二刻
糸子の朝は、早い。いや、早すぎるといっても過言ではないだろう。
「きょーもげんきー!」
糸子は、ぱちっとまばたきをして勢いよく半身を起こし、うーっと背伸びをしてかるくストレッチをした。
彼女の朝は、5時に起床してから始まる。自室が和室なために、起きたらまず布団を畳んで押し入れへしまう。糸子は、起床するのに目覚まし時計を必要としない。ほぼ正確に5時に起きる。
携帯電話が枕元に置いてあるので、一応それで時刻の確認はするのだけれども、それ以外は糸子の部屋には時計らしき時計がない。あるのは、兄とまだ住んでいた頃からある手のりサイズの小さなキャラクターの目覚まし時計。もう、動かないけれど。
「よいしょー、と」
ぱんぱんと手を叩いてホコリを軽く落とし、糸子は部屋のすみにあるチリトリとホウキに手をかける。糸子は布団を片付けたあとに、軽くホウキで室内の清掃と空気の入れ換えをする。静かに、あまり音をたてずにするのがコツだ。そして素早く身支度を済ませ、台所に向かい、朝食を作ってしまう。
これまでが6時までには行われる。義母は雇われ医師のため、決まった時刻に家にいない。だから、家の家事は糸子の担当だ。
朝食を作り、今度は平屋である母屋の清掃まで軽く済ませ、母屋の端の自室で寝ている父を起こし、縁側から中庭へ降りて離れへ向かう。同じく平屋の離れは、二間続きの和室と洗面所があるだけの小さな建物だ。そこの離れの和室は、糸子の弟たちの部屋である。
離れに入って糸子がまずすることといえば、
「おはよう弟諸君!」
と朗らかに叫びながら音をわざとたてつつ部屋へと入り、
「あと5―――」
「だまらっしゃあーい!」
あと5分寝かせてといいかけた長男一朗の布団を問答無用ではぎ、
「ねえちゃ」
「あんた掛け布団どこよ〜?」
姉ちゃんあと少しといいかけた次男の二朗の敷き布団を引っこ抜き、
「うわま」
「あんたは敷き布団どこやったの〜?」
うわまってといいかけた、掛け布団に抱き枕のようにしがみつく三男の三朗を蹴飛ばして、
「ちょ、ま」
「あんたはまた上下ないよ?!風邪ひくよ!腹下すよ?」
ちょっと待ったといいかけた、枕だけで床に寝ていた四男の四朗も蹴飛ばす。
「さーさっさとおーきーるー!」
と、糸子はあたふたする弟たちを放置しながら布団を片付け始める。もちろん、まだ布団の中にいたり、布団の上にいたり、はたまた抱き締めていたり行方不明になっていても問答無用。中にいたら引きずり出すし、上ににいたら引きずり落とすし、抱き締めていたら引っこ抜いてでも奪うし、行方不明ならだいたい場所が決まっているから探しだすまでもない。ちなみに今日は押し入れに蹴りいれたらしく、下段にぐちゃぐちゃの状態で入っていた。どうやら四朗は、夢の中でワールドカップにでも出場して、二度連続でゴールを決めたらしい。もちろん、
「しろー!あんただけは布団片付けてからね〜?お布団は上下ともにサッカーボールじゃないのよー」
布団がサッカーボールで押し入れがゴールである。あたりまえだがゴールキーパーは不在だ。
てきぱきと三人分の布団を片付け終えた頃には、室内の壁掛け型の振り子時計(あの祖父の童謡で有名な)は6時半をしめしていた。余談だが、この振り子時計は、糸子のよつごの弟たちがやんちゃをしたせいで振り子が止まったまま動かない。
しかし、目覚まし時計でも起きない朝苦手属性(←義母命名)の弟たちは、振り子が現役でどれだけぼーんぼーんと低い音をたてようが起きはしないだろう。なぜなら、糸子が毎朝こうでもしないかぎり起きたためしがなから。
「まったくー」
離れをあとにしながら、糸子はいつものお決まりとなった言葉をため息とともにはいた。
「いっつもなんだからー」
そう、いつものこと。いつもの朝。寝るときはきちんと川の字なのに、何故か朝になれば布団がワンダホーなことになっている弟たちである。もう10歳になるのに、いまだに一人で起きれない弟たちの部屋に、何度、隠しカメラを設置しようと本気で思ったか。
こんなふうに糸子の朝は始まる。いつも変わらぬ朝が、今日も始まった……のだけれど。今日だけは、次の展開が違った。
「むー……?」
朝、7時半。高校へ半時間かけて通う糸子はいつもこの時間に家を出る。玄関に備え付けられた等身大の細長い鏡、これに映った自分の姿を見て最後の身だしなみチェックをするのが糸子の日課なのだけれども。
………気のせいだろうか。糸子は何度も目をこすった。あまりにも見慣れた光景が頭上で起きていたから。
「えええーーっ?!」
鏡にうつる糸子の頭上に、何故か真っ白なミニサイズの振り子時計が鎮座していた。他人の頭上にて見慣れた光景が、ついに自分の頭上にも。……おそらく、目覚まし時計タイプなのだろうけれども、どこからどう見てもミニチュアな振り子時計だった。鏡の中の時計の針は、分かりにくかったけれど―――2時をしめしていた。ぼーんぼーんと、時計が嬉しそうに鳴ったように糸子には聞こえた。もちろん、目安針は12時をしめしていた。
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