五刻


 糸子が見れる“春呼び時計”は、12時になればけたたましくアラーム音を鳴らし、ぼふっと煙をたてて消える………そのときは、今まで例外もなく、時計の持ち主の恋が実った。


(まーさーかー………)


 糸子は、もう日課になりつつある“佐藤くんウォッチングat頭上”をしていた。その視線をそのままガラス窓へと移す。校庭に面したガラス窓は、今は黄昏た空から夕陽がさしていた。今は五時間目、授業はいばちゃんの現国。今日、いばちゃんの頭上に時計は既になかった。きっとあれから糸子の知らない場所で、ぼふっと煙をたてて消えたのだろう。……そのうち、いばちゃんの左手に変化があるかもしれない。


(…………)


 今までの糸子なら、そのことに一喜一憂しただろう。相手は誰だ、とか。結果がわかるのはいつだいつだと楽しみながら、その日まで退屈もせずに過ごしたことだろう。けれども、今は違う。佐藤くんの視線の行く先が気になる。すごく気になって仕方がない。


(…………)


 佐藤くんは今、黒板でなく窓の方を見ている。――正確には、窓際の席のえっちゃんだろう。えっちゃんは真面目に黒板を見て、ちゃんと手を動かしてノートに板書している。たまに手を挙げたくてうずうずしている。そしてえっちゃんの頭上の時計は、凄まじい早さで進んでいた。もう9時だ。糸子の経験から、今まで見てきた時計のなかで一番にはやい。白猫だった時計は、いまやもう赤毛といっても過言ではない。外国の俳優みたいに、キラキラしたオレンジ色。夕日のように輝く赤みの強いオレンジ色。夕陽が差し込む教室だけれど、糸子の見る時計は現実の現象には左右されないから、夕日に染まってそのように見えるわけではない。―――だから、近いうちにえっちゃんの時計が煙をたてて消える日は近いだろう。明日か、明後日か。いや、最短記録で今日かもしれない。


―――まぁ、とにかく。


「佐藤量汰ー、土岐原糸子ー」


と、にこにこと穏やかにいばちゃんがふたりを見て、


「君たち、外を見てる暇があるなら廊下にたってなさい」


と、にこにこと教室の開き戸を指差した。








「……」


「……」


―――そして廊下に行儀よく規律の姿勢で並ぶふたり。


「……」


「……」


―――ふたりの間には長い沈黙が横たわり、このまま言葉がお互いの口から出ないまま時を過ごすのかのように思われた。


 …………が。


「と」


 佐藤くんが何かをいいかけたその時、タイミングよくチャイムが鳴り、がらがらと開き戸が開かれいばちゃんが登場した。


「君たち、次からはきちんと僕の授業を受けなさいね」


と、案外背の高いいばちゃんは苦笑を浮かべながら、ふたりの額に軽くでこぴんをかまして去っていった。


「……」


「……」


―――意外と破壊力のあったでこぴんの痛みに、こらえきれずに頭を抱えるふたり。その背後で廊下に面したガラス窓をがらがらと開けて、中から生徒たちが顔をだし、


「おーいおふたりさぐぇっ」


「なかよしこよげふっ」


「らぶらがはっ」


と、ヤジが飛びかけたが、奇声をあげてとどまった。そんな彼らの後頭部はチョークの粉で汚れていて、


「さぁー君たちは黒板を綺麗にしてね〜」


 手をパンパンと叩いて粉を振り払い、窓を閉めに来たえっちゃんが、ぎょっと目を開くふたりに一言。


「ロングホームルームまであとすこし時間があるから、もうちょいそこにいてねおふたりさん☆」


とがらがら音をたてて窓を閉めた。窓の向こうから、「さっさと綺麗にせんかーい☆」とえっちゃんの怒声と泣きわめく3人の男子生徒の声が聞こえてきたが気のせいだろう、きっと。


「……」


「……」


 またしてもふたりの間には沈黙が横たわり、


「と」


「あの佐藤くん」


―――再び、佐藤くんの発言はぷっつん切れた。

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