければならない。

 取り戻さなければならないものは、あまりにも多い。


 それでも、美遊と二人で頑張っていこうと思う。

 けれども――。


「さあ、帰りましょうせーちゃん。二人の愛の巣に」


 冗談なのか本気なのか、美遊は僕へと熱い視線を送ってくる。これはちょっと、色々な意味でたまらない。

 彼女との生活は、前途多難となりそうだった――。



(第一話 了)

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