家の帰りに猫の死体を見つけた

無為憂

 高校の家の帰り道に猫の死体を見つけた。三ヶ月ぶりにそういうのを見た。前見た時は、小学校の通学路で轢かれていた鳥だった。

 僕は南無と手を合わせて、その猫の天国での幸せを祈った。可哀想な猫だな、と思いつつ僕は横を通り過ぎる。もう思い返すことはないんだろうな、と。二、三日も経てばいつの間にか消えているから。

 でも僕の中で一匹だけ忘れられない猫がいたのを思い出した。

 これは、小学生のときの話だ。


 僕は小学生の時、団地に住んでいた。両親が住み始めたときはまだ綺麗な方だったらしいが、今はもう壁の至る所にペンキで落書きされていて、綺麗とはもう呼べない。その団地の近くに、公園があって、その公園に隣接する土地に建設現場があった。あの頃は、日中続く機械音に生活を随分と乱されたものだ。加えて当時の僕は、意地の悪い連中にいじめられていて弱かった。惨いいじめというわけではなく、三人の体格のいい男達に命令されて良いように使われていたというぐらいの説明の方が近い。そのいじめを受けると外に出る気力なんかなく、休みの日は大抵引きこもっていた。

 小学五年生になるといじめ連中は、学校外でもいじめを行うようになった。いじめというか脅迫に近いものもあった。

 冬になって、格好のいじめの場所となったのが、あの公園だった。まず大人は近寄らないし、工事の音、団地特有の影のある場所という利点があった。

 あれは、雪の日だった。クラスメイトの誰もがまだ見慣れない「雪」に興味津々なのに対して、僕の気分は周りに反して沈んでいた。公園に来い、といじめ主犯格に脅されていたからだった。朝良いものを見つけた、と彼は雪よりもその面白いものという奴に心惹かれていた。

 放課後、雪が止んで、ザクザクという音を立てながら公園に行くと一匹の灰色縞の猫がいた。にゃーんと悲しげに泣く。近隣の住民が雪かきを終えた公園の一本道を車がブーンと通り過ぎる。黒い排気ガスを出して。

 建設現場の高いフェンスに引っかかった猫は、何カ所からか血を出していて、その血の多さに血で濡れたところは毛がカピカピになっていた。フェンスに引っかかってこうなるものなのかと思うと、主犯格の男(Dと呼ぶ)が言うに、何かの罠で引っかかって怪我をして、その罠のせいで普段通れるフェンスにも潜れなかったと言うことらしい。確かにフェンスよりも細い鉄のワイヤーが猫の小さい体を傷つけている。猫は、フェンスよりも体が一回りほど大きいらしく、いつも猫は体を縮めて通っていたと連中の一人のFは言う。

 無理にフェンスを通ろうとした猫は、周りに巻き付いた罠に締め付けられて苦しそうにしている。さらに雪が降っていたということもあって、猫の体力は既に切れていた。

 さも今思いついたようにDが、「引っ張ってやれ」というので、そのいつもの命令に従った。後ろで儚い命を馬鹿にするように笑っている連中を見返してやろうと目の前の猫を見つめた。

 耳から血を出しているので、そこに気を遣いながらこちらに引っ張ると痛そうに鳴く。雪で冷えたフェンスが冷たい。猫は冷え切っていた。

 僕が、助けてあげようと無理に引っ張るとどうしても痛がって上手く抜けない。みるみるうちに鉄のワイヤーが絡まって猫の体の傷口から血が垂れる。

「バカ、死んじゃうよ、そのネコ」

 今まで黙って見ていたHにそんなことを言われるので、じゃあ変わってくれよ! と叫びそうになるが、そんなことは絶対にないし、仮に僕が激高して襲いかかっても体格のいい彼らのことなので返り討ちにされる。敵わない。だからいつものように胸にとどめる。

 ふと、Hがこの猫にこんなことをした犯人じゃないのかと思うが、HとFの二人は、「朝見つけた」と本当に知らないようだった。それを知ってからDは僕にこんなことをさせようと思いついたらしい。相変わらず意地が悪い。

 解決策がわからぬまま、どんどん時間が経っていく。網目状のフェンスからでられない猫は、助けて欲しいと一生懸命鳴いている。僕は猫を優しく摩ることしかできなかった。徐々に小学生が下校する時間を過ぎて、通学路にも人通りはまばらになっていく。「みんな何してるの?」と人が通る度に聞く質問ももうなんて答えれば良いかわからない。何もできないと嘆くだけだ。

「何してんの?」

「佐竹くん」

 クラスであまり話さない彼がいた。人を受け付けないような性格ではないが、自然と一匹狼になる彼に僕はびくっとする。

「猫を……」と歯切れが悪いことを行っていると、彼が近づいてきた。

 太陽が落ち始めて、少し寒くなる。彼の一歩一歩にザクザクと積もった雪が反応する。

「猫じゃん。どうしたのこれ」

「誰かがやったみたいでさ」

 とH。

「ひどいなこれは」

「何か案はあるか?」

 とF。

「何のだ?」

「そりゃ、助ける案だよ。他に何が案だよ」

 Dが呆れたように言うと、佐竹くんは溜息をついて、

「お前、ペンチとって来いよ」

 お前、と急に言われるので誰だ、誰だ、となるが、お前だよ。と言われる。

「僕?」

「そうだよ。はやくとってこい」

  僕の家が近くにあると知っていたのか、早く行ってこい、と催促する。

「このフェンスを切るんだよ」

「ああ、うん。わかった!」

 僕はランドセルをその場において、その場から逃げ出すように走り出した。通り馴れてる道を最短で走って、団地まで行く。

 部屋の呼び鈴を鳴らすとすぐに母が出て、今日は遅いわねなんて言って、僕はバタバタと靴を脱ぎながら切り出す。母にペンチはどこ? と尋ねると変な顔をされたが、いちいち説明している暇はない。あとで話す、と、とりあえずその場を納めて、また公園へ向けて走り出した。


「遅かったな」

 ゼエゼエと肩で息をしながら、彼にペンチを渡そうとすると「もういらねえ」と突っ返された。

「え?」

僕の視線の先には、見たくないものがあった。

「誰がやったの?」

 僕は問うた。その疑問と訳の分からない怒りと悲しみが込み上げてくる。

「俺だ」

「佐竹くん」

 確かに、彼の手には真っ赤な血で染まった鋏が握られていた。

「楽にしてやったよ」

 彼はやりきったように笑うと、鋏を置いて手を合わせた。

「じゃあな」

「待って。何でこんなことをしたの?」

「痛くて痛くて鳴いてんだ、楽にするしかないだろ」

「そんな」

 耳に直前まで鳴いていたみゃおという音がこびりついて離れない。猫はもう、助けて欲しくはなかったんだ。そう思うと、自分のしたことの罪悪感で溢れて拭えなかった。

「じゃあ、なんで僕にペンチをとりに行かせたんだ!」

「お前は弱いからだよ」

 そういって、彼は帰っていった。DとHとFも興味が尽きた、という風で解散した。

 僕は、その場で膝から崩れると、一生懸命猫の体の温かさを感じようとした。

 陽が落ちて、僕の手は、寒さで痛みを感じるようになった。

 積もった雪に、血がだんだんと染まっていく。

 僕は、周りの雪を掻き集めて、そして猫を隠した。


 灰色縞のその猫は、サバトラと呼ぶことを後から知った。

 中学に上がる前に、僕は団地から引っ越した。

 佐竹くんがあの時言った、「お前は弱い」という言葉が、やっと少し分かるようになってきた。

 彼とは、高校が違うので接点もない。今聞けたとしても、彼が覚えているかはわからない。だけど、彼に言われたその言葉を今、僕は大切に思っている。


 僕は、その思い出の猫を「ユキ」と名付けた。



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