Dead Man's Hand ー臥龍転生編ー

第１部 臥龍転生編

プロローグ

幽霊狩り01

　重なり合う唇。柔らかな感触が消えると緋咲（ひさき）小夜（さや）はゆっくり瞼（まぶた）を開いた。視線を少し上げるとショートカットの少女がこちらに微笑みかけている。日に焼けた褐色の肌と涼しげな目元。思わず見とれてしまうほど爽やかな笑顔だった。

　少女は小夜と違う高校の制服を着ている。肩から下げた大きめのスポーツバッグには『雨藤（あまふじ）女子高等学校　陸上部　双葉（ふたば）涼（りょう）』と刺繍（ししゅう）がほどこされていた。小夜はいつものように涼の胸元へ額（ひたい）をよせる。涼は何も言わず、そっと小夜の髪をなでた。

　駅のホームの片隅、自販機の陰が二人にとって心の休まる場所だった。しかし、反対側のホームに続くエスカレーターを数人の女子高生が上がってくる。制服姿から小夜と同じ江陵館（こうりょうかん）高校だとわかる。

「「「小夜ー！！」」」

　女子高生たちは小夜に気づくと甲高い声を上げる。声が届くと涼はすぐに横へずれて少し距離を取った。

「本当は……気をつかう必要なんて、ないのかもしれないけれど……」

　涼はどこか寂しそうに笑いながら呟く。小夜はそんな涼をチラリと見たあと、反対側のホームへ向かって手を振る。社交辞令が終わると関係を確認するために涼の薄い唇が動いた。

「クラスメイト？」

「ううん、隣のクラス。体育が一緒なんだ」

「そっか……」

　涼も小夜の視線を追いかける。女子高生たちは小夜と涼を見ながら何事かを話している。きっと、興味本位で詮索することを楽しんでいるのだろう。

「涼（りょう）の言う通りだよ。誰かに気をつかう必要なんてない」

　小夜は気にするそぶりを見せず、優しく微笑んでみせる。さりげない笑顔に涼の胸は締めつけられた。

──ああ、わたしはこの笑顔が好きだ。

　小夜は昔から自分のことよりも他人の気持ちを優先する。だから、涼が好奇（こうき）の目を向けられると涼以上に傷ついてしまう。

──いつだって小夜は優しい。でも、どれだけ辛くて悲しいことがあっても、わたしには何も言わない……小夜自身がそう決めている。

　涼には小夜が笑顔の裏に人知（ひとし）れない痛みや悲しみを隠しているように思えた。それは直感的なもので根拠などなく、『小夜、何かあった？』と踏みこんで尋ねる勇気が出ない。涼は下唇を噛んで話題を変えた。

「そういえば……江陵館高校のテスト期間って、明後日まで？」

「うん。そうだよ」

「そっか。テストが終わったら一緒にどこか行こうよ。小夜は行きたいところとかある？」

「……」

　涼が明るく尋ねると小夜は申しわけなさそうに俯いた。

「涼……今日も途中までしか一緒に帰れない」

「え？　そうなんだ……」

「ゴメンね……」

「いいよ。気にしないで」

「……」

　涼は残念な気持ちを隠して笑顔になる。そんな涼を見て小夜は後ろめたさを感じた。小夜には涼に言えない秘密がある。罪悪感を抱いて両手をギュッと強く握りしめた。

──ごめんね、涼。わたしは……。

　小夜は涼の気づかいに甘えてばかりの自分が嫌いだった。今までに何度か秘密を打ち明けようとしたこともあるが、そのたびに『涼に嫌われたくない』という感情が邪魔をする。

──わたしはとても臆病なんだよ……。

　いつものように結論づけるとタイミングよく電車がホームへ入ってくる。小夜と涼は足並みをそろえて乗りこむ。取りとめのない会話を楽しんでいると、あっという間に小夜が降りる神無（かみなし）駅（えき）へ到着した。

「じゃあね。小夜」

「うん。また連絡するね」

　小夜は名残惜しい気持ちを押し殺して電車を降りた。車窓越しの涼が遠くなると改札へ向かい、そのまま早足で女子トイレに入る。

　鏡の前に立った小夜はポケットからダークブルーのシュシュを取り出し、アッシュブラウンに染まる髪を後ろで纏（まと）めた。次にリップクリームを取り出すと緊張で乾ききった唇をなぞり、鏡に映る姿を鋭い目つきで見つめる。

「怯えるな……嗤（わら）え、緋咲小夜」

　小夜は自分に言い聞かせながら唇の端を微（かす）かに上げる。それは、これから起きることを楽しもうとする嗜虐性（しぎゃくせい）を秘めた微笑みだった。

×　　×　　×

　小夜が寂（さび）れた駅のロータリーへ向かうと黒いオフロード車が停まっている。ハンドルを握る男は短髪で、気の強そうな眼差しが小夜に似ていた。小夜が助手席へ乗りこむと不機嫌そうに顔を顰（しか）める。

「遅い。俺を待たせるな」

「うっさいな。兄さんが早いんだよ」

「まあいいさ……今日はお前の番だ」

　男は小夜の兄で、緋咲（ひさき）寛（ひろし）という。寛はダッシュボードを指さした。

「獲物の情報が入ってる。今日の獲物はビッグネームだ。さっさと読んで頭に入れろ」

「……」

　小夜はダッシュボードを開けてクリップに挟まれた資料を取り出した。資料には『七人ミサキ』と書かれてある。

『七人ミサキ』

　・高知出身の幽霊であり、七人組で現れて対象者へとり憑（つ）く。とり憑（つ）かれた対象者は必ず殺される。

　・対象者を殺すと七人のなかから一人が成仏し、殺された人が新たに七人ミサキへ加わる。

　・出現予測場所は鍵屋（かぎや）市、比呂隠岐川（ひろおきがわ）ぞいの広域農道。交差点名「牛久（うしく）地区東５２」付近。

　・出現予定時刻　１９時４７分。

　資料には必要最低限のことしか書かれていない。小夜は呆れながら資料の裏も確認するが、もちろん何も書かれていなかった。

「これだけ？　もっと詳しく説明してよ」

「例えば？」

「例えば、『七人ミサキ』の弱点とか……」

「弱点だ？　笑わせんな。お前はこの俺の妹。弱点なんか必要ねぇよ……ガタガタ言ってないでさっさと行くぞ」

　寛は不敵に笑って車を発進させた。