千津ちゃん

 翌日、少しドキドキしながら教室の席に座った。

 真は、相変わらず無表情のまま。こちらを見向きもしない。

 拍子抜けする気持ちもあったけれど、どこかでホッとしてもいる。


 教室で、皆の前で、真に話しかけられたらどうしようと思っていた。


 私は、卑怯だ。



 今日は、社会でグループ発表があった。

 それぞれ分担を決めて調べた内容を、班ごとにまとめて発表するのだ。

 たまたま社会がある日に木原さんの休みが続き、なんとなく私が木原さんの分まで担当していた。今日も私が彼女の分まで発表するつもりだったけど、今日に限って木原さんは来ていた。

 ちょっと、気の毒な感じがする。

 自分が調べてもいない内容を、皆の前で発表するなんて。


 私達の番が来て前に立つ時、木原さんはセーラー服の衿を、背中からピッと引っ張った。

 自分のスイッチを、押すみたいに。

 無意識の動作なんだろうけど。


 緊張した横顔。か細い声。

 今日、休みだったらよかったのにって思ってしまった。

 木原さんは、私達の何倍ものパワーを使って、この場にいる感じがする。


 真はと言うと、グループでは一切喋らなかったのに、発表は淡々とこなしている。

 真の中では、どんなスイッチが入ってるんだろう。

 ……放課後の理科室で私と話した時は、別のスイッチだったのかな?


 そんなことを考えていたら、社会が終わった後、木原さんがくるりとこちらを振り向いた。

 「遠矢さん、ごめんね。私が休んだせいで、私の分まで……」

 思い詰めた表情に、戸惑う。

 「全然。気にしないで。来たくても、来れなかったんでしょ?謝るようなことじゃないよ」

 木原さんの表情が、少し緩んだ。

 「最近、調子が悪くて……。いい時は、いいんだけど」

 「そうなんだ。調子が悪いときは、仕方ないよ。無理したら、余計しんどいもん」

 俯いた木原さんに、迷ったけれど、一歩踏み込んでみる。

 「病気、なの?」

 「うん。ジリツシンケイシッチョウショウ」

 「え?」

 聞きなれない言葉を聞き返すと、木原さんがノートに書いてくれた。

 自律神経失調症。

 丸みを帯びた可愛い文字は、意外と筆圧が強い。

 「自律神経って、心と体のバランスを整える神経が、うまく働かなくなっちゃうの」

 自律神経失調症、の隣に、交感神経、その下に副交感神経と付け加える。

 「自律神経は、交感神経と副交感神経からできてる。交感神経は、戦うモード。心臓をドキドキさせて、体を緊張させて、次の行動に備える。体を動かすために働く」

 「副交感神経は、休むモード。心臓のドキドキを抑えて、体をゆったりさせて、リラックスさせる」

 木原さんは、すらすらと説明した。

 きっと自分の病について、ずっと考えてきたのだろう。

 「バランスを整える神経がうまく働かないって、どうなるの?」

 「心と体に、いろんな症状が出る。私の場合は、眠れなくなったり、怠くて、頭が痛くなったり吐き気がしたりする。薬は飲んでるんだけど」

 「そうなんだ。……辛いね」

 うまくイメージできないけれど、自分の体なのに思うようにいかないって、もどかしいだろうなと思う。

 木原さんは、休む割に成績はいい方だ。きっと、家でも人一倍頑張ってるんだろう。

 「休んだ時のノートとか、どうしてるの?」

 気になっていたことを聞いてみる。1日でも休むと、休んだ授業は穴が空いたみたいで、その単元だけよそよそしくなって、自分の中に取り込むのが大変だ。

 木原さんの表情が曇った。

 「隣のクラスの友達に見せてもらったりもしたけど、進み方が違って……。参考書とか見ながら、勉強してる」

 木原さんはまだ、今のクラスに親しい友達がいない。

 「よかったら、私のノート、貸そうか? 汚いけど」

 思いきって言うと、木原さんは驚いた瞳をして、それから可愛い笑顔になった。

 「ありがとう。すごく、助かる。休み時間に、借りてもいい?」

 「持って帰っていいよ」

 「次の日休んだら、返せないから」

 そうか、木原さんは、明日も登校できるって保証が無いんだ。

 私はノートを差し出し、心の底から言った。

 「病気、早く治るといいね」

 木原さんは微笑んで、何も言わなかった。

「……千津ちゃんって、呼んでもいい?」

 思いきって木原さんの下の名前で呼んでみる。木原さん、より、名前の可愛い響きの方がしっくりきた。

 「うん。私も、泉ちゃんって呼ばせて」

 千津ちゃんは笑った。

 私の名前を、とても丁寧に言った。

 まるで、小さな命をそっと手のひらに包み込むように。



 後で調べて、自律神経失調症は、長く付き合っていく病なのだと知った。

 千津ちゃんの微笑みを、思った。


 千津ちゃんも、千津ちゃんの心と体も、一生懸命なんだろう。失われたバランスを取り戻すために。

 今夜は、千津ちゃんがゆっくり眠れることを祈った。








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