3.突然の連絡
祖母が老人ホームへ入居して一年ほど経ったある日。黒木家に一本の電話がかかってきた。
最近かかってくる電話なんて、変なセールスか、はたまた振り込め詐欺の電話くらいのものだったけど――その電話は違った。
「はい、黒木です……あ、はい。鎌倉警察さんですか? はぁ、お疲れさまです。こんな朝から一体何の御用で――」
その電話は、地元の鎌倉警察署からのものだった。
美遊が行方不明になった頃や、両親と叔父夫婦が事故死した頃には、よく電話がかかってきたものだが……また何か厄介事だろうか? そんな嫌な予感もあったのと、朝早くからの電話ということもあり、僕は少々苛ついた受け答えをしてしまっていた。
けれども――。
「えっ!? そ、それは……それは本当ですか!? はい……はい! ええ、祖母と一緒にすぐ伺います! 車は……ええ、駐車場に、分かりました!」
警察からの電話を切ると、僕はすぐさま、祖母の携帯に電話をかけた。警察から伝えられたことを、一刻も早く、祖母にも伝える必要があった。
『もしもし、清十郎さん? どうしたんですか、こんな時間に』
何コール目かに出た祖母は、少し眠そうだった。もしかすると、まだ寝ていたのかもしれない。
けれども、こちらはそれどころじゃない。僕は落ち着くために一旦深呼吸してから、警察から言われたことを祖母に伝えた。
「お祖母ちゃん……落ち着いて聞いてね? 美遊が見付かったらしい」
***
祖母を途中でピックアップしてから、愛用の軽自動車で鎌倉警察署へと向かう。
車椅子ごと後部へ乗り込んだ祖母は、終始無言だった。「美遊が見付かった」という事実をどう受け止めていいのか、まだ心の整理が付かないのだろう。
かくいう僕だってそうだ。
『お宅の美遊さんが発見されました。ご本人の話や指紋などから、警察としては本人と確認出来たと考えますが、ご身内の方に最終確認をお願いしたいのです』
警察からの連絡内容は、ほぼそれだけだった。
美遊は今どういう状態なのか、どんな状況で発見されたのか等は、一切伝えられなかった。それは署で直接説明するのだという。
……美遊が行方不明になってから、もう三十年経つ。
生きていた事はもちろん嬉しいけど、他の長期失踪事件の顛末を知っていると、素直に喜べない部分が多すぎた。
とある少女は、十年以上も誘拐犯の自室に監禁されていたという。
とある夫婦は外国の工作員に拉致されて、何十年も強制労働に従事させられていたらしい。
とある少年は人身売買組織に売られ、筆舌にし難い扱いを何年も何年も受け続けたのだとか――。
僕も祖母も、亡くなった両親たちも、ありとあらゆる行方不明者の情報にあたってきた。だから、生存していたのが必ずしも幸運だとは言えないことも、よく知っているのだ。
ハンドルを握る手に、思わず力が入る。
僕たちは、美遊がどんな状態でいても、彼女を優しく受け入れてあげることが出来るだろうか?
美遊は僕たちのことを、まだ家族と思ってくれているだろうか?
鎌倉名物の交通渋滞も、僕らに覚悟を持たせるだけの時間は与えてくれず、車はいつしか鎌倉警察署へと到着してしまっていた――。
***
警察署へ着くと、僕と祖母は署内の応接室らしき一室に通された。
僕らを案内してくれた女性警官は「こちらでお待ち下さい。詳しくは担当の者からお話します」とだけ言って、さっさと部屋を出ていってしまい、部屋には僕らだけが取り残される。
そして、ややあってから――。
「お待たせしました。本件担当の、鈴木と申します」
ノックの音ともに、「警察官」というよりは「役人」と言った風情の、僕と同年代くらいの男性が入ってきた。
髪はきっちり整えられていて、着ているのは制服ではなく高そうな背広。顔の真ん中では、フレームレスの眼鏡がキラリと自己主張している。
「あ、あの! 美遊は――」
「そのまま。順を追って説明しますので、どうぞおかけ下さい」
思わず立ち上がった僕を制し、鈴木さんが話はじめる。
「まずは、ご足労ありがとうございます。今朝方お電話でお伝えした通り、お宅の美遊さんが、先ごろ発見されました。……具体的には二週間ほど前のことになります」
「二週間前!? なんですぐに連絡をくれなかったんですか!」
「……落ち着いて下さい。それも今、ご説明します」
いきり立つ僕をあくまでも冷静になだめ、鈴木さんは話を続けた。
「美遊さんの場合、行方不明になったのが三十年前でしたので、本人確認にまず時間がかかりました。――なりすまし、という可能性もありましたので。しかし、遺されていた指紋と照合した結果、高い確率で本人である、との結論に至りました。まずはご安心下さい」
鈴木さんが手にしていた書類をこちらに差し出す。
書類にざっと目を通すと、美遊の指紋については、小学校の図工の時間に作った手形を使った絵から綺麗なものが取れていたらしく、それと照合したらしい事が書かれていた。
指紋というのは一生変わらないものだから、こういう時に効果を発揮する証拠となるらしい。
「なるほど。指紋の照合に時間がかかったんですね」
僕が納得したようにつぶやくと、鈴木さんは何故か眉間にシワ寄せて「それが」と切り出した。
「それだけでしたらもっと早くお伝えできたのですが……実は、美遊さんの場合とても特殊なケースに該当しまして」
「特殊なケース、ですか?」
「ええ。こればかりは、私の口から説明するよりも、ご本人に会っていただいた方が話が早いでしょう。――かなりびっくりされると思いますが、覚悟はよろしいですか?」
じっくりと、よく含ませるような鈴木さんの言葉に、僕と祖母は思わず揃ってツバを飲み込む。「特殊なケース」とやらがどんなものか分からないが、これだけ念押しするということは、僕ら家族にとってはショッキングなものなのだろう。
僕と祖母は互いにうなずきあうと、声を揃えて「お願いします」と鈴木さんに申し出た。
「……分かりました。では、ちょっと失礼して――。ああ、私だ。彼女をお連れしろ」
鈴木さんは携帯でどこかに電話を掛けると、何やら指示を飛ばした。どうやら、部下か誰かに美遊を連れてくるよう頼んだらしい。
――そして、ややあって。部屋の扉が控えめに三回ノックされた。
「どうぞ」
鈴木さんの返事を待って、ドアがゆっくりと開かれる。
――美遊は僕と同い年だ。今ではもう、立派な中年女性になっているだろう。ひと目で彼女と分かるだろうか?
ぼんやりとそんなことを考える僕の前で、ドアが開け放たれる。
そして遂に美遊が姿を現した――かと思いきや、そこに立っていたのはどう見ても中年女性ではなく、中学生くらいの女の子だった。
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