告白屋は恋をしない

17BPM

告白屋は恋をしない

 告白屋、なるものがあると知った。

 

 僕には片思いの相手がいる。同じ高校に通うYさんだ。美人で頭も良くてお淑やかで、憧れの存在だ。

 そう、憧れの存在。教室の隅で孤独に暮らしている僕には到底釣り合わない人だ。要するに高嶺の花である。

 

 生まれた時から、僕は異性というものに縁がない。

 幼馴染やクラスメイトで仲の良い女の子、はいた。それ止まりである。同性の友人たちはみんな恋愛経験があって(あるいはその最中で)、ないのは僕一人だ。

 鏡を見ても、そこに映るのが特別悪い顔だとは思わない。身だしなみだってきっちり整えている。だが女子のハートを掴むことに外見が与える影響というのは、意外に少ないらしい。友人の中にはデブスもいるし、その反対もいる。いずれも理想の彼女を作って、リア充ライフを満喫している。

 いけないのは黒縁のメガネと、その内向的で引っ込み思案な性格。わかっていることは、その二つだ。

 メガネは必需品だし、性格を変えるのはとても難しい。同性にだって話しかけるのを躊躇うのだから、異性にはなおさらだ。誰かに言葉をかけようとすると全身が抵抗するのである。理由はわからない。会話することにデメリットがあるとも思わない。なぜか体が反応するのである。

 

 だから、惨めな僕は高嶺の花を諦めて「告白屋」なる藁にすがることにした。

 扉を叩き、それからゆっくりと開ける。

 

 「いらっしゃいませ!」

 

 美少女が出てきた。

 勢いよくぶつかってきた言葉に、思わずびっくりしてしまう。

 

 そこには美少女がいた。

 高嶺の花とはまた違ったベクトルの美しさだ。可愛い。キュート。姉か妹だったら、妹。恐らくは自分より年下。手のひらに乗る小鳥のような眼差し。

 

 「こ……こんにちは」

 

 恐る恐る、僕は出迎えてくれた彼女に挨拶した。

 きっと頬は真っ赤になっていただろう。それを見られているという事実で、更にその赤みを増したことだろう。

 さあどうぞ、掛けてください。美少女が僕に椅子を見せながら言った。

 失礼します。

 腰を下ろすと、安定感からか緊張が少しだけ和らいだ。

 

 「告白屋さん……ですよね」

 「そうですよ〜。早速ですけど、どういったご用件で?」

 

 用件。

 いざ言われてみると、それが自分にもさっぱりわからなかった。あまりにも恋愛と縁が遠いことに悲しみと絶望を覚え、藁にもすがる思いでここにきたのだったが。すがるといっても、どうすがりに来たのだか。

 そもそも告白屋ってなんだ。

 それが、頭に唯一浮かんだことだった。

 

 「あっ……まず、告白屋ってなんですか」

 

 だから、少し躊躇いながらも聞くことにした。

 美少女はにっこりと笑いながら、

 

 「さあ。あなたの想像する通りのものですよ」

 

 予想していた中で一番困る答えを返してきた。全く想像がつかないから、質問したつもりだったのだけれど。

 

 僕は、一体ここに何をしにきたのだろう。そこから考えねばならないとは、思ってもみなかった。いや、普通は考えてから行くものなのだけれど。

 なんとなく、直感でここに行きたいと思ったのだ。目的も理由もなく、ここにいたいと思ったのだ。

 告白、という響きに心を動かされてしまったのかもしれない。

 できるはずがない。僕の手が高嶺の花に届くことなんて、天地がひっくり返ってもありえない。

 だが、どれほど言い訳しても彼女を諦めきれない自分がいるのは事実だった。遠くから眺めるだけでは足りない。あの綺麗な花を摘んで、手元に持って帰りたいのだ。

 どんな危険を冒してでも、手に入れる。その覚悟があればなあ、と思う。一人では到底できそうになかった。


 多分、だからここに来たのだろう。

 彼女に告白のきっかけを何かしら作ってもらえるかもしれない、などと期待して来たのだ。一人では無理でも、二人なら。

 

 「あの、お願いがあるんですけど」

 「お、なんでしょう」

 

 美少女はにこにこしながら、僕を見つめている。

 その綺麗な瞳に思わず見入ってしまいそうになるが、ぐっとこらえる。僕にとっての花は、あの彼女だけなのだから。

 

 「えっと……恥ずかしいんだけど、僕、好きな女の子がいるんです」

 「ふむふむ」

 「それで……ちょっと手伝って欲しいんですけど」

 「へえ、どういうふうに?」

 

 どういうふうに、と言われるとちょっと困る。具体案を考えてきたわけではないのだ。そもそも初めは行く目的さえ考えていなかったのだから、当然といえば当然である。

 だから、僕は体の抵抗を振り切って言った。

 

 「と、とにかく! なんでもいいから手伝って欲しいんです! 例えば、その、僕がその子に話しかけるきっかけを作るとか」

 

 言っておくが、僕たちはお互いに面識もない。今日が初対面である。そんな相手に何を頼んでいるんだか、と我ながら思う。

 けれど、今はなりふり構っていられない。どうしても彼女、Yさんのそばに近づきたいのだ。手の届かないところまで登るために、目の前の美少女には梯子を掛ける手伝いをして欲しいのである。

 

 「お安い御用ですよ。それで、報酬はいくらですか? 前払いでお願いしますね」

 

 最低限わかっていること、ここは店である。何かしら対価を払う必要があるのは当たり前。だから、財布もちゃんと用意しておいた。

 けれど、それだけでは準備不足だ。まだ聞いておかなければならないことがある。

 

 「いくらなら……やってくれるんですか」

 

 ––––まあ、期待はしていないけれど。

 

 「さあ。あなたが払いたいと思う額で結構ですよ」

 

 知っていた。

 だから、僕はすでに財布と相談を始めていた。

 彼女がそう言ったのだから、0円でもアリなのだろう。けれど、それでは失礼が過ぎる。彼女のおかげで、諦めていた高嶺の花に手が届くかもしれないのだ。その喜びはどんな大金にも代え難いもののような気がした。

 迷いはなかった。

 僕は、全財産を机に置いた。財布の中にはもう、埃と数枚のレシートしか入っていない。

 

 だが、美少女はそれに手を伸ばさなかった。

 

 「……」

 

 さっきまで笑顔で応対してくれていた彼女の顔には、雨雲がかかっている。

 一言も発さないまま、むっつりしてこちらを見つめている。

 完全にキレている。何があったかはわからない。僕はお金を出しただけで、彼女を怒らせるような真似をした覚えはない。強いていうなら椅子の座り方が少々乱暴だった、くらいのことだろうか––––。

 

 「あの……何か気に障ることやっちゃったのなら、すみません……」

 

 わからないが、とりあえず謝ってみる。

 効果なし。彼女はむっつりしている。

 

 「……ねえ」

 「は、はい」

 

 しかし、数秒の沈黙の後に口は開いた。

 あまりにも低くて硬く、冷たい声だった。手のひらに乗る小鳥は、今や空から獲物を狙う猛禽類になっていた。

 怖い。鷹の鋭い眼差しに僕は硬直し、震えた声で返事をすることしかできない。天空の狩人に目をつけられた小動物の気持ちとは、こういうものなのだろう。

 

 「2521円、ね」

 「えっと……足りませんでしたか……?」

 「足りてる。でもさ」

 

 冷たい奥に、今度はものすごく熱いマグマのようなものを感じる。

 

 「彼女って、あなたの中でそんなに安い存在なの?」

 

 それは違う。断じて違うのだ。

 僕の全てを注ぎ込んだつもりだった。この程度の額に収まらない人であることはわかっている。けれど、––––否、だから、何故彼女が怒るのか僕にはわからなかった。告白屋というものを僕の解釈でとらえて、それに従っただけなのに、どうしてこう言われるのか、わからなかった。

 

 「いや、そうじゃなくて……これ以上は払えないんで」

 「鈍いんだなぁ……あのさ、私が言っているのはそういうことじゃないの。いくら払うとか関係なしに、こんなことするべきじゃないってこと」 

 「!」

 

 瞬間、僕はようやく自分の過ちに気がついた。

 

 まるで天地がひっくり返ったような気分だった。僕は馬鹿だ。何も考えていなかった。

 二枚の札と四枚の硬貨が机の上に晒されているのを見ると、なんだか恥ずかしくなって、僕はそれを財布に押し込んだ。

 

 「恋っていうのは、わたしみたいな他人に手伝ってもらってやることじゃないの。自分で努力して、恥ずかしさを殺して、しつこいって言われるくらいアプローチかけて、それでやっと手に入れるものに価値があるんじゃない。お金払って買った想いなんて、受け取って嬉しいわけないでしょ!」

 

 ただただ、僕は俯いて彼女の怒声を浴びていた。

 反論の余地など欠片もない正論をぶつけられる。けれど、先生や母親にそうされる時のような不快感はなかった。むしろ周りが見えなくなっていた自分の視野をすっきりと広げてくれるような。昂りすぎて周囲を焼き焦がしつつあった心の炎を、ゆっくりと冷まして穏やかに戻してくれるような。

 

 「……ごめんなさい」

 

 自然、言葉が漏れた。

 ああ、僕が馬鹿だった。僕が間違っていた。心底から素直にそんな気持ちになれたのは、久しぶりだ。まっすぐに気持ちを受け取れなかった僕が、もう彼女のことなど諦めていた僕が、いつの間にか綺麗さっぱりいなくなっていた。

 

 今なら、何かできるかもしれない。

 あの時に戻れるのだろうか。不安はあった。

 けれど、笑顔に戻った美少女の声が、僕の背中を押してくれた。

 

 「行ってきたら? 彼女、待ってるでしょ」

 

 だから、僕はドアノブに手を掛けた。ゆっくりと回して押すと、光が体を包み込んだ。

 

 「ありがとうございます……行ってきます」

 

 彼女は笑っていた。

 僕もそうだった。蛹から飛び立つ蝶になった気分で、僕は白い光の中へ駆け出した。

 

 

 

 *

 

 

 

 「えっと、あの時は本当に、ありがとうございました」

 

 メガネをかけていなかったので、初めは誰かわからなかった。

 帰るときも、彼は何度もお辞儀をしてからドアの向こうに消えた。

 握っていた誰かの白い手は、彼の望んでいた感触だ。きっと。

 

 面と向かって言われると照れくさいな、と美少女は笑った。

 この店やっててよかった、と久々に思えた。––––もっとも、彼女が仕事をしたことはほとんどないのだけれど。

 

 「あ、忘れてた––––ヤバイヤバイ」

 

 時計を見て、思い出す。

 手帳に書いてあった日付が今日と一致することを確認し、彼女は荷物をまとめて銀行に向かった。

 

 「長く続くといいな、二人とも」

 

 外に出ると、遠くには連れ立って歩く二人の背中が見えた。

 告白屋は、一仕事終えた体を天に向かって大きく伸ばした。

 久々の、給料日。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

告白屋は恋をしない 17BPM @17BPM

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ