第2話 前田美樹

 私達はいつも、何かに背中を押されている。

歩いている時や自転車に乗っている時など。

そして、それは私達だけでなく他にも様々な事を後押ししている。


草原を駆け抜ける馬、海に浮かぶヨットの帆、そして変わり目くる季節にもだ。

春夏秋冬は三ヶ月に一度のペースで私の元に現れていた。


しかし、年々秋の腰が重くなっているの感じる。もしかしたら、人間が都合よく変化させた環境を嫌っているのかもしれない。


今年は来ないかなと心配したが、昨日ようやく、キンモクセイがオレンジ色の香りを私に届けてくれた。


しかし、一安心も束の間、落ち着いてる暇などない。

私のクラスでは、明日からお化け屋敷を開く予定だ。二週間前から準備を進めていたが、まさか前日にお化けの衣装が足りない事になるとは全くの予想外。

材料切れ発覚から、急いで近所のスーパーまで走る。


「ここで忘れ物なんかしたら、怒られるな」

メモと陳列棚の間を入念に往復し、買い物をすぐさま終え、スーパーから学校までの一本道を、重い荷物を両手に全力で走って戻る。


両手に枷をつけたまま、イチョウ並木の黄色のカーペットを駆け抜け、ゴールすると、校門前では、丁度アーケードを建てている最中であった。


「歩が戻ってくるまでに完成させておこうぜ!」

「了解です」

「おい、そこはこっちの部品だろ」

雑用係と言えば、自ら進んで手を挙げる生徒なんて誰もいない。

しかし、その割には、今年のアーケードは完成度が高い。

まるで、フランスの凱旋門を彷彿させるような立派な門構え。

そして、中央に書かれた「第100回目 文化祭」の文字は見事だ。

と、見惚れてる場合じゃない。


美樹は我に返りアーケードをくぐると、そこには激安スーパーよりも騒がしく、賑やかな世界が広がっていた。

本当にここは、いつもの学校なのか。

頬を抓りたくなるが、両手いっぱいに抱える荷物のせいで、それも叶わない。


せっかく、学校が夢のテーマパークになっているのに、年頃の女子が一人で買い出しとは、何とも切ない。


「ねえ、明日はパフェ食べに行こうよ」

「いいよ。その後にお化け屋敷に行かない?」

「えー、怖いの無理だよー」

「大丈夫だよ。俺が守るから」

願わくば、あそこのカップルみたいに明日の予定を立てたいもんだ。

お化け屋敷に来た際は、最高級のおもてなしをしてやろう。


美樹は荷物が当たらないように気をつけながら、先へ進む。

ごった返す人混みの中、無闇に急ぐと落としかねない。

どのルートが安全かつ最短かをキラリと両眼を光らせる。


「会長、お化け屋敷の安全確認がまだでした」

「あそこは、色々と飾り付けが派手だから心配ね。今から行きましょうか」

ターゲットは決まった。


お堅い生徒会の背後を着いていけば、誰も接触してくる事はない。

『よし、二人には私のボディーガードになってもらおう』

美樹は生徒会という看板二枚を盾に使いながら、悠々と進む。

しかし、優雅な時間はそう長く続かないものだ。

それは、両手に痺れを感じ始めた時にきた。

一度、袋を持ち直そうと、足を止めた瞬間、前方の盾をすり抜けるように横から一人の男子学生が目の前へ現れた。


突然の事に驚く二人だったが、無意識に互いの目が一つに繋る。


それは、まるで空中で止まる赤トンボの様。

二人の時間だけが周囲から孤立する。

美樹の両眼には自分だけを見る彼しかいない。

テンプレの黒い学生服を着た普通の男子学生。癖毛のない綺麗な黒髪を揺らしながら、子猫の様な大きな瞳が私を見つめる。


両手の痺れなど一瞬にして消えた。

この世に生まれて、17年間。これほど自分の心音をはっきりと感じた事はない。

彼の目に私はどう映っているのだろう。

花壇に咲くコスモス達が気持ち良くユラユラと揺れている。


気がつけば、彼との距離は唇が触れ合う程に縮まっていた。

そして、腰に落雷を受けたかの様な痛みを感じた時、視界から彼が消え、夕焼け空がフェードインしてきた。


「本当にすみません。大丈夫ですか」

今、全身を駆け巡る血流は腰の痛みのせいか、それとも胸に打たれた何かのせいか?

美樹は散らばった荷物の心配をよそに、寝転んだまま、目の前の事を考える。

今いるのは、王子でも勇者でもない。今し方、私の胸に何かを差し込んだ男。


「一人で立てますか」

「大丈夫です」

「でも、腰とか打ってないですか。保健室に一緒に行きます?」

「本当に大丈夫ですから」

歩は一人で立つ美樹の姿にホッと胸を撫で下ろす。

「本当にすみません。俺、3年の佐野歩です。また、後で痛みとか出たら教えてください」

「もしかして、アーケード造ってる人ですか」

「そうです。と言っても、俺は文字担当ですけど」

「あの学園祭の名前って先輩が書いたんですか?」

「見てくれたんですね。実はさっき完成したばかりで、今から記念撮影に行く途中だったんですよ」

「そうなんですね」

美樹と歩がアーケードの方を向くと、前方から大きな声がしてきた。

「おーい。歩、早く来いよ!」

「わかったー。すぐ行く!」と、待機する健太に大きな声で返事を出す。


「じゃあ、行くんで、また痛みが出たら、教えて下さい。あと、これ荷物です」歩は散らばった荷物を袋に集めて手渡す。

美樹は何も言わないまま、受け取り浅く会釈する。


背を向け、走り去って行く歩を見て、胸の中に灯った火は勢いを増していく。

「また、話が出来たらいいな」

沈む夕日と共に歩がアーケード下で仲間達と合流したのを見届け、美樹もお化け屋敷へと足を進める。


「やばい。早く戻らないと怒られちゃう」

美樹の足取りは、先程よりも軽い。

調子に乗ってスキップを試みるが腰の痛みが足を引っ張る。

「あ、痛ててて」

と同時に背後から突然、巨大な轟音と共に多くの悲鳴が聞こえてきた。


反射的にアーケードの方を振り向くと、最早そこにフランスの観光地はなく、山積みになった瓦礫と学生達の叫び声で充満していた。

美樹は荷物をその場に落とし、腰の訴えを無視して走りだす。


「大変だ。アーケードが崩れ落ちたぞ」

「学生数名が下敷きになってる」

「重傷者がいる。早く救急車を呼んでくれ」

「俺のせいだ。安全確認せず早く完成させようと急いだせいだ」

様々な声が飛び交う人混みの中を美樹はすり抜け、先頭に到着する。

そして、目の前の光景に胸の火は大きく燃え広がり、身体全身を包んだ。


「誰でも良いから、早く手を貸してくれ!」

そこには、大量のアーケード部品の下敷きになった苦しむ学生達が数名いた。


「早く、部品をどかすんだ」

「こっちにも下敷きになった奴がいるぞ」

目の当たりの惨劇。

夢のテーマパークは一気に表情を変え、心を切り裂く。

しかし、痛みなど感じてる暇はない。

美樹はすぐさま、周囲の学生達と協力し瓦礫の移動を手伝う。

次々と救助される学生達。

皆、うめき声をあげながらも、何とか息している。

ただ一人を除いては・・・。

「起きろよー!」揺さぶられる血塗れの一人の男子。その姿は紅葉の絨毯に横たわる人形の様。

最後に救出された歩の目に光はなかった。

傍で泣き崩れる友人達の背後から、その姿を見ていた美樹は、ゆっくりと目を閉じ、ようやく溜めていた涙が落ちる。


頬から流れる滴達が全身を包む炎を消していくのを感じる。

『あなたは、一体どんな人だったの? これからもっと知りたかったのに』

まだ、出会って数分しか経ってない二人。

ほんの一瞬しか感じれなかったあの感触。

『また、会いたい』

美樹は周囲が騒がしくなる中、最後にもう一度、歩を見ようと涙を拭い両眼をゆっくりと開ける。


「ねえ、明日はパフェ食べに行こうよ」

「いいよ。その後にお化け屋敷に行かない?」

そこには、どこかで聞き覚えのある会話があった。

両手は突然、ズッシリと重くなり、置いてきた筈の荷物を握ったまま、一人でカップルの前にいた。

「あれ?」

二匹の赤トンボが美樹の隣で静止した。

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