鳥人の子供たち

KAE

第1話 南へ

 東の水平線から濃紺の空が流れている。月はなく、天上いっぱいに広がる粒子のような星のきらめきが風もないのに揺れていた。

 そこから夢が覚めていくかのように、空の色がぼんやりと青みを増していく。海上には炎のように白い霧が立ちこめて、まるで雲のように辺り一面をおおっていた。


 今年最初の冬が来ようとしていた。

 北の大陸からツグミが風を連れてきたのは、昨日のことだ。その午後にはみんな冬支度をはじめていた。

 少年がほうっと吐き出した息は綿毛のように真っ白だった。それが目の前で消えていく様子を見つめながら、彼はもう一度静かに息を吐いた。眠気に負けてまぶたが閉じるたび、空は刻々と変化をしていった。


 中央諸島の北東に満月島と呼ばれる丸い形をした島がある。その街の中心部にひときわ高くそびえるセントラルタワーの屋上では、子供たちが息をひそめて冬が来るのを待っていた。

 凍ったように冷たい鉄格子の上に座り、おしゃべりをすることもなく視線を東の空に向けている。幼くやわらかな頬は桃色に染まり、ひっきりなしに白い吐息がもれている。そして、震える小さな背中には、暗闇の中でも輝くような純白の翼が生えていた。


 彼らは鳥人の子供たちだ。

 十三歳の冬、鳥人は南に向けて旅立っていく。それがなぜなのか、南とはどこなのか、それを人間たちが知ることはない。

 鳥人は、生まれたばかりの赤ん坊を南から連れてくると、子供を残してまた南へと去っていく。そして、子供たちは、十三歳の冬になると、誰に教えられることもなく夢から覚めたように南へと帰っていく。

 南の大陸よりもさらに南の水平線へ。その先には未知の大陸があるとも、妖精の国へ続いているとも、あるいは、あの世だとも、様々な憶測がなされているが、それを確かめた人間はまだいない。


 空が紫がかった瑠璃色に変わっていた。

 真珠色の光が東の水平線からもれはじめると、興奮を抑えることができない子供たちの高鳴りで空気がざわつきはじめていた。

 それを待っていたかのように、薄く冷たい氷のような風が忍んでくる。しかし、真っ赤に染まる頬の痛みを気にする者は誰もいなかった。


 ――南へ


 風の声が耳元をかすめていく。

 星は眠りについた。

 東の空にオレンジ色の帯がかかる。

 それが広がりながら山吹色に変わっていき、光で薄められた空はラベンダー色に染まっていく。

 雲のような海霧が波のようにうねりをあげ、粉砂糖をまぶしたように輝きだした。

 寒さと興奮で小刻みに震えている鳥人たちの羽音は、もう我慢ができないというように、ささやき声となって地上へと降りていった。

 それに追われるように、街の影は逃げていく。


 ――南へ


 子供たちの水晶のような瞳が、夜明けの光をもらすことなく受けとめようと開かれる。


 ――南へ


 北風に背中を押されて、一人、また一人と立ち上がった。

 雪毛とも呼ばれるほど白く輝く翼を、ゆっくりと広げていく。普段は小さくたたまれていることが多いが、めいっぱいに広げると背丈の倍以上はあり、小さくて華奢な身体が生まれ変わるように美しく見えた。

 鳥人の子供たちは勢いをつけるように、翼をはためかせる。

 その羽根が雪のように地上へと舞っていった。

 眼下は霧の雲におおわれて、白い羽根はその中に溶けていく。さらにその下では、人間たちの灯す明かりが宝石箱をあけたようにきらめいている。それが、今まさに、夜明けの光と交わろうとしている――


 羽音のさざ波が大きくなり、風も強さを増していく。

 子供たちは、それでも口をきくことはなく、東と南の空をもどかしそうに交互に見つめていた。

 一筋の曙光が線を引く。

 黄金の光があふれだす。

 やわらかな金色の朝日が閃光のように空をかけ、それに導かれるように鳥人の子供たちはつぎつぎと南の空へと飛び出していった。

 まぶしく輝く太陽がすべてを黄金色に染めていく。霧はますます濃度を増して、天国へと続く道を作っているかのようだった。

 白い翼も黄金色に輝いている。そのダイヤモンドのような光の集団はあっという間に空をおおいつくし、南へと流れていく。翼をもてあそぼうとする風の音と風をとらえようとする翼の音が音楽を奏でているかのようだった。


 人間たちは暖炉の火を燃やし、窓硝子に額をつけながら、輝く雪が霧の中から落ちてくる光景を恍惚とながめていた。

 太陽がゆっくりと上り、霧もしだいに薄れてくる。

 そして、西の端まで明るくなるころには、鳥人の群は晴れ渡る青い空の雲のひとつになっていた。


 すっかり霧の晴れた地上では、溶けることのない雪の羽毛が積もり、みるみるうちに黄ばんでいった。

 夢から覚めた人間たちがようやく屋外にでると、キツネにつままれたかのようにため息をつくのだった。

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