5.懐かしい我が家
「街並みも随分と変わってしまったのね……」
鎌倉警察署を後にした僕たちは、車で黒木家へと向かっていた。助手席に座った美遊は、先程から窓の外に見える景色を眺めながら、一喜一憂している。
鎌倉というのは不思議な街で、新しい建物が次々に建てられる一方で、何十年も変わらない風景も沢山ある。
ある地域が見違えるように発展したのに、ある地域は昭和の頃と全く変わっていない、なんてことが平気であるのだ。
――今はその変わらない部分が、美遊にとっての慰めになっていた。
そのまま、鎌倉市街地から渋滞に揉まれながら、約一時間。僕らはようやく、黒木家の建つ「鎌倉ヶ丘」地域まで戻ってきていた。
「鎌倉ヶ丘」は、戦前に造成された山中の住宅地だ。手頃な値段と広い敷地を売りに、別荘地として売り出されたのだけれども……市街地からあまりにも遠すぎるし、敷地の殆どが斜面だしで、あまり売れなかったらしい。
おまけに戦後は風致地区に指定されたので、予め決まった規模の建物しか建てられない。新たに土地を拓いたりすることも出来ない。
この土地を買ったという曽祖父も、案外騙されて買ったんじゃなかろうか?
「……門は、そのままなのね」
車から降りると、美遊は黒木家の入り口である古い古い木の門を、慈しむように撫で始めた。
……良かった。数年前の台風で傷んだ時、解体せずに頑張って補修しておいて、本当に良かった。
美遊を出迎えてくれるものを、一つでも多く残せて、良かった。
そのまま、美遊は建て付けの悪い門を自分で開けると、その先にある長く曲がりくねった石段を、一歩一歩踏みしめるように上がり始めた。僕は祖母をおんぶしながら、その後を追う。
石段を、周囲の木々を、一つ一つ確かめるように歩む美遊。そして――。
「ああ……っ」
長い石段を抜け、黒木の家の全体が見えた所で彼女は立ち止まり――号泣し始めた。
「帰ってきた……帰ってきたのね……おうちに……やっと……」
オイオイと泣く彼女の背中を、僕と祖母はただただ見守り続けた。
***
「――ただいま」
「ああ、おかえり」
「美遊さん、おかえりなさい」
玄関をくぐりつつ、そんなやりとりをして、三人で笑い合う。
――ああ、本当に美遊がこの家に帰ってきたのだ。……けれども彼女には、向き合わなければならない「辛い現実」が、まだ残っているのだ。
「……お仏壇は、昔と同じ場所?」
「……うん。奥のお茶の間に、変わらずあるよ」
美遊がフラフラとした足取りで、お茶の間へと向かう。
僕も祖母を室内用の車椅子に座らせてから、ゆっくりとその後を追った。
お茶の間は一階の一番奥にある。その更に奥、元は床の間だった所に、仏壇が鎮座している。
仏壇には沢山の位牌と、写真立てが五つ置いてあった。祖父と僕の両親、そして美遊の両親の遺影だ。
どれも亡くなる数年前に撮ったものなので、亡くなった時よりも若い姿だ。けれども……それでも、美遊がいなくなった時よりは歳をとっていた。
美遊は仏壇の前に座ると、ぎこちない手付きでマッチを手にし、蝋燭に火を付けた。そのまま、備えてあった線香に火を移し、香炉に立てる。最後にお
「――お祖父ちゃん、お父さん、お母さん。伯父さん、伯母さん。美遊は帰ってきました……遅くなって……ごめんなさい……」
閉じた瞳からポロポロと涙を流し続ける美遊の姿を、僕と祖母は静かに見守り続けた――。
***
「わぁ! 私のお部屋、そのままにしておいてくれたのね!」
行方不明になるまで使っていた部屋へ通すと、美遊は感激の声を上げていた。
黒木家の二階には部屋が四つあって、その一つが美遊の部屋だった。僕が今も自室に使っている部屋は、その隣だ。
美遊のものは、学習机もベッドも、それ以外の様々なものも、一切捨てていない。普段は埃よけにカバーをかけて、年に何回か掃除していたのだ。
「皆、美遊が絶対に帰ってくるって思ってたから……。埃っぽいのはごめんね。最近、掃除できてなかったから」
「ううん、全然! わぁ、この下敷き懐かしい……。ねぇねぇせーちゃん、このアイドルってまだいる?」
「あー、どうだったろう? 確か、まだテレビには出てたと思うよ」
美遊は、埃が舞うのも気にせずに、アイドルの写真がプリントされた下敷きを手にして、はしゃぎだす。
すっかり色あせた下敷きの中で笑うのは、美遊が当時好きだったアイドルだ。――既に中年を通り越して初老だったはずだけど、今は伝えなくていいだろう……。
「あーっ! ベッドも昔のままなのね! ……でも、流石にここで寝るのは無理ね」
「そうだね。布団はあるけど、まずは部屋自体を掃除しないとね……。美遊、今日のところはお祖母ちゃんの部屋で――」
「うん、じゃあ今晩はせーちゃんと一緒に寝るね?」
「……はい?」
――突然、美遊が艶っぽい声でとんでもないことを言い出した。
普通に考えれば冗談なんだろう。けれども、美遊の表情はどこか艶かしく、瞳は潤み、頬は朱に染まっている。一言でいうと、色っぽい。
「い、いやいやいやいや! それは色々不味いでしょ!?」
豹変した美遊の雰囲気に、思わずどもりながら返す。背中には、早くもどっと汗をかき始めていた。
「なんで?」
「いや、なんでって……美遊、もう十六歳なんだろ? その、流石にその歳で異性と同じ部屋で寝るというのは――」
「もう、せーちゃん。同じ部屋、じゃなくて――同じ布団がいいなぁ」
「――っ!?」
一体美遊はどうしてしまったんだろうか?
先程までは儚げに、我が家に帰ってきた喜びと失った家族を悼む気持ちとで揺れていたのに……!
――と。
「美遊、次の台詞は『私、もう子供じゃないのよ?』だよ」
――美遊の後ろに隠れて、何やら吹き込んでいる
「お祖母ちゃん、何やってるの? というか、足悪いのにどうやって二階に上がってきたの?」
当然ながら、黒木家に宅内エレベータの類は存在しない。
「はっ、見付かってしまったかい? 許しておくれ~、私はただ、ひ孫の顔が早く見たいだけなんだよ~」
――等と言いながら、体の悪い九十代の老人とは思えぬ見事なハイハイ歩きで、祖母は部屋の外へと逃げていった。
あの人も美遊が帰ってきた喜びで、少しテンションがおかしくなっているのかもしれない……。
「……ということで、美遊はお祖母ちゃんの部屋で寝てくれ。今晩はお祖母ちゃんも、ホームじゃなくてこっちで寝るから」
「は~い。ふふ、せーちゃんと一緒に寝るのは、しばらくお預けね」
「ちょっ、美遊!」
「てへっ」という感じに舌を出す美遊の姿は、掛け値なしの美少女だった。
――こうして、美遊が帰ってきた最初の一日は、賑やかに過ぎていった。
でも、問題はまだまだ山積みだ。
美遊が連れ去られたという「異世界」のこと。
戸籍上の年齢と実年齢が二十年以上もズレてしまった、美遊の今後。
僕はこれから美遊の事を沢山知り、考えていかなければならない。美遊の「家族」は、もう僕と祖母しか残っていないのだから――。
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